瞼の昭和
昭和の歌謡界を代表する作曲家、遠藤実が2008年12月6日死去した。「高校三年生」「北国の春」など誰にでも愛唱される歌謡曲作りに心血を注ぎ、5000余曲を世に送り出した。76歳だった。
哀愁と親しみやすさを感じる、その楽曲を口ずさみながら、草野球音的「遠藤実アンソロジー」を―― 。
作曲家・遠藤実が世に出たのは、1957年(昭和32年)だった。東京生まれ、新潟に疎開し育つ。17歳で上京し、ギター抱えた流しの生活を送った末、作曲家となる。
デビュー曲は「お月さん今晩わ」。作詞は松村又一。藤島桓夫の独特の鼻にかかった甘い歌声を記憶している。
♪こんな淋しい 田舎の村で
若い心を 燃やしてきたに
以後、ヒット曲を毎年のように生み出す。翌1958年には島倉千代子の「からたち日記」(作詞・西沢爽)だ。「幸せになろうね、あの人はいいました‥‥」台詞も島倉ファンを痺れさせた。
♪こころで好きと 叫んでも
口では言えず ただあの人と
以前にも書いたことあるが、草野は、「くちづけさえの 想い出も のこしてくれず 去りゆく影よ」という二番の歌詞がいいなぁ。
浅草姉妹(1959年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
♪何も言うまい 言問橋の
水に流した あの頃は
双子姉妹こまどりのこぶしが心地よかった。
アキラのドンドコ節(1960年=歌・小林旭、作詞・西沢爽)
♪町のみんなが 振り返る
青い夜風も 振り返る
小林旭の頭のてっぺんから出すような高音が響いた。ドリフや氷川きよしのズンドコ節の先駆けといえる。
ソーラン渡り鳥(1961年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
♪津軽の海を 越えて来た
ねぐら持たない みなしごつばめ
三番の歌詞の「瞼の裏で咲いている 幼馴染のはまなすの花」というフレーズが好きだ。
おひまなら来てね(1961年=歌・五月みどり、作詞・枯野迅一郎)
♪おひまなら来てよね 私淋しいの
知らない 意地悪
当時、二十歳そこそこの五月の色っぽさは少年をどきりとさせた。
襟裳岬(1961年=歌・島倉千代子、作詞・丘灯至夫)
♪風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
春はいつ来る 灯台守と
当地には、森進一(作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎)の曲と、2つの歌碑があるそうだ。
若いふたり(1962年=北原謙二、作詞・杉本夜詩美)
♪君には君の 夢があり
僕には僕の 夢がある
青春歌謡というジャンルのはしりではなかろうか。北原謙二は大阪の浪商出身という、平凡だか明星だかで読んだことを覚えている。鼻に抜けるような高音が懐かしい。
1963年(昭和38年)には舟木一夫の「高校三年生」が世に出る。作詞は丘灯至夫。
♪赤い夕日が 校舎をそめて
ニレの木陰に 弾む声
舟木が学生服姿でデビューした。凄まじい勢いでスター街道を突っ走った。同年に「修学旅行」「仲間たち」「学園広場」と遠藤実はたて続けに作曲する。
修学旅行(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
♪二度とかえらぬ 思い出乗せて
クラス友達 肩寄せあえば
仲間たち(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・西沢爽)
♪歌をうたって いたあいつ
下駄を鳴らして いたあいつ
学園広場(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・関沢新一)
♪空にむかって あげた手に
若さがいっぱい とんでいた
詰襟の舟木一夫と、着流しの橋幸夫が歌謡界の人気を二分していた。通っていた中学校では舟木派と橋派の女の子たちの「派閥」が出来上がった。西郷輝彦を加えて「御三家」となるのは、この後である。
橋は吉田正門下生として有名だが、デビュー前に遠藤実に歌唱指導を受けていたそうだ。
哀愁出船(1963年=歌・美空ひばり、作詞・菅野小穂子)
