確執の氷解
堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シリーズ」第5弾「帰郷」(中公文庫)を読む。
確執のあった父・宗治が病死した。葬儀のため帰郷した鳴沢了のもとに、青年が訪ねて来る。彼は、15年前の殺人事件の被害者のひとり息子、鷹取正明だった。父・洋通を殺した犯人は、父の同僚、羽鳥美智雄だと訴える。事件は宗治の葬儀当日に時効を迎えていた。「捜一の鬼」といわれた宗治が唯一未解決だった事件に、了が乗り出す。
雪虫/破弾/熱欲/弧狼と、父・宗治との心の葛藤というサイドストーリーが、上記4作のテーマである事件とは別に、シリーズを彩っていたが、この「帰郷」で了の心のわだかまりが氷解し、父の自分に対する愛情を感じるまでになる。
緑川聡、大西海の新潟県警時代の先輩、後輩の刑事が、「雪虫」以来、再登場し、事件解決への手を貸す。また、愛する内藤優美と勇樹の母子にニューヨーク行きの話が持ち上がる。勇樹が全米の人気テレビドラマに出演のオファーがあり、了と母子との関係は今後どうなるのだろうか。興味津々。
鳴沢了シリーズの「かっぱえびせん」状態は続く。「やめられない、とまらない」のだ。
2008年12月30日火曜日
2008年12月25日木曜日
藤沢周平「闇の穴」
藤沢周平の「闇の穴」(新潮文庫)を読む。
木綿触れ
小川の辺
闇の穴
閉ざされた口
狂気
荒れ野
夜が軋む
以上7つの時代小説の短編が収められている。幼女に劣情を催し、殺人まで犯す大店の主人を描いた「狂気」が興味深かった。
久々の周平ワールドを楽しむ。いつ読んでも時代短編小説の名手ぶりに唸る。
木綿触れ
小川の辺
闇の穴
閉ざされた口
狂気
荒れ野
夜が軋む
以上7つの時代小説の短編が収められている。幼女に劣情を催し、殺人まで犯す大店の主人を描いた「狂気」が興味深かった。
久々の周平ワールドを楽しむ。いつ読んでも時代短編小説の名手ぶりに唸る。
2008年12月23日火曜日
Dread Forever
ドレッドの魂
ドレッドが死んだ。
物語の展開から、それは予想されたことではありましたが、いざやって来るとちょっとジンと来ますなぁ。
ドレッドDreadってどこのどいつだよ?
えっ、知らない。ごもっとも。NHK英語講座「リトル・チャロLittleCharo~カラダにしみこむ英会話」に登場する、「ドレッド」というボクサー犬なんですな。「僕さ、ボクサー」なんてガッツ石松が、その昔ギャクっていましな。
どうでもいい? それがどうした?
失礼。たかが犬なんぞで、「ジンと来る」もないもんだ、と思うかもしれせんが、それが、まっ、隠居の話を聴いてくださいな。
この物語、よく出来ていますぞ(原作・わかぎゑふ。英語脚本・佐藤良明+栩木玲子)。主人公はチャロという、日本生まれの子犬でな。捨て犬だったところ、翔太という少年に助けられる。翔太の家族とニューヨーク旅行中に、はぐれて迷子になる。さぁ大変だ。ひとことで言えば、マンハッタンでひとりぼっちの子犬チャロが、日本へ必死に戻ろうとする冒険ストーリーなんですな。
迷子のチャロに、生きていく方法を教えたのが、ドレッドです。その恩人(犬)の死というわけです。4月から放送し、数えて38話目(2208年12月22日放送)。
虫の知らせで、チャロが巣に駆け戻ると、そこにマルゲリータMargheritaが悲嘆にくれて居ます。「ドレッドはどこ?どこに行ったの?」
マルゲリータが言いますな。
They carried him away , a few minutes ago… (ドレッドはさっき運ばれていったわ。ほんのちょっと前に)
かわいそうに。。。チャロはドレッドの死に目に会えなかったんですな。
さらに、マルゲリータは言います。
From now on, Dread will always be with us. (これから、ドレッドは、これからずっと、あたしたちの心の中にいるの)
アニメのキャラクターが演じるわけなんですが、どうです、ちょっと感情移入して来ませんか。
それにしても、マルゲリータは飼い主のローザがイタリアンレストラン出店のためマイアミに、キャンディCandyは飼い主クリスの心臓病術後の療養にシカゴに、とチャロは別れることになります。そしてドレッドの死‥‥「リットルチャロ」物語は急展開していますな。目が離せませんぞ。
× × ×
ところで、ペットロスPet Lossという言葉があります。家族同然のペットが死んだあと、その悲しみ・喪失感に襲われることを指すことで、日常生活に支障をきたす病的な場合は「ペットロス症候群」というそうです。
隠居の家にも、ポメラニアンの老犬がいます。無芸大食のバカ犬ですが、バカな子ほど“可愛ゆい”のですな。来年1月には14歳になります。歳とともに、視覚・嗅覚、足腰などに衰えは出ています。死んだりしたら、きっとペットロスを苦く体験することになるのだろうなぁ。
長生きしてほしい、と切実に思う昨今です。
※敬称略。文章中に事実誤認、赤字などありましたら、ご指摘くだされば幸いです。
ドレッドが死んだ。
物語の展開から、それは予想されたことではありましたが、いざやって来るとちょっとジンと来ますなぁ。
ドレッドDreadってどこのどいつだよ?
