2008年12月11日木曜日

遠藤 実:memory

瞼の昭和

 昭和の歌謡界を代表する作曲家、遠藤実が2008年12月6日死去した。「高校三年生」「北国の春」など誰にでも愛唱される歌謡曲作りに心血を注ぎ、5000余曲を世に送り出した。76歳だった。



 哀愁と親しみやすさを感じる、その楽曲を口ずさみながら、草野球音的「遠藤実アンソロジー」を―― 。

 作曲家・遠藤実が世に出たのは、1957年(昭和32年)だった。東京生まれ、新潟に疎開し育つ。17歳で上京し、ギター抱えた流しの生活を送った末、作曲家となる。
 デビュー曲は「お月さん今晩わ」。作詞は松村又一藤島桓夫の独特の鼻にかかった甘い歌声を記憶している。
 ♪こんな淋しい 田舎の村で
  若い心を 燃やしてきたに

 以後、ヒット曲を毎年のように生み出す。翌1958年には島倉千代子の「からたち日記」(作詞・西沢爽)だ。「幸せになろうね、あの人はいいました‥‥」台詞も島倉ファンを痺れさせた。
 ♪こころで好きと 叫んでも
  口では言えず ただあの人と
 以前にも書いたことあるが、草野は、「くちづけさえの 想い出も のこしてくれず 去りゆく影よ」という二番の歌詞がいいなぁ。

 浅草姉妹(1959年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
 ♪何も言うまい 言問橋の
  水に流した あの頃は
 双子姉妹こまどりのこぶしが心地よかった。

 アキラのドンドコ節(1960年=歌・小林旭、作詞・西沢爽)
 ♪町のみんなが 振り返る
  青い夜風も 振り返る
 小林旭の頭のてっぺんから出すような高音が響いた。ドリフや氷川きよしのズンドコ節の先駆けといえる。

 ソーラン渡り鳥(1961年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
 ♪津軽の海を 越えて来た
  ねぐら持たない みなしごつばめ
 三番の歌詞の「瞼の裏で咲いている 幼馴染のはまなすの花」というフレーズが好きだ。

 おひまなら来てね(1961年=歌・五月みどり、作詞・枯野迅一郎)
 ♪おひまなら来てよね 私淋しいの
  知らない 意地悪
 当時、二十歳そこそこの五月の色っぽさは少年をどきりとさせた。

 襟裳岬(1961年=歌・島倉千代子、作詞・丘灯至夫)
 ♪風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
  春はいつ来る 灯台守と
 当地には、森進一(作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎)の曲と、2つの歌碑があるそうだ。

 若いふたり(1962年=北原謙二、作詞・杉本夜詩美)
 ♪君には君の 夢があり
  僕には僕の 夢がある
 青春歌謡というジャンルのはしりではなかろうか。北原謙二は大阪の浪商出身という、平凡だか明星だかで読んだことを覚えている。鼻に抜けるような高音が懐かしい。

 1963年(昭和38年)には舟木一夫の「高校三年生」が世に出る。作詞は丘灯至夫。
 ♪赤い夕日が 校舎をそめて
  ニレの木陰に 弾む声
 舟木が学生服姿でデビューした。凄まじい勢いでスター街道を突っ走った。同年に「修学旅行」「仲間たち」「学園広場」と遠藤実はたて続けに作曲する。

 修学旅行(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
 ♪二度とかえらぬ 思い出乗せて
  クラス友達 肩寄せあえば

 仲間たち(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・西沢爽)
 ♪歌をうたって いたあいつ
  下駄を鳴らして いたあいつ

 学園広場(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・関沢新一)
 ♪空にむかって あげた手に
  若さがいっぱい とんでいた
 
 詰襟の舟木一夫と、着流しの橋幸夫が歌謡界の人気を二分していた。通っていた中学校では舟木派と橋派の女の子たちの「派閥」が出来上がった。西郷輝彦を加えて「御三家」となるのは、この後である。
 橋は吉田正門下生として有名だが、デビュー前に遠藤実に歌唱指導を受けていたそうだ。

 哀愁出船(1963年=歌・美空ひばり、作詞・菅野小穂子)
 ♪遠く別れを 泣くことよりも
  いっそ死にたい この恋と
 歌謡界の女王にもしっかり楽曲を提供している遠藤であった。

