2011年8月30日火曜日

文治派と武断派の対立:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第33回=徳川の嫁)
勝ち目のない戦に首を突っ込むつもりはない。
 と言い残して、黒田官兵衛(柴俊夫)が石田三成(萩原聖人)のもとを去った。
 秀吉亡き後の政局をめぐり、三成は官兵衛に「家康のことともに考えてもらいたい」と意見を願うが、「三成殿は人の心がわからぬ」と断れてしまう。

 朝鮮出兵以降、政務を担う三成ら文治派と、合戦の最前線で闘う福島正則、加藤清正ら武断派は溝を深める。政権中枢にあり権力を増す文治派に、命をかけて修羅場をくぐる武断派は反発を強めた。一方、徳川家康(北大路欣也)は豊臣家の許可を得ず、伊達政宗や福島正則との政略結婚を進めるなど専横の度合いを強める。
 家康の野望を察し、三成は官兵衛ら秀吉ゆかりの武将たちに協力を求めるが、すげなく断わられ、四面楚歌の状態となった。
 慶長4年(1599年)33日。文治派と武断派の調停にあたっていた大老の前田利家が亡くなると、翌4日福島正則、加藤清正らの武断派が三成の屋敷襲撃する事件が起った。利家と並ぶ大老の家康のとりなしで、三成は一命をとりとめたが、居城・佐和山城に隠居させられた。

・文治派:石田三成、大谷吉継、小西行長
・武断派:福島正則、加藤清正

×  ×  ×

 蟄居する石田三成を佐和山城に送り届ける役で結城秀康(前田健)が再登場しました。家康が正室の築山殿の奥女中に手をつけ生まれた家康の次男。三男の秀忠(向井理)と、同じ父親なのに随分とルックスが違いますよね(笑)。この配役、意図的なのでしょうね。
 さて江(上野樹里)ですが、生まれたのは千に続き、またしても女の子でした。嫡男を期待した大姥局(加賀まりこ)の落胆ぶりが笑えました。

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東野圭吾「使命と魂のリミット」

ストーリーテラーの手錬れ
 東野圭吾の「使命と魂のリミット」(角川文庫)を読む。

 手術中に死んだ父は、意図的に執刀医によって死に至らしめられたのではないか――疑惑を抱き、氷室夕紀は医学の道を志した。帝都大学医学部を卒業後、研修医となり、父・健介の執刀医であった心臓血管外科の権威、西園教授のもとに就いた。
 研修医として忙殺された日々を送っていたある日。大学病院の駐輪場で、夕紀は脅迫状を見つけた。帝都大学の医療ミスを告発し、謝罪しなければ、破壊するという内容だった。
 捜査にあたったのは父・健介の警察官時代の後輩で、警視庁刑事・七尾行成だった。

×  ×  ×

 この小説のジャンルは、医療ミステリーとでもいうのでしょうか。医学用語に手術の描写など取材の努力が感じられます。本屋に行くと、東野圭吾さんの作品は馬に喰わせるほどあります(笑)。売れ筋。ベストセラー作家です。感心するのは、読んでみると、どの本も一定のクオリティを保っているということです。駄作が少ない。これって作家の努力なくしてはできないことですよね。
読ませるコツを知っています。さすがストーリーテラーの手錬れですな。
2011827日読了

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2011年8月28日日曜日

ヨコハマ トリエンナーレ2011

横浜美術館・日本郵船海岸倉庫
 3年に1度開催される現代アートの国際展、「ヨコハマ トリエンナーレ2011 OUR MAGIC HOUR―世界はどこまで知ることができるか?」(201186日~116日)が横浜・みなとみらいの横浜美術館、日本郵船海岸倉庫で行われている。世界や日常の不思議、魔法のような力などに注目し、国内外で活躍する現代美術家の作品をはじめ、横浜美術館の所蔵品なども織り込んだ企画を展開している。
 
×  ×  ×

 荒木経惟、横尾忠則ら名前の知ったご仁の作品は、なるほどと興味深く拝見したが、一見サンの芸術家作品(美術愛好者でなくてスイマセン)は敷居が高い展示でした。
  さて、芸術とは何か?
  頭のなかで混乱している野暮なのです。