えっ、知らない。ごもっとも。NHK英語講座「リトル・チャロLittleCharo~カラダにしみこむ英会話」に登場する、「ドレッド」というボクサー犬なんですな。「僕さ、ボクサー」なんてガッツ石松が、その昔ギャクっていましな。
どうでもいい? それがどうした?
失礼。たかが犬なんぞで、「ジンと来る」もないもんだ、と思うかもしれせんが、それが、まっ、隠居の話を聴いてくださいな。
この物語、よく出来ていますぞ(原作・わかぎゑふ。英語脚本・佐藤良明+栩木玲子)。主人公はチャロという、日本生まれの子犬でな。捨て犬だったところ、翔太という少年に助けられる。翔太の家族とニューヨーク旅行中に、はぐれて迷子になる。さぁ大変だ。ひとことで言えば、マンハッタンでひとりぼっちの子犬チャロが、日本へ必死に戻ろうとする冒険ストーリーなんですな。
迷子のチャロに、生きていく方法を教えたのが、ドレッドです。その恩人(犬)の死というわけです。4月から放送し、数えて38話目(2208年12月22日放送)。
虫の知らせで、チャロが巣に駆け戻ると、そこにマルゲリータMargheritaが悲嘆にくれて居ます。「ドレッドはどこ?どこに行ったの?」
マルゲリータが言いますな。
They carried him away , a few minutes ago… (ドレッドはさっき運ばれていったわ。ほんのちょっと前に)
かわいそうに。。。チャロはドレッドの死に目に会えなかったんですな。
さらに、マルゲリータは言います。
From now on, Dread will always be with us. (これから、ドレッドは、これからずっと、あたしたちの心の中にいるの)
アニメのキャラクターが演じるわけなんですが、どうです、ちょっと感情移入して来ませんか。
それにしても、マルゲリータは飼い主のローザがイタリアンレストラン出店のためマイアミに、キャンディCandyは飼い主クリスの心臓病術後の療養にシカゴに、とチャロは別れることになります。そしてドレッドの死‥‥「リットルチャロ」物語は急展開していますな。目が離せませんぞ。
× × ×
ところで、ペットロスPet Lossという言葉があります。家族同然のペットが死んだあと、その悲しみ・喪失感に襲われることを指すことで、日常生活に支障をきたす病的な場合は「ペットロス症候群」というそうです。
隠居の家にも、ポメラニアンの老犬がいます。無芸大食のバカ犬ですが、バカな子ほど“可愛ゆい”のですな。来年1月には14歳になります。歳とともに、視覚・嗅覚、足腰などに衰えは出ています。死んだりしたら、きっとペットロスを苦く体験することになるのだろうなぁ。
長生きしてほしい、と切実に思う昨今です。
※敬称略。文章中に事実誤認、赤字などありましたら、ご指摘くだされば幸いです。
2008年12月20日土曜日
ちょいとmemorandum
国民栄誉賞
2008年12月6日に死去した作曲家、遠藤実に国民栄誉賞が贈られることになった。「高校三年生」「北国の春」など5000曲におよぶ大衆歌謡を世に送り出した功績を讃えられての受賞。これで、作曲家では古賀政男、服部良一、吉田正に次ぎ4人目。
国民栄誉賞は、「国民に広く敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績をあった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」とし、1977年に創設された内閣総理大臣表彰で、遠藤実は16人目の表彰となる。
過去の受賞者と総理大臣
王貞治1977年=福田赳夫
古賀政男1978年=福田赳夫
長谷川一夫1984年=中曽根康弘
植村直己1984年=中曽根康弘
山下泰裕1984年=中曽根康弘
衣笠祥雄1987年=中曽根康弘
美空ひばり1989年=宇野宗佑
千代の富士1989年=海部俊樹
藤山一郎1992年=宮沢喜一
長谷川町子1992年=宮沢喜一
服部良一1993年=宮沢喜一
渥美清1996年=橋本竜太郎
吉田正1998年=橋本竜太郎
黒澤明1998年=小渕恵三
高橋尚子2000年=森喜朗
