2010年5月29日土曜日

三千院・女ひとり・京都慕情

大衆芸能的 京都巡り その二
 京都市街地から車で30分ほど北東に走ると、新緑豊かな山里となる。目指すは京都・大原・三千院――かつて貴人や修験者の隠棲の地と知られる天台宗の寺院である。三千院門跡とも称し、山号は魚山(ぎょざん)。本尊は薬師如来、最澄が開基した。

 いかにも女のひとり旅が絵になる風情である。山里は静寂に包まれていた。思わず鼻歌まじりに口ずさむ。
 ♪京都 大原 三千院
  恋につかれた 女がひとり
 歌唱力のあるデューク・エイセスが歌うとグッと心に響く。作詞は永六輔、作曲はいずみたく。ただ、「結城(ゆうき)に塩瀬の 素描の帯が」と歌詞にあるが、着物では歩きにくい(永さん、ゴメン。無粋な突っ込みで…)。スニーカーなんぞが適当な結構な山坂もある。

 境内南側の庭園内にある往生極楽院は12世紀に建てられた阿弥陀堂で、内部には国宝の阿弥陀三尊坐像が安置されている。

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 江戸は『八百八町』、大坂は『八百八橋』、京都は『八百八寺』というそうな。それほどに寺院が多い。ちなみに「八百」とは「非常に多い」ことの意味。

 勝林院、宝泉院と巡り、寂光院に足を伸ばす。
 寂光院は大原もさらに奥まった里に寂然と佇んでいる。山号を清香山と称する天台宗の寺院。開基は聖徳太子と伝えられるが、平清盛の娘、建礼門院が平家滅亡後に隠棲した『平家物語』ゆかりの地として知られる。

×  ×  ×

 鴨川は京都市内の南北を流れる33㎞の河川である。古代の鴨川上流域は賀茂氏の本拠地であった。通例として高野川との合流点より上流を賀茂川または加茂川と表記される。
 京都市街地を車で回ると何度も鴨川を見ることになる。
 
 また鼻歌が出る。
 ♪加茂の河原に 千鳥が騒ぐ
  またも血の雨 涙雨
 三橋美智也の美声が響く。「ああ新撰組」の作詞・横井弘、作曲は中野忠晴だ。「菊の香に 葵が枯れる」と二番の歌詞にあるが、幕府軍の一員として戊辰戦争を戦い、時代の趨勢に敗れる近藤勇や土方歳三の姿が彷彿される。千年の都・京は幾たび争いの舞台となったことか。

 『加茂』といえば、橋幸夫の歌で「舞子はん」がある。作詞・佐伯孝夫、作曲は吉田正である。
  ♪京はおぼろ夜 涙月
   加茂の流れも 泣いていた
 同名タイトルで映画化(1963年=松竹)された。橋幸夫主演で、舞妓役は倍賞千恵子だった。

 また渚ゆう子の「京都慕情」には鴨川の支流、高瀬川が出てくる。
 ♪あの人の言葉 想い出す
  夕焼けの高瀬川
 作詞はザ・ベンチャーズで訳詩・林春生、作曲はザ・ベンチャーズ。「京都の恋」なんてベンチャーズ・渚ゆう子のコンビでヒット曲もある。高瀬川は森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台となっている。

 京都歌謡の走りは「祇園小唄」だろう。京都の定番テーマソングである。
 ♪月はおぼろに 東山
  霞む夜毎の かがり火に
 作詞は長田幹彦、作曲は佐々紅華(さっさ・こうか)だった。佐々は「君恋し」を作っている。

 蛇足ながら……。
 ♪富士の高嶺に 降る雪も
  京都先斗町に 降る雪も
「お座敷小唄」は松尾和子&和田弘とマヒナスターズが歌った。作詞・不詳で、作曲は陸奥明。

  ♪京都から博多まで あなたを追って
   西へ流れて 行く女
「京都から博多まで」は藤圭子のヒット曲で、作詞は阿久悠、作曲は猪俣公章だった。

 京都は絵になる街であり、歌になる街なのだ。
2010年5月27日旅程・三千院⇒勝林院⇒宝泉院⇒寂光院⇒曼殊院門跡

2010年5月27日木曜日

三十三間堂・錦ちゃん武蔵

大衆芸能的 京都巡り その一
 通称『三十三間堂』として知られる天台宗蓮華王院は七条通りに面し、智積院や国立京都博物館にほど近い。和様、入母屋(いりもや)造りの本堂は、南北に120mと細長く、木造建築では世界一の長さを誇る(地上16m、奥行き22m)。

