勝ち目のない戦に首を突っ込むつもりはない。
と言い残して、黒田官兵衛(柴俊夫)が石田三成(萩原聖人)のもとを去った。
秀吉亡き後の政局をめぐり、三成は官兵衛に「家康のことともに考えてもらいたい」と意見を願うが、「三成殿は人の心がわからぬ」と断れてしまう。
朝鮮出兵以降、政務を担う三成ら文治派と、合戦の最前線で闘う福島正則、加藤清正ら武断派は溝を深める。政権中枢にあり権力を増す文治派に、命をかけて修羅場をくぐる武断派は反発を強めた。一方、徳川家康(北大路欣也)は豊臣家の許可を得ず、伊達政宗や福島正則との政略結婚を進めるなど専横の度合いを強める。
家康の野望を察し、三成は官兵衛ら秀吉ゆかりの武将たちに協力を求めるが、すげなく断わられ、四面楚歌の状態となった。
慶長4年(1599年)3月3日。文治派と武断派の調停にあたっていた大老の前田利家が亡くなると、翌4日福島正則、加藤清正らの武断派が三成の屋敷襲撃する事件が起った。利家と並ぶ大老の家康のとりなしで、三成は一命をとりとめたが、居城・佐和山城に隠居させられた。
・文治派:石田三成、大谷吉継、小西行長
・武断派:福島正則、加藤清正
× × ×
蟄居する石田三成を佐和山城に送り届ける役で結城秀康(前田健)が再登場しました。家康が正室の築山殿の奥女中に手をつけ生まれた家康の次男。三男の秀忠(向井理)と、同じ父親なのに随分とルックスが違いますよね(笑)。この配役、意図的なのでしょうね。
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