イチローは、2001年(大リーグ初の日本人首位打者)と2004年(シーズン最多安打記録)と2度にわたり受賞を打診されたが、「現役でまだ発展途上にあり、いただけるなら引退時にいただきたい」と固辞している。
国民的な人気という点では、長嶋茂雄は「国民栄誉賞」に最適人と草野は思うが、これまで受賞のタイミングがなかったようだ。石原裕次郎は亡くなったとき、受賞してもよかったのはないか。また、比較論からいえば、高橋尚子が選ばれたのなら、谷亮子や北島康介はどうなのだろうか。
とかく支持率低迷内閣の人気とりといわれる賞だが、基準があるようであいまいで、“そのときの機運”で決まるようである。
だが、しかし‥‥。選らばれた歴代16人の偉業は、燦然と輝いている。
2008年12月6日に死去した作曲家、遠藤実に国民栄誉賞が贈られることになった。「高校三年生」「北国の春」など5000曲におよぶ大衆歌謡を世に送り出した功績を讃えられての受賞。これで、作曲家では古賀政男、服部良一、吉田正に次ぎ4人目。
国民栄誉賞は、「国民に広く敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績をあった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」とし、1977年に創設された内閣総理大臣表彰で、遠藤実は16人目の表彰となる。
過去の受賞者と総理大臣
王貞治1977年=福田赳夫
古賀政男1978年=福田赳夫
長谷川一夫1984年=中曽根康弘
植村直己1984年=中曽根康弘
山下泰裕1984年=中曽根康弘
衣笠祥雄1987年=中曽根康弘
美空ひばり1989年=宇野宗佑
千代の富士1989年=海部俊樹
藤山一郎1992年=宮沢喜一
長谷川町子1992年=宮沢喜一
服部良一1993年=宮沢喜一
渥美清1996年=橋本竜太郎
吉田正1998年=橋本竜太郎
黒澤明1998年=小渕恵三
高橋尚子2000年=森喜朗
イチローは、2001年(大リーグ初の日本人首位打者)と2004年(シーズン最多安打記録)と2度にわたり受賞を打診されたが、「現役でまだ発展途上にあり、いただけるなら引退時にいただきたい」と固辞している。
国民的な人気という点では、長嶋茂雄は「国民栄誉賞」に最適人と草野は思うが、これまで受賞のタイミングがなかったようだ。石原裕次郎は亡くなったとき、受賞してもよかったのはないか。また、比較論からいえば、高橋尚子が選ばれたのなら、谷亮子や北島康介はどうなのだろうか。
とかく支持率低迷内閣の人気とりといわれる賞だが、基準があるようであいまいで、“そのときの機運”で決まるようである。
だが、しかし‥‥。選らばれた歴代16人の偉業は、燦然と輝いている。
2008年12月18日木曜日
刑事・鳴沢了「弧狼」
巨躯大食漢の今
堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シリーズ」の第4弾「弧狼」(中公文庫)を読む。
ひとりの刑事が死に、ひとりの刑事が失踪した。青山署の生活安全課から刑事課異動となった鳴沢了が、本庁理事官の沢登から、その特命捜査を受けるところから、ドラマは始まる。
コンビを組む刑事は、練馬北署の、255ポンドの巨躯で大食漢の今敬一郎(こん・けいいちろう)だ。末は僧侶となる身で、気配りもできる人物。憎めないキャラクターである。また、シリーズ第2弾「破弾」でコンビを組んだ小野寺冴が、刑事を辞め、私立探偵となって再登場するのも妙味だ。
極秘捜査は困難を極めるが、愛する優美の身辺にも危険が及ぶなか、了と確執のある、父・宗治が胃癌で療養していることが判明する。
新潟県警時代の同僚刑事、新谷を通じて父の助言を受け、事件解決の闘志をたぎらせる了が、警察内部の不祥事に迫る。
堂場瞬一はストーリーテラーですなぁ。今回も展開で読ませてくれました。
堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シリーズ」の第4弾「弧狼」(中公文庫)を読む。
ひとりの刑事が死に、ひとりの刑事が失踪した。青山署の生活安全課から刑事課異動となった鳴沢了が、本庁理事官の沢登から、その特命捜査を受けるところから、ドラマは始まる。