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 粉雪舞う蓮華王院。2人の武者が対峙する。長い濡れ縁を走る宮本武蔵。彼を凝視しながら走るのは吉岡伝七郎である。名門・吉岡道場の嫡男、吉岡清十郎は武蔵に敗れ、剣士としての道を断たれた。武蔵を兄の敵と燃える次男の伝七郎。武蔵が迎え撃つ。
 勝負は一瞬だった。
 廊下を飛び降りた武蔵が一刀で伝七郎を斬り倒した。

 この決闘の地は京都洛外とあるだけで三十三間堂と特定できないが、長い縁側を錦之助武蔵が疾走する姿は野性的な剣豪ぶりを活写していた。剣豪対決にふさわしいロケーションであった。

武蔵役は中村錦之助(のちの萬屋錦之介)、伝七郎役は平幹二郎、そして監督は内田吐夢だった。「宮本武蔵 一乗寺の決斗」は吉川英治の「宮本武蔵」を原作とした1964年(昭和39年)東映作品で、シリーズの第4作である。
・第1作 宮本武蔵(1961年)
・第2作 宮本武蔵 般若坂の決斗(1962年)
・第3作 宮本武蔵 二刀流開眼(1963年)
・第4作 宮本武蔵 一乗寺の決斗(1964年)
・第5作 宮本武蔵 巌流島の決斗(1965年)

 錦之助の武蔵の宿敵・佐々木小次郎には高倉健が扮している。お通に入江若葉、又八は木村功だった。
 宮本武蔵の映画は片岡千恵蔵、三船敏郎の主演でも制作されている。ちなみに三船作品の小次郎役は鶴田浩二で、監督は稲垣浩だった。

 映画「一乗寺の決斗」のクライマックスは、一乗寺下り松の決闘シーン。清十郎、伝七郎が敗れた吉岡一門が名門の威信をかけ最後の戦いに臨むが、武蔵はそれを退ける。

 三十三間堂は錦ちゃん武蔵の映画舞台だったのだ。

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 三十三間堂は、長寛2年(1165年)後白河上皇が平清盛に命じて創建された。
国宝
・本堂
・木造千手観音坐像(附:木造天蓋)
・木造風神・雷神像
・木造二十八部衆立像

重要文化財
・南大門
・太閤塀
・木造千手観音立像(1,001躯)

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 10余年ぶりの京都。降りしきる雨のなかの見学となった。運慶の嫡男・湛慶(たんけい)作、千手観音坐像は厳かに鎮座しており、また風神・雷神像、二十八部衆立像もなるほど国宝の風格を漂わせていたが、大衆芸能好きの草球kusatama にはガキのころ観た錦ちゃん映画により心を動かされたのでした。
2010年5月23日旅程・京都タワー⇒東本願寺⇒三十三間堂⇒東福寺⇒東寺

2010年5月26日水曜日

月の恋人:リン・チーリン

気になるテレビドラマ

 木村拓哉主演のフジテレビの『月9』ドラマ「月の恋人」を観ていると、リン・チーリンの美しさが目立ちます。篠原涼子、北川景子といった美女のなかで輝くのですから、ホンマモンです。
 さすが絶世の美人役に起用された女優サン。三国志演義を題材とした中国映画「レッド・クリフ」(原題:赤壁=ジョン・ウー監督)で、天下一の美女と謳われる周瑜の妻・小喬を演じていました。あの映画、諸葛孔明役の金城武と彼女の美男美女ぶりが光り、『台湾映画スター恐るべし』っといった感じでした。
 174センチの美脚。第1回放送の最後で、モデルとして登場するシーンがあったが、その媚態にゾクリとさせられましたな。

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 NHK大河ドラマ「龍馬伝」にいよいよ龍馬の妻となる『おりょう(龍)さん』が登場するとか。真木ようこに期待。
 それにしても龍馬の初恋の相手、平井加尾役の広末涼子は抜群にいいなぁ。

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 TBS「新参者」の主演の阿部寛がいいねぇ。加賀恭一郎役は最適役者かも。長身の刑事を『デカ』と呼ぶ(笑)。