追伸
  湯本豪一コレクションの怪奇映画のポスターなどの展示が面白かった。新東宝の明智十三郎主演のものは懐かしかったな。
2011年8月23日観覧

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2011年8月23日火曜日

怖そうな加賀まりこ・大姥局:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第32回=江戸の鬼)

お召し物の派手なこと。

これからは徳川の流儀に慣れてもらわなくてはなりませぬ。

 大姥局(加賀まりこ)が初対面の江(上野樹里)に早くも注文をつけた。



 慶長3年(1598年)秀吉が亡くなると、石田三成(萩原聖人)は徳川家康(北大路欣也)の命を狙っているとの噂が広がった。家康は秀忠(向井理)と江に江戸に向うように命じた。その江戸では、秀忠の乳母である大姥局(おおばのつぼね)が待ち受けていた。口うるさい姑のような存在。いきなり江の派手な着物をやり玉にあげたのだった。



×  ×  ×



 初登場した大姥局の加賀まりこが江の上野樹里を見つめる表情に凄みがありました(笑)。怖そうでした。



 江戸に下る前に、江がゆかりの人たち別れを告げます。

・ガラシャ(ミムラ)

・初(水川あさみ)

・龍子(鈴木砂羽)

・淀(宮沢りえ)

そして、北政所(大竹しのぶ)に「豊臣と徳川の争いならぬよう、お口ぞえくださいませ」と、秀吉亡き後の豊臣と徳川の緊張緩和を託しました。
 そのとき、北政所の言葉が印象的であり、その後のふたりを行く末を暗示していましたな。

「これから私と淀殿の歩く道が変わってしまうかもしれません」

 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い。その後、慶長8年に秀忠の長女・千姫が豊臣の後継者・秀頼に嫁ぐのを契機に、北政所は落飾し、高台院となり、東山に高台寺を建立し、秀吉の菩提を弔いました。淀は徳川家との関係を悪化し、慶長20年大坂夏の陣で敗れ秀頼とともに自害したのでした。




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2011年8月16日火曜日

天下人・秀吉死す:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第31回=秀吉死す)
そなたのおかげで面白かったぞ。
今度こそは、徳川の家で幸せになってくれ。
さらばじゃ、江。
  豊臣秀吉(岸谷五朗)が江(上野樹里)に言葉を残した。
 秀吉の病状悪化にも見舞いをためらっていた江だが、ついに面会する。「大切なものを次々に奪っていった。あなたを殺したい。病などで死なれては困るのです」と江は、秀吉への複雑な感情を発露した。
  が、天下人の秀吉は世を去った。慶長3年(1598年)818日。62歳。

 慶長25月。江は秀忠との子、千を出産した。
  慶長33月。京の醍醐寺で盛大な花見を開くが、その後、体調を崩し床に伏せった。自らの死期を悟った秀吉は、我が子の秀頼を後継としようと、病床で徳川家康に訴える。
 家康は「秀頼さまがご成長あそばしたあかつきには、政事(まつりごと)をただちにお返しいたします」と誓約するのだった。

×  ×  ×

 秀吉との別れのシーンで、江がゆかりの人たちを回想しました。
・父の浅井長政(時任三郎)
・母の市(鈴木保奈美)
・養父の柴田勝家(大地康雄)
2番目の夫・秀勝(AKIRA
・千利休(石坂浩二)
・秀次(北村有起哉)
  みんな秀吉の前に亡くなりました。それぞれの人にドラマがあり、感慨がありましたな。

秀吉の辞世の句
露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢
 

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2011年8月14日日曜日

堂場瞬一「邂逅」

大学理事長が失踪した。
 堂場瞬一の「邂逅」(中公文庫)を読む。警視庁失踪課・高城賢吾シリーズ第3弾。

 大学の理事長が失踪したと捜索願が出された。捜査を始めると、捜索依頼した理事長の母親が態度を一変し、非協力的になった。高城賢吾は疑問を抱いた。一方、仙台で女性の遺体が見つかり、法月大智の担当していた大学職員の失踪者だとわかった。
 定年間近い法月が遮二無二に捜査に乗り込むのはなぜか。法月の娘で弁護士はるかに、別れたやはり弁護士の妻と、同じ匂いを感じる高城……。