コンビを組む刑事は、練馬北署の、255ポンドの巨躯で大食漢の今敬一郎(こん・けいいちろう)だ。末は僧侶となる身で、気配りもできる人物。憎めないキャラクターである。また、シリーズ第2弾「破弾」でコンビを組んだ小野寺冴が、刑事を辞め、私立探偵となって再登場するのも妙味だ。
極秘捜査は困難を極めるが、愛する優美の身辺にも危険が及ぶなか、了と確執のある、父・宗治が胃癌で療養していることが判明する。
新潟県警時代の同僚刑事、新谷を通じて父の助言を受け、事件解決の闘志をたぎらせる了が、警察内部の不祥事に迫る。
堂場瞬一はストーリーテラーですなぁ。今回も展開で読ませてくれました。
2008年12月13日土曜日
刑事・鳴沢了「熱欲」
内藤優美
堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シリーズ」の第3弾「熱欲」(中公文庫)を読む。
青山署生活安全課の了は、マルチ商法の詐欺事件の内偵をする――ストーリーは始まる。
鳴沢了が、人生の、人間としての悩みを抱えながら、事件に立ち向かうシリーズだが、そのラブロマンスも一興なのだ。
第1弾の「雪虫」では幼馴染の石川喜美恵、第2弾「破弾」では同僚刑事の小野寺冴とふたりの美人が登場したが、堂場瞬一は第3弾でも読者の期待?に応える。
今度は、アメリカ留学時の親友の妹、内藤優美(ないとう・ゆみ)。小柄のキュートな美人。1度結婚に失敗し、男の子(勇樹)の母でもある。
父親との葛藤、祖父を自殺に追い込んだと思い、また尊敬する先輩を射殺せざるを得なかったトラウマを、これまで頑なに他人に弱みを見せなかった了が、初めて心の悩みを打ち明ける――その相手こそ、優美であった。
優美の兄、七海(ななみ)はニュヨーク市警の刑事で、チャイニーズマフィアも絡むサスペンス内容は読んでのお楽しみ。
堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シリーズ」の第3弾「熱欲」(中公文庫)を読む。
青山署生活安全課の了は、マルチ商法の詐欺事件の内偵をする――ストーリーは始まる。
鳴沢了が、人生の、人間としての悩みを抱えながら、事件に立ち向かうシリーズだが、そのラブロマンスも一興なのだ。
第1弾の「雪虫」では幼馴染の石川喜美恵、第2弾「破弾」では同僚刑事の小野寺冴とふたりの美人が登場したが、堂場瞬一は第3弾でも読者の期待?に応える。
今度は、アメリカ留学時の親友の妹、内藤優美(ないとう・ゆみ)。小柄のキュートな美人。1度結婚に失敗し、男の子(勇樹)の母でもある。
父親との葛藤、祖父を自殺に追い込んだと思い、また尊敬する先輩を射殺せざるを得なかったトラウマを、これまで頑なに他人に弱みを見せなかった了が、初めて心の悩みを打ち明ける――その相手こそ、優美であった。
優美の兄、七海(ななみ)はニュヨーク市警の刑事で、チャイニーズマフィアも絡むサスペンス内容は読んでのお楽しみ。
2008年12月11日木曜日
遠藤 実:memory
瞼の昭和
昭和の歌謡界を代表する作曲家、遠藤実が2008年12月6日死去した。「高校三年生」「北国の春」など誰にでも愛唱される歌謡曲作りに心血を注ぎ、5000余曲を世に送り出した。76歳だった。
哀愁と親しみやすさを感じる、その楽曲を口ずさみながら、草野球音的「遠藤実アンソロジー」を―― 。
作曲家・遠藤実が世に出たのは、1957年(昭和32年)だった。東京生まれ、新潟に疎開し育つ。17歳で上京し、ギター抱えた流しの生活を送った末、作曲家となる。
デビュー曲は「お月さん今晩わ」。作詞は松村又一。藤島桓夫の独特の鼻にかかった甘い歌声を記憶している。
♪こんな淋しい 田舎の村で
若い心を 燃やしてきたに
以後、ヒット曲を毎年のように生み出す。翌1958年には島倉千代子の「からたち日記」(作詞・西沢爽)だ。「幸せになろうね、あの人はいいました‥‥」台詞も島倉ファンを痺れさせた。
♪こころで好きと 叫んでも
口では言えず ただあの人と
以前にも書いたことあるが、草野は、「くちづけさえの 想い出も のこしてくれず 去りゆく影よ」という二番の歌詞がいいなぁ。