 思いつくマンマの感想でした。

2010年5月22日土曜日

佐伯泰英「孤愁ノ春」

江戸を脱出した磐音とおこん

 佐伯泰英の人気シリーズ、居眠り磐音第33弾「孤愁ノ春」(双葉文庫)を読む。
 前巻の「更衣ノ鷹」の(上)(下)では、事態が大きく動いた。次期11代将軍と目されていた徳川家基が、老中・田沼意次に陰謀で毒殺された。磐音の義父母である佐々木玲園とおえいが自栽し、尚武館が閉鎖された。
 そして、今回は小梅村にある両替商・今津屋の御寮で身を寄せていた磐音が身ごもったおこんを連れ、厳しい田沼配下の監視をかいくぐり江戸を離れる。佐々木家を断絶させようと、執拗に田沼一派の追手が迫る――。

 さて、これからどのような展開になるのやら。よくぞストーリーをひねり出し33巻まで書いたものだと感心する。多少惰性で読んでいる感は否めないが、毎回そこそこに面白いのだ。新刊が出れば必ず買い求める。これって佐伯泰英の筆の魔術にかけれているのだろうか。

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「孤愁」といえば松島アキラが歌唱した青春歌謡「湖愁」だよね。作詞・宮川哲夫、作曲は渡久地政信だ。
 ♪悲しい恋の なきがらは
  そっと流そう 泣かないで
 ホントにどうでもいい蛇足でした(笑)。
2010年5月22日読了孤愁ノ春ー居眠り磐音江戸双紙(33) (双葉文庫)

2010年5月21日金曜日

東尾パパが理子に問う

「ほんまに中古でいいのか

 これはシロイヌだ。中古車販売「ガリバー」の新CMがオンエアされている。出演しているのは東尾修・理子の親子。 

 結婚当日の結婚式場控室。
父「ほんまに中古でいいのか」
娘「いいの。私、決めたの。パパは知らないのよ、中古のよさを」

 嫁ぐ娘の行く末を心配する花嫁の父の心情がよく出ている。これは、ドラマでない。実生活そのものではないか。『中古』といわれている石田純一はなんと聞くのだろうか。

 クスリ、ニヤリ、微笑んじゃうよ。

2010年5月20日木曜日

吉岡治:名曲FOREVER

「真赤な太陽」「天城越え」「さざんかの宿」
 
 ♪まっかに燃えた 太陽だから
  真夏の海は 恋の季節なの

 真っ赤なドレスの美空ひばりが、ジャッキー吉川とブルーメッツを背に歌っていた。人気絶頂の『ブルコメ』井上忠夫や三原綱木を従えて、身体を揺すりながら。1967年(昭和42年)あのころ美空はまだ30歳。なのに、貫禄はどうだろう。まさに歌謡界の女王といった風情だった。

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 美空の新境地を開いたヒット曲「真赤な太陽」の作詞家である吉岡治(よしおか・おさむ)が亡くなった。2010年5月17日のことだった。76歳だった。
 1934年山口県生まれで東京育ち。詩人のサトウハチローに師事し、放送作家を経て作詞家になった。1965年松竹映画「悦楽」(大島渚監督)の主題歌「悦楽のブルース」(歌・島和彦)の作詞を手掛けて本格的に作詞家の道を歩んだ。以来、歌謡曲ばかりか童謡、アニメソングなど幅広く作品を世に送り出した。

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 最もポピュラーなのは石川さゆり歌唱の「天城越え」だろうか。作曲は弦哲也だ。
 ♪隠しきれない 移り香が
  いつしかあなたに 浸みついた
 カラオケの定番ソングみたいだが、「くらくら燃える 火をくぐり あなたと越えたい 天城越え」とサビを歌うと、場が盛り上がるのだよね(笑)。
 マリナーズのイチローの打席曲にもなった。

 大川栄策の最大のヒット「さざんかの宿」もいい。
 ♪くもりガラスを 手で拭いて
  あなた明日が みえますか
 作曲は市川昭介。

 瀬川瑛子にとっても吉岡治は恩人だろう。「命くれない」がある。作曲・北原じゅん。
 ♪生まれる前から 結ばれていた
  そんな気がする 紅の糸

 時々口ずさみたい曲に都はるみの「大阪しぐれ」がある。
 ♪ひとりで生きてくなんて できないと
  泣いてすがれば ネオンがネオンがしみる
 作曲は都の恩師・市川昭介である。