×  ×  ×

 読書が進まない。元来遅読だが、さらに遅く。寝る前にベッドで読むことが多いが、翌朝になると内容が頭に入っていないことがわかる。これはボケか、はたまたトリアタマ状態か。己を不安に感じる今日このごろである。
高城賢吾シリーズ
・第1弾「蝕罪」2011/05/15
・第2弾「相剋」2011/06/07
2011812日読了

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2011年8月13日土曜日

日本画どうぶつえん展:山種美術館

「班描」それとも「斑猫」:「はんびょう」それとも「はんみょう」
毛づくろいするエメラルドグリーンの目をした猫を描いた重要文化財の「班描」など日本画の動物絵を集めて「夏休み企画 日本画どうぶつえん」展(2011730日~911日)が、東京・広尾の山種美術館で開催されている。

さすがに竹内栖鳳は動物を描けば、その匂いまで描くといわれる達人だった。
昨年3月同館で開催された「大観と栖鳳」展で観た「班描」だったが、やはり魅了された。毛づくろい猫の仕草の自然さ、ふんわりした毛の質感は生きているようだ。その猫の目、エメラルドグリーンになんとも心惹かれる。
1924年(大正13年)の作品。旅先の沼津の八百屋の店先でみた猫に、竹内栖鳳は思わず声をあげた。「徽宗皇帝の猫だ」。描きたい衝動にかられ、宿の主人を介して猫を譲り受ける交渉を重ね、彼の絵と猫を物々交換した。京都に連れ帰り描いた作品が「班描」だった。
栖鳳は箱書きに「班描」と記していて、所蔵の山種美術館では「斑猫」でなく「班描」としている。この作品名としては、「斑猫」が一般的に使われているのだろうか。また「はんみょう」と表記も見られるが、「はんびょう」とも、さぁどっち?

展示構成&惹かれた作品
・第1章:動物園 ―愛しきものたち― 竹内栖鳳「班描」1924年/西村五雲「白熊」1907
・第2章:鳥類園 ―翼をもつものたち― 横山大観「木兎」1926年/
・第3章:水族園 ―水の中のいきものたち―
・第4章:昆虫園 ―小さきものたち― 速水御舟「昆虫2題 葉陰魔手・粧蛾舞戯」1926

×  ×  ×

 山種美術館の所蔵品といえば、竹内栖鳳の「班描」と並んで有名なのですが、速水御舟の「炎舞」ですが、こちらは823日から「班描」に替わり展示されるそうです。
2011811日観覧

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2011年8月9日火曜日

徳川家の妻になる:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第30回=愛しき人よ)

お許しくださいませ。

そして私をあなた様の妻にしてくださいませ。

 江(上野樹里)は秀忠(向井理)に頭を下げた。

秀忠は江を迎え入れた。夫婦として初めて結ばれた。



 文禄5年(1596年)夏。徳川家に輿入れして10カ月。江は秀忠に離縁を申し出た。そして、ある夜。伏見・徳川屋敷が火事にみまわれる。身を挺して自分を救った秀忠に、江は心を開き徳川の妻として生きることを決意するのだった。



×  ×  ×



 夫婦になることを先に望んだ方が負け――秀忠は江に対して一方的に賭けを提案しました。そこで大火事が起り、離縁を決意した江の気持ちが秀吉に傾きます。江が詫びを入れると、

秀忠:「それでは、私の勝ちということで……」

江:「なんというか、そんな言い方は……」

 にやりとする秀忠に、あきれる江の場面が笑えましたな。

 歴史時代劇というよりは、軽いラブコメディのノリでした(笑)。



 さて次回の31回は「秀吉死す」です。天下人が次期政権をめぐり家康らの思惑が交錯しそうですな。




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藤島武二・岡田三郎助展:そごう美術館

うなじから清らかな色香が匂い立っていました――。岡田三郎助の代表作「あやめの衣」などが展示している「藤島武二・岡田三郎助展 女性美の競演」(2011728日~94日)が、横浜駅東口・そごう美術館で開催されている。明治末期から昭和前期に活躍し、日本の近代洋画の基礎を築いた二人の画家の作品約100点を展示している。