浅草姉妹(1959年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
♪何も言うまい 言問橋の
水に流した あの頃は
双子姉妹こまどりのこぶしが心地よかった。
アキラのドンドコ節(1960年=歌・小林旭、作詞・西沢爽)
♪町のみんなが 振り返る
青い夜風も 振り返る
小林旭の頭のてっぺんから出すような高音が響いた。ドリフや氷川きよしのズンドコ節の先駆けといえる。
ソーラン渡り鳥(1961年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
♪津軽の海を 越えて来た
ねぐら持たない みなしごつばめ
三番の歌詞の「瞼の裏で咲いている 幼馴染のはまなすの花」というフレーズが好きだ。
おひまなら来てね(1961年=歌・五月みどり、作詞・枯野迅一郎)
♪おひまなら来てよね 私淋しいの
知らない 意地悪
当時、二十歳そこそこの五月の色っぽさは少年をどきりとさせた。
襟裳岬(1961年=歌・島倉千代子、作詞・丘灯至夫)
♪風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
春はいつ来る 灯台守と
当地には、森進一(作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎)の曲と、2つの歌碑があるそうだ。
若いふたり(1962年=北原謙二、作詞・杉本夜詩美)
♪君には君の 夢があり
僕には僕の 夢がある
青春歌謡というジャンルのはしりではなかろうか。北原謙二は大阪の浪商出身という、平凡だか明星だかで読んだことを覚えている。鼻に抜けるような高音が懐かしい。
1963年(昭和38年)には舟木一夫の「高校三年生」が世に出る。作詞は丘灯至夫。
♪赤い夕日が 校舎をそめて
ニレの木陰に 弾む声
舟木が学生服姿でデビューした。凄まじい勢いでスター街道を突っ走った。同年に「修学旅行」「仲間たち」「学園広場」と遠藤実はたて続けに作曲する。
修学旅行(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
♪二度とかえらぬ 思い出乗せて
クラス友達 肩寄せあえば
仲間たち(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・西沢爽)
♪歌をうたって いたあいつ
下駄を鳴らして いたあいつ
学園広場(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・関沢新一)
♪空にむかって あげた手に
若さがいっぱい とんでいた
詰襟の舟木一夫と、着流しの橋幸夫が歌謡界の人気を二分していた。通っていた中学校では舟木派と橋派の女の子たちの「派閥」が出来上がった。西郷輝彦を加えて「御三家」となるのは、この後である。
橋は吉田正門下生として有名だが、デビュー前に遠藤実に歌唱指導を受けていたそうだ。
哀愁出船(1963年=歌・美空ひばり、作詞・菅野小穂子)
♪遠く別れを 泣くことよりも
いっそ死にたい この恋と
歌謡界の女王にもしっかり楽曲を提供している遠藤であった。
ギター仁義(1963年=歌・北島三郎、歌詞・嵯峨哲平)
♪雨の裏町 とぼとぼと
俺は流しの ギター弾き
遠藤実の実体験を曲に託したと知ったのは、二十台半ばであった。サブちゃんも流しだった。
君たちがいて僕がいた(1964年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
♪清らかな青春 爽やかな青春
大きな夢があり
青春の城下町(1964年=歌・梶光夫、西沢爽)
♪流れる雲よ 城山に
のぼれば見える 君の家
梶光夫の素朴な歌い方が曲に合っていたと思う。
星影のワルツ(1966年=千昌夫、作詞・白鳥園枝)
♪別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君にため
歌声にも東北なまりの出る千の歌唱に好感を抱いた。