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 実に幅が広い。野坂昭如を補作した童謡「おもちゃのチャチャチャ」(作曲・小林亜星)や「あわてんぼうのサンタクロース」、アニメ「キャプテン翼」の主題歌から、1989年日本レコード大賞の作詞賞の「好色一代女」(歌・内田あかり)まである。
 最後になったが、美空の「真赤な太陽」の作曲家はシャープアンドフラッツの原信夫である。

 流行歌(はやりうた)の名曲には『言霊』が宿る。言霊が宿らなければ、名曲にはなり得ない。

2010年5月18日火曜日

奥村土牛展:山種美術館

「石田を耕す」101歳天寿全う

 これが95歳の作品か。漲(みなぎ)る瑞々しさはどうだろう。心技体、現役ばりばりではないか。
『犢(こうし)』とは『牛のこども』の意味だそうな。生後3カ月の兄弟牛を描いた『犢』という作品があった。絵のキャプションに奥村土牛95歳の作(1984年=昭和59年)と書かれていて、いたく驚嘆・脱帽であった。

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 東京・広尾の山種美術館で「生誕120年 奥村土牛」展(2010年4月3日~5月23日)を観る。2009年に生誕120年を迎えた日本画家、奥村土牛(1889年―1990年)を記念して、その人と芸術をたどる展覧会で、約70作品が展示されている。
 東京・京橋の1889年生まれというから明治22年。没年は1990年だから平成2年となる。明治から、大正、昭和、そして平成と生きて101歳で天寿を全うした。16歳で梶田半古塾に学ぶが、院展入選は38歳と遅咲きだった。
 号の「土牛」は、父親が寒山詩の一節「土牛石田を耕す」から引用してつけられた。まさに土牛のように、「石ころだらけの荒れた田を粘り強く耕し、美田に変えた」努力の人生だった。

草球kusatamaの心に残った作品
・聖牛:1953年作・54歳
・那智:1958年作・59歳
・鳴門:1961年作・62歳
・富士宮の富士:1982年作・93歳
・題醐:1972年作・71歳

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『山種』というのは、創設者の山崎種二から命名されたとか。ご存知の人には、釈迦に説法かもしれませんが……。
 土牛95歳の作品『犢』に、我が身の未熟さ・青さを思い知りましたな。
写真は代表作『題醐』
2010年5月18日観覧

2010年5月15日土曜日

池波正太郎「あほうがらす」

「ポン引き」「売春斡旋業者」

 池波正太郎の「あほうがらす」(新潮文庫)を読む。
 30代が司馬遼太郎、40代には「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の三大シリーズを夢中になって読んだ。そして50代以降は藤沢周平というのが草球kusatamaの読書歴だ。
 今でも思い出したように読むのだが、久々に池波ワールドを堪能した。最近の時代小説にはついぞ味わえぬ小説の粋、江戸弁の会話の自然さ――さすがですな。

 11篇からなる短編集。
・火消しの殿
・運の矢:
・鳥居強右衛門
・荒木又右衛門
・つるつる
・あほうがらす
・元禄色子
・男色武士道
・夢の茶屋
・狐と馬
・稲妻

 火消し訓練に異常な執念をみせ、色子好きの浅野内匠頭を描いた「火消しの殿」。同じく忠臣蔵を題材とし「元禄色子」は、討ち入り目前、美しい色子に恋した大石内蔵助の嫡男・15歳の主税の物語だ。
 表題となった「あほうがらす」の意味は、「店を持たず抱え女もなく、単独で女を客にとりもつ所業(しわざ)をする者を売春業者が軽蔑していう当時の呼び名」と池波自身が書いている。「ポン引き」「売春斡旋業者」の話だが……。
 11篇どれもがシロイヌ(尾も白い⇒面白い)。

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 文庫のカバー装画は池波正太郎の作品。カラスが手ぬぐいをほっかぶりして煙管をくわえている図はユーモラスだ。彼は子どもころ鏑木清方の弟子入りを目指したほど絵が好きだったという。
2010年5月14日読了あほうがらす (新潮文庫)