・藤島武二(ふじしま・たけじ=1867年―1943年)
・岡田三郎助(おかだ・さぶろうすけ=1869年―1939年)
 慶応3年に薩摩藩士の子として生まれた藤島と、2年後の明治2年に肥前鍋島藩の名家に生まれた岡田はともに同じような経歴をたどった。それぞれ曽山幸彦の画塾で洋画を学び、時期を異にしてヨーロッパ留学したのち、東京美術学校の教授となった。1912年には本郷洋画研究所を設立し、後進の指導に努めた。二人は同世代の洋画家として切磋琢磨した。
  岡田の妻・八千代は小説家、劇作家で、小山内薫の妹。

展示構成
・第1章:初期の作品
・第2章:中期の作品
・第3章:円熟期の作品

「あやめの衣」岡田三郎助:1927
 若い女性の後ろ姿――。着物を肩から滑り落とした。うなじと右肩が露わにになり、その柔肌が白く光っている。肌の白さを強調しているのは藍色の着物だ。藍の地にあやめが描かれ、腕から腰にかけて赤い模様が走り、アクセントになっている。女性の黒髪はアップにまとめられている。耳はピンクに染まっている。
 清潔な色香が漂ってくる。

 会場には、「あやめの衣」を描いたときにモデルが着た着物が展示されています。
201187日観覧

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2011年8月6日土曜日

「橋」ものがたり展:三井記念美術館

架橋100年の日本橋に佇む重厚の館
 石造りの日本橋が明治44年(1911年)に架けられてから、2011年はちょうど100年にあたる。日本橋架橋百年記念特別展「日本美術にみる『橋』ものがたり―天橋立から日本橋まで―」(2011年79日~94日)が東京・日本橋の三井記念美術館で開催している。美術品に描かれた橋に視点を広げ、日本人に橋に対する思いや、文化的意味を考える展示。

展示構成&惹かれた作品
1 工芸に見る 橋の意匠 
   ・「色絵柳橋図水指」 野々村仁清作 江戸時代17世紀
    ・「志野茶碗 銘 住吉」 桃山時代1617世紀
   ・「志野茶碗 銘 橋姫」 桃山時代1617世紀
2   橋にちなんだ茶道具取り合わせ
31 神仏の橋 天界・浄土とこの世の架け橋
32 神仏の橋 聖俗境界の橋
33 名所・文学の橋
     ・「乗興舟」 伊藤若冲筆 江戸時代18世紀
4 諸国の橋
5 橋の番付 日本大橋尽くし
6 京の橋・江戸の橋
   ・「洛中洛外図屏風(歴博D本)」 江戸時代
   ・「隅田川風物図巻」 江戸時代
 
 慶長8年(1603年)に徳川家康が征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開府し、初代の日本橋(木造)が造られた。翌年、5街道の起点となった。
・東海道
・日光道
・奥州街道
・中山道
・甲州街道
 現在の石造の橋は19代目で、1911年に架けられ関東大震災(1923年)や東京大空襲(1944年)を経て、なお威容を誇っている。国の重要文化財。
 
×  ×  ×
 
 昭和初期の洋風建築として国の重要文化財に指定されている三井本館の7階にある美術館あけに、三井記念美術館は重厚な佇まいでした。また国宝茶室「如庵」の室内を再現されていて、これも一見の価値がありますぞ。
「源氏物語」や「伊勢物語」に通暁していないと、作品を深く理解できないと痛感しました。

佐藤玄々作「天女(まごころ)像」
  三井記念美術館のついでに日本橋三越に寄り、佐藤玄々作の「天女像」を観ました。1960年(昭和35年)に完成した、本館1階ホールから4階に届くようにそびえる像です。鉄骨の基礎を用いた木彫。高さ11メートル。総重量6750キロ。樹齢500年の檜で造られ、降臨する天女の姿を描いています。美術番組「美の巨人たち」(2011723日放送)で、「天女像」を扱っていたので、興味がわき巨像を拝したいと思っていました。絢爛たる色彩は50年の歳月が経っても輝きを失いませんな。
201184日観覧
 
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