こまっちゃうナ(1966年=歌・山本リンダ、作詞作曲・遠藤実)
♪こまっちゃうナ デイトにさそわれて
どうしよう まだまだはやいかしら
作詞も遠藤。リンダの舌たらずの歌声にぶっ飛んだ。
他人船(1966年=歌・三船和子、作詞作曲・遠藤実)
♪別れてくれと 云う前に
死ねよと云って ほしかった
作詞も遠藤。三船和子がしっとり歌っていた。
新宿そだち(1967年=歌・大木英夫・津山洋子、作詞・別所透)
♪女なんてさ 女なんてさ
嫌いと思って見ても
君がすべてさ(1968年=歌・千昌夫、作詞・稲葉爽秋)
♪これきり逢えない 別れじゃないよ
死にたいなんて なぜ云うの
草野好みの1曲。
ついて来るかい(1971年=小林旭、作詞作曲・遠藤実)
♪ついて来るかい 何も聞かないで
ついて来るかい 過去のある僕に
純子(1971年=歌・小林旭、作詞作曲・遠藤実)
♪遊び上手なやつに だまされていると聞いた
噂だけだね 純子
「ついて来るかい」「純子」とも遠藤の作詞作曲で、マイトガイ旭が情感を込めて歌う。歌う映画スターでも屈指の歌唱力と思う。
せんせい(1972年=森昌子、作詞・阿久悠)
♪淡い初恋 消えた日は
雨がしとしと 降っていた
セラー服の森昌子は14歳だった。そういえばヒットメーカー阿久悠も昨年死去したのだ。
くになしの花(1973年=歌・渡哲也、作詞・水木かおる)
♪いまでは指輪も まわるほど
やせてやつれた おまえのうわさ
技巧など全く無視したような渡の歌声だったなぁ。
アケミという名で十八で(1973年=歌・千昌夫、作詞・西沢爽)
♪波止場でひろった 女の子
死にたいなんて 言っていた
アケミという名で十八で
「蹴飛ばせ 波止場のドラムカン」と千は歌っていたっけ。
すきま風(1976年=歌・杉良太郎、作詞・いではく)
♪人を愛して 人は心ひらき
傷ついてすきま風 知るだろう
杉は本物の歌手であった。
そして、1977年(昭和52年)に、世界的大ヒット曲「北国の春」がリリースされる。翌1978年に大ブレークした。海外進出し、いまでは中国はじめ東南アジアでも広く愛唱されている。
遠藤実が作った名曲「北国の春」は、坂本九の「上を向いて歩こう」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)と並び、世界で最も有名な日本の歌といえる。
作詞・いではく。歌手の千昌夫自身も思い入れ強く、この歌をNHK紅白歌合戦で3度も歌っている。
♪白樺 青空 南風
こぶし咲くあの丘 北国の
あぁ北国の春
夢追い酒(1978年=歌・渥美二郎、作詞・星野栄一)
♪悲しさまぎらす この酒を
誰が名付けた 夢追い酒と
みちづれ(1978年=歌・牧村三枝子、作詞・水木かおる)
♪水にただよう 浮草の
おなじさだめと 指をさす
雪椿(1987年=小林幸子、作詞・星野哲郎)
♪やさしさと かいしょのなさが
裏と表に ついてくる
最期を看取ったのは、遠藤実の家族と最大のヒット曲「北国の春」の作詞家いではくとその歌い手千昌夫だったという。
昭和の象徴がまたひとつ消えた。
昭和の歌謡界を代表する作曲家、遠藤実が2008年12月6日死去した。「高校三年生」「北国の春」など誰にでも愛唱される歌謡曲作りに心血を注ぎ、5000余曲を世に送り出した。76歳だった。
哀愁と親しみやすさを感じる、その楽曲を口ずさみながら、草野球音的「遠藤実アンソロジー」を―― 。
作曲家・遠藤実が世に出たのは、1957年(昭和32年)だった。東京生まれ、新潟に疎開し育つ。17歳で上京し、ギター抱えた流しの生活を送った末、作曲家となる。
デビュー曲は「お月さん今晩わ」。作詞は松村又一。藤島桓夫の独特の鼻にかかった甘い歌声を記憶している。
♪こんな淋しい 田舎の村で
若い心を 燃やしてきたに
以後、ヒット曲を毎年のように生み出す。翌1958年には島倉千代子の「からたち日記」(作詞・西沢爽)だ。「幸せになろうね、あの人はいいました‥‥」台詞も島倉ファンを痺れさせた。
♪こころで好きと 叫んでも
口では言えず ただあの人と
以前にも書いたことあるが、草野は、「くちづけさえの 想い出も のこしてくれず 去りゆく影よ」という二番の歌詞がいいなぁ。