♪遠く別れを 泣くことよりも
いっそ死にたい この恋と
歌謡界の女王にもしっかり楽曲を提供している遠藤であった。
ギター仁義(1963年=歌・北島三郎、歌詞・嵯峨哲平)
♪雨の裏町 とぼとぼと
俺は流しの ギター弾き
遠藤実の実体験を曲に託したと知ったのは、二十台半ばであった。サブちゃんも流しだった。
君たちがいて僕がいた(1964年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
♪清らかな青春 爽やかな青春
大きな夢があり
青春の城下町(1964年=歌・梶光夫、西沢爽)
♪流れる雲よ 城山に
のぼれば見える 君の家
梶光夫の素朴な歌い方が曲に合っていたと思う。
星影のワルツ(1966年=千昌夫、作詞・白鳥園枝)
♪別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君にため
歌声にも東北なまりの出る千の歌唱に好感を抱いた。
こまっちゃうナ(1966年=歌・山本リンダ、作詞作曲・遠藤実)
♪こまっちゃうナ デイトにさそわれて
どうしよう まだまだはやいかしら
作詞も遠藤。リンダの舌たらずの歌声にぶっ飛んだ。
他人船(1966年=歌・三船和子、作詞作曲・遠藤実)
♪別れてくれと 云う前に
死ねよと云って ほしかった
作詞も遠藤。三船和子がしっとり歌っていた。
新宿そだち(1967年=歌・大木英夫・津山洋子、作詞・別所透)
♪女なんてさ 女なんてさ
嫌いと思って見ても
君がすべてさ(1968年=歌・千昌夫、作詞・稲葉爽秋)
♪これきり逢えない 別れじゃないよ
死にたいなんて なぜ云うの
草野好みの1曲。
ついて来るかい(1971年=小林旭、作詞作曲・遠藤実)
♪ついて来るかい 何も聞かないで
ついて来るかい 過去のある僕に
純子(1971年=歌・小林旭、作詞作曲・遠藤実)
♪遊び上手なやつに だまされていると聞いた
噂だけだね 純子
「ついて来るかい」「純子」とも遠藤の作詞作曲で、マイトガイ旭が情感を込めて歌う。歌う映画スターでも屈指の歌唱力と思う。
せんせい(1972年=森昌子、作詞・阿久悠)
♪淡い初恋 消えた日は
雨がしとしと 降っていた
セラー服の森昌子は14歳だった。そういえばヒットメーカー阿久悠も昨年死去したのだ。
くになしの花(1973年=歌・渡哲也、作詞・水木かおる)
♪いまでは指輪も まわるほど
やせてやつれた おまえのうわさ
技巧など全く無視したような渡の歌声だったなぁ。
アケミという名で十八で(1973年=歌・千昌夫、作詞・西沢爽)
♪波止場でひろった 女の子
死にたいなんて 言っていた
アケミという名で十八で
「蹴飛ばせ 波止場のドラムカン」と千は歌っていたっけ。
すきま風(1976年=歌・杉良太郎、作詞・いではく)
♪人を愛して 人は心ひらき
傷ついてすきま風 知るだろう
杉は本物の歌手であった。
そして、1977年(昭和52年)に、世界的大ヒット曲「北国の春」がリリースされる。翌1978年に大ブレークした。海外進出し、いまでは中国はじめ東南アジアでも広く愛唱されている。
遠藤実が作った名曲「北国の春」は、坂本九の「上を向いて歩こう」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)と並び、世界で最も有名な日本の歌といえる。
作詞・いではく。歌手の千昌夫自身も思い入れ強く、この歌をNHK紅白歌合戦で3度も歌っている。
♪白樺 青空 南風
こぶし咲くあの丘 北国の
あぁ北国の春
夢追い酒(1978年=歌・渥美二郎、作詞・星野栄一)
♪悲しさまぎらす この酒を
誰が名付けた 夢追い酒と
みちづれ(1978年=歌・牧村三枝子、作詞・水木かおる)
♪水にただよう 浮草の
おなじさだめと 指をさす
雪椿(1987年=小林幸子、作詞・星野哲郎)
♪やさしさと かいしょのなさが
裏と表に ついてくる
最期を看取ったのは、遠藤実の家族と最大のヒット曲「北国の春」の作詞家いではくとその歌い手千昌夫だったという。
昭和の象徴がまたひとつ消えた。
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