 ギター仁義(1963年=歌・北島三郎、歌詞・嵯峨哲平)
 ♪雨の裏町 とぼとぼと
  俺は流しの ギター弾き
 遠藤実の実体験を曲に託したと知ったのは、二十台半ばであった。サブちゃんも流しだった。

 君たちがいて僕がいた(1964年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
 ♪清らかな青春 爽やかな青春
  大きな夢があり

 青春の城下町(1964年=歌・梶光夫、西沢爽)
 ♪流れる雲よ 城山に
  のぼれば見える 君の家
 梶光夫の素朴な歌い方が曲に合っていたと思う。

 星影のワルツ(1966年=千昌夫、作詞・白鳥園枝)
 ♪別れることは つらいけど
  仕方がないんだ 君にため
 歌声にも東北なまりの出る千の歌唱に好感を抱いた。

 こまっちゃうナ(1966年=歌・山本リンダ、作詞作曲・遠藤実)
 ♪こまっちゃうナ デイトにさそわれて
  どうしよう まだまだはやいかしら
 作詞も遠藤。リンダの舌たらずの歌声にぶっ飛んだ。

 他人船(1966年=歌・三船和子、作詞作曲・遠藤実)
 ♪別れてくれと 云う前に
  死ねよと云って ほしかった
 作詞も遠藤。三船和子がしっとり歌っていた。

 新宿そだち(1967年=歌・大木英夫・津山洋子、作詞・別所透)
 ♪女なんてさ 女なんてさ
  嫌いと思って見ても

 君がすべてさ(1968年=歌・千昌夫、作詞・稲葉爽秋)
 ♪これきり逢えない 別れじゃないよ
  死にたいなんて なぜ云うの
 草野好みの1曲。

 ついて来るかい(1971年=小林旭、作詞作曲・遠藤実)
 ♪ついて来るかい 何も聞かないで
  ついて来るかい 過去のある僕に

 純子(1971年=歌・小林旭、作詞作曲・遠藤実)
 ♪遊び上手なやつに だまされていると聞いた
  噂だけだね 純子
 「ついて来るかい」「純子」とも遠藤の作詞作曲で、マイトガイ旭が情感を込めて歌う。歌う映画スターでも屈指の歌唱力と思う。

 せんせい(1972年=森昌子、作詞・阿久悠)
 ♪淡い初恋 消えた日は
  雨がしとしと 降っていた
 セラー服の森昌子は14歳だった。そういえばヒットメーカー阿久悠も昨年死去したのだ。

 くになしの花(1973年=歌・渡哲也、作詞・水木かおる)
 ♪いまでは指輪も まわるほど
  やせてやつれた おまえのうわさ
 技巧など全く無視したような渡の歌声だったなぁ。

 アケミという名で十八で(1973年=歌・千昌夫、作詞・西沢爽)
 ♪波止場でひろった 女の子
  死にたいなんて 言っていた
  アケミという名で十八で
 「蹴飛ばせ 波止場のドラムカン」と千は歌っていたっけ。

 すきま風(1976年=歌・杉良太郎、作詞・いではく)
 ♪人を愛して 人は心ひらき
  傷ついてすきま風 知るだろう
 杉は本物の歌手であった。

 そして、1977年(昭和52年)に、世界的大ヒット曲「北国の春」がリリースされる。翌1978年に大ブレークした。海外進出し、いまでは中国はじめ東南アジアでも広く愛唱されている。
 遠藤実が作った名曲「北国の春」は、坂本九の「上を向いて歩こう」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)と並び、世界で最も有名な日本の歌といえる。
 作詞・いではく。歌手の千昌夫自身も思い入れ強く、この歌をNHK紅白歌合戦で3度も歌っている。
 ♪白樺 青空 南風
  こぶし咲くあの丘 北国の 
  あぁ北国の春

 夢追い酒(1978年=歌・渥美二郎、作詞・星野栄一)
 ♪悲しさまぎらす この酒を
  誰が名付けた 夢追い酒と

 みちづれ(1978年=歌・牧村三枝子、作詞・水木かおる)
 ♪水にただよう 浮草の
  おなじさだめと 指をさす

 雪椿(1987年=小林幸子、作詞・星野哲郎)
 ♪やさしさと かいしょのなさが
  裏と表に ついてくる

 最期を看取ったのは、遠藤実の家族と最大のヒット曲「北国の春」の作詞家いではくとその歌い手千昌夫だったという。

 昭和の象徴がまたひとつ消えた。

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