浅草姉妹(1959年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
♪何も言うまい 言問橋の
水に流した あの頃は
双子姉妹こまどりのこぶしが心地よかった。
アキラのドンドコ節(1960年=歌・小林旭、作詞・西沢爽)
♪町のみんなが 振り返る
青い夜風も 振り返る
小林旭の頭のてっぺんから出すような高音が響いた。ドリフや氷川きよしのズンドコ節の先駆けといえる。
ソーラン渡り鳥(1961年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
♪津軽の海を 越えて来た
ねぐら持たない みなしごつばめ
三番の歌詞の「瞼の裏で咲いている 幼馴染のはまなすの花」というフレーズが好きだ。
おひまなら来てね(1961年=歌・五月みどり、作詞・枯野迅一郎)
♪おひまなら来てよね 私淋しいの
知らない 意地悪
当時、二十歳そこそこの五月の色っぽさは少年をどきりとさせた。
襟裳岬(1961年=歌・島倉千代子、作詞・丘灯至夫)
♪風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
春はいつ来る 灯台守と
当地には、森進一(作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎)の曲と、2つの歌碑があるそうだ。
若いふたり(1962年=北原謙二、作詞・杉本夜詩美)
♪君には君の 夢があり
僕には僕の 夢がある
青春歌謡というジャンルのはしりではなかろうか。北原謙二は大阪の浪商出身という、平凡だか明星だかで読んだことを覚えている。鼻に抜けるような高音が懐かしい。
1963年(昭和38年)には舟木一夫の「高校三年生」が世に出る。作詞は丘灯至夫。
♪赤い夕日が 校舎をそめて
ニレの木陰に 弾む声
舟木が学生服姿でデビューした。凄まじい勢いでスター街道を突っ走った。同年に「修学旅行」「仲間たち」「学園広場」と遠藤実はたて続けに作曲する。
修学旅行(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
♪二度とかえらぬ 思い出乗せて
クラス友達 肩寄せあえば
仲間たち(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・西沢爽)
♪歌をうたって いたあいつ
下駄を鳴らして いたあいつ
学園広場(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・関沢新一)
♪空にむかって あげた手に
若さがいっぱい とんでいた
詰襟の舟木一夫と、着流しの橋幸夫が歌謡界の人気を二分していた。通っていた中学校では舟木派と橋派の女の子たちの「派閥」が出来上がった。西郷輝彦を加えて「御三家」となるのは、この後である。
橋は吉田正門下生として有名だが、デビュー前に遠藤実に歌唱指導を受けていたそうだ。
哀愁出船(1963年=歌・美空ひばり、作詞・菅野小穂子)
♪遠く別れを 泣くことよりも
いっそ死にたい この恋と
歌謡界の女王にもしっかり楽曲を提供している遠藤であった。
ギター仁義(1963年=歌・北島三郎、歌詞・嵯峨哲平)
♪雨の裏町 とぼとぼと
俺は流しの ギター弾き
遠藤実の実体験を曲に託したと知ったのは、二十台半ばであった。サブちゃんも流しだった。
君たちがいて僕がいた(1964年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
♪清らかな青春 爽やかな青春
大きな夢があり
青春の城下町(1964年=歌・梶光夫、西沢爽)
♪流れる雲よ 城山に
のぼれば見える 君の家
梶光夫の素朴な歌い方が曲に合っていたと思う。
星影のワルツ(1966年=千昌夫、作詞・白鳥園枝)
♪別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君にため
歌声にも東北なまりの出る千の歌唱に好感を抱いた。
こまっちゃうナ(1966年=歌・山本リンダ、作詞作曲・遠藤実)