2010年5月11日火曜日

島野修と星野・田淵・コージ

1968年ドラフト同期生
 巨人のドラフト1位指名選手で阪急のブレービーとして活躍した島野修(しまの・おさむ)が亡くなった。2010年5月8日のことだった。59歳だった。
 1968年(昭和43年)のドラフト会議で読売ジャイアンツに1位を受け神奈川・武相高校から入団、プロ3年目の1971年に初登板初勝利を飾ったが、芽が出ず阪急ブレーブスに移籍、在籍3年で引退した。
 生涯通算成績は24試合登板、1勝4敗、防御率は5.05だった。
 選手時代に華やかな成績は残せなかったが、1981年~1998年の17年間『ブレービー』『ネッピー』の球場キャラクターとして活躍した。

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★1968年のドラフト1位指名選手(指名順)
・東映:大橋穣(亜細亜大学)内野手
・広島:山本浩司(法政大学)外野手※のちに「浩二」と改名
・阪神:田淵幸一(法政大学)捕手
・南海:富田勝(法政大学)内野手
・サンケイ:藤原真(全鐘紡)投手
・ロッテ:有藤通世(近畿大学)内野手
・近鉄:水谷宏(全鐘紡)投手
・巨人:島野修(武相高校)投手
・大洋:野村収(駒澤大学)投手
・中日:星野仙一(明治大学)投手
・阪急:山田久志(富士鉄釜石)投手
・西鉄:東尾修(箕島高校)投手

 そのとき巨人から指名を期待した星野仙一は「星と島を間違えたのではないか」と吐いたという。この悔しさをバネに星野は中日エースに伸し上がり、『巨人キラー』となった。
 それにしても1968年のドラフト会議は、綺羅星の如く輝くスター軍団揃いではないか。大豊作だった。

2010年5月10日月曜日

田宮謙次郎と田宮二郎

改名でヒットが出た

 田宮謙次郎(たみや・けんじろう)の訃報に接し田宮二郎を連想した。
『ふたり田宮』から「あの因縁話を書くのだろう」と勘を働かせた方は、野球通で且つ映画通である。
 察しの通り。草球kusatamaの思考は読みやすい(笑)。

 俳優の田宮二郎の芸名は、阪神、大毎で好打者として活躍した田宮謙次郎の名から採ったもので、映画会社大映の社長にしてプロ野球の大毎、ロッテのオーナーであった永田雅一が命名者だそうだ。

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 2010年5月5日、82歳で田宮謙次郎が亡くなった。
 かいつまんで略歴を書く。彼は茨城県立下館商業を経て日本大学へ進み、1949年(昭和24年)中退して阪神タイガースに入団した。左腕を痛め1952年から打者転向。1958年にはセ・リーグ首位打者に輝く。この年ルーキー之長嶋茂雄の活躍はめざましく、本塁打と打点王となったが、長嶋の三冠王を阻む結果となった。1959年からA級10年選手の権利を行使して大毎に移籍。山内一弘、榎本喜八、葛城隆雄らとミサイル打線を結成、1960年にはパ・リーグ優勝している。東映フライヤ―ズの監督も務めた。2002年野球殿堂入り。

 田宮二郎の本名は柴田吾郎である。妻は藤由紀子で、俳優の柴田光太郎は長男。
 本名で映画デビューした彼だが、売れなかった。田宮謙次郎の大毎移籍した1959年、永田雅一の強い勧めで『田宮二郎』と改名した。1961年「悪名」(今東光原作=田中徳三監督)で『八尾の朝吉』の勝新太郎の弟分『モートルの貞』に抜擢され、映画は大いにヒットして人気スターの仲間入りを果たしている。
 改名が運をもたらした。

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 田宮謙次郎は左右に打ち分ける技術でヒットを量産した好打者だった。永田雅一は非凡なヒットメーカーにあやかろうとして売れない役者に改名を勧めたのだろうか。

2010年5月8日土曜日

北林谷栄さんと老け役女優

飯田蝶子・浦辺粂子…菅井きん

 日本を代表する『おばあちゃん』役者、北林谷栄(きたばやし・たにえ)さんが亡くなった。2010年4月27日のことだ。98歳だった。

 草球kusatamaが子どものころから『老け役』だった。印象に残るのは、
・にあんちゃん(日活1959年=今村昌平監督)長門裕之、松尾嘉代
・キューポラのある街(日活1962年=浦山桐郎監督)吉永小百合、浜田光夫
の2作品かな。

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『老け役』女優の訃報は寂しい。映画やドラマには欠かせぬ。存在感が画面から漂って、作品の重しになっていたように思う。
・飯田蝶子=1972年75歳没
・浦辺粂子=1989年87歳没
と去り、存命の老け役名優は菅井きんぐらいか。きんサンには頑張ってもらいたいなぁ。

2010年5月7日金曜日

細川家の至宝:東京国立博物館

関ヶ原の戦いの甲冑
 これで関ヶ原の戦いに出陣したのか。400余年の歳月を経てもなお威厳を漂わす甲冑に目を見張った。関ヶ原は慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)のことである。そのとき細川忠興が身に付けた甲冑が出展されていた。

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 東京・上野の東京国立博物館で「細川家の至宝―珠玉の永青文庫コレクション」展(2010年4月20日~6月6日)を観る。

 永青文庫は、細川家伝来の文化財を後世に伝える目的で、16代の細川護立(もりたつ)が1950年(昭和25年)に設立した。本展では、初代の幽斎(ゆうさい)の和歌資料、2代目の忠興(ただおき=三斎)所有の千利休ゆかりの茶道具、その妻ガラシャの遺愛品、晩年食客となった宮本武蔵の絵画、また護立が収集した美術品も展示されている。

構成
・第1部 武家の伝統―細川家の歴史と美術―
・第2部 美へのまなざし―護立コレクションを中心に―

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草球が目を惹いた展示物
・黒糸威二枚銅具足(忠興が関ヶ原の戦いで身に付けた甲冑)
・時雨螺鈿鞍(国宝)
・乞食大燈像(白隠慧鶴筆)
・黒き猫(菱田春草筆)

 永青文庫理事長である元総理の細川護熙(もりひろ)が音声ガイドで、
・永青文庫について
・白隠と祖父護立
・白洲正子と祖父の想い出
を語っている。身近な人間しか知り得ない秘話が面白い。
2010年5月6日観覧

2010年5月4日火曜日

鳴海章「幕末牢人譚」

百姓から剣の凄腕になった男

 ペリー率いる黒船が浦賀に来航した嘉永6年、品川宿。食い詰め牢人の針谷清蔵と南部権十郎が、視察に来た佐久間象山とその供侍・勝麟太郎に交錯する。百姓の三男坊、なんとか自活の道をと侍を装って江戸に出た針谷は剣の腕はからっきし素人。もうひとり南部は腕がたつが、無類の酒好きだった。

 鳴海章の「幕末牢人譚 秘剣 念仏斬り」(集英社文庫)を読む。

 針谷は中山道の武州浦和の先、針ヶ谷村の百姓の生まれ。本家の物置に埃をかぶっていた銘などない刀を持ち出し、幼馴染の鍛冶屋の倅に研いでもらい江戸に出てきた。剣を知らない男が、勝麟太郎の家で会った倉田の食客となり剣の道を学び、凄腕に成長していく――。

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 この作品は恐らくシリーズ化するだろう。

 縄田一男が巻末解説で書いていることだが、なぞらせてもらう。南部権十郎は、南條範夫原作の『月影兵庫』の近衛十四郎を、また、針谷の師匠の倉田は大佛次郎原作のあの『鞍馬天狗』の偽名である『倉田典膳』をモデルにしているようだ。読んでいて時代劇好きはニヤリとさせられる。
 勝麟太郎、坂本龍馬、佐久間象山、清河八郎ら歴史上の人物も登場、幕末という時代を活写している。
2010年5月4日読了幕末牢人譚 秘剣 念仏斬り (集英社文庫)

2010年5月1日土曜日

GW育ての親:永田雅一さん

命名は専務の松下英夫、広めたラッパ

GWゴールデンウィークの命名者は永田雅一だと聞いたことがある。どうやら『生みの親』というより『育ての親』だった。

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 永田サンって知っていますか? 映画会社・大映の社長にしてプロデューサーであり、プロ野球・大映スターズや大毎オリオンズ(現ロッテ)のオーナーであり、その大言壮語から『永田ラッパ』などと異名をとった名物男です。

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 GWは映画業界用語だった。1951年(昭和26年)大映と松竹とで獅子文六原作の「自由学校」を同時上映となったが、大映作品が当時創設以来の記録的な興行成績を残した。
 以来、4月29日(天皇誕生日のちに昭和の日)から5月5日(こどもの日)までの休日の多い1週間を、正月やお盆の時期と並ぶ稼ぎ時、観客動員をかける造語として、大映専務の松下英夫が命名した。社長の永田雅一が大いに遣いまくり、マスコミ媒体に露出され、一般化していった。
 ちょいmemoでした。