♪こまっちゃうナ デイトにさそわれて
どうしよう まだまだはやいかしら
作詞も遠藤。リンダの舌たらずの歌声にぶっ飛んだ。
他人船(1966年=歌・三船和子、作詞作曲・遠藤実)
♪別れてくれと 云う前に
死ねよと云って ほしかった
作詞も遠藤。三船和子がしっとり歌っていた。
新宿そだち(1967年=歌・大木英夫・津山洋子、作詞・別所透)
♪女なんてさ 女なんてさ
嫌いと思って見ても
君がすべてさ(1968年=歌・千昌夫、作詞・稲葉爽秋)
♪これきり逢えない 別れじゃないよ
死にたいなんて なぜ云うの
草野好みの1曲。
ついて来るかい(1971年=小林旭、作詞作曲・遠藤実)
♪ついて来るかい 何も聞かないで
ついて来るかい 過去のある僕に
純子(1971年=歌・小林旭、作詞作曲・遠藤実)
♪遊び上手なやつに だまされていると聞いた
噂だけだね 純子
「ついて来るかい」「純子」とも遠藤の作詞作曲で、マイトガイ旭が情感を込めて歌う。歌う映画スターでも屈指の歌唱力と思う。
せんせい(1972年=森昌子、作詞・阿久悠)
♪淡い初恋 消えた日は
雨がしとしと 降っていた
セラー服の森昌子は14歳だった。そういえばヒットメーカー阿久悠も昨年死去したのだ。
くになしの花(1973年=歌・渡哲也、作詞・水木かおる)
♪いまでは指輪も まわるほど
やせてやつれた おまえのうわさ
技巧など全く無視したような渡の歌声だったなぁ。
アケミという名で十八で(1973年=歌・千昌夫、作詞・西沢爽)
♪波止場でひろった 女の子
死にたいなんて 言っていた
アケミという名で十八で
「蹴飛ばせ 波止場のドラムカン」と千は歌っていたっけ。
すきま風(1976年=歌・杉良太郎、作詞・いではく)
♪人を愛して 人は心ひらき
傷ついてすきま風 知るだろう
杉は本物の歌手であった。
そして、1977年(昭和52年)に、世界的大ヒット曲「北国の春」がリリースされる。翌1978年に大ブレークした。海外進出し、いまでは中国はじめ東南アジアでも広く愛唱されている。
遠藤実が作った名曲「北国の春」は、坂本九の「上を向いて歩こう」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)と並び、世界で最も有名な日本の歌といえる。
作詞・いではく。歌手の千昌夫自身も思い入れ強く、この歌をNHK紅白歌合戦で3度も歌っている。
♪白樺 青空 南風
こぶし咲くあの丘 北国の
あぁ北国の春
夢追い酒(1978年=歌・渥美二郎、作詞・星野栄一)
♪悲しさまぎらす この酒を
誰が名付けた 夢追い酒と
みちづれ(1978年=歌・牧村三枝子、作詞・水木かおる)
♪水にただよう 浮草の
おなじさだめと 指をさす
雪椿(1987年=小林幸子、作詞・星野哲郎)
♪やさしさと かいしょのなさが
裏と表に ついてくる
最期を看取ったのは、遠藤実の家族と最大のヒット曲「北国の春」の作詞家いではくとその歌い手千昌夫だったという。
昭和の象徴がまたひとつ消えた。
2008年12月4日木曜日
近代絵画の父セザンヌ
*横浜美術館(横浜・みなとみらい)で「セザンヌ主義(父と呼ばれる画家への礼賛~ピカソ・ゴーギャン・マティス・モディリアーニ)」展(2009年1月25日まで)を観る。
ピカソが畏敬をこめて「父」と呼んだ、“近代絵画の父”ポール・セザンヌ(1839年―1906年)の作品約40点と、その影響を受けたと思われる画家の作品約100点を国内外から集め、比較して展観するという意図で、構成されている。
出展作家を挙げると、
アンリ・マティス
パブロ・ピカソ
ポール・ゴーギャン
アンリ・マティス
モーリス・ドニ
ジョルジョ・ブラック
アメデオ・モディリアーニ
マルク・シャガール
安井曾太郎
岸田劉生
森田恒友
佐伯祐三
小野竹喬などで、巨匠が並び壮観である。
セザンヌ主義(セザニスム)と称される作品の数々である。
と、知ったかぶりをしているが、草野は美術を鑑賞する力など全く持ち合わせいない。半可通の目には、セザンヌ作品では、「青い衣装のセザンヌ夫人」「帽子をかぶった自画像」「りんごとナプキン」、安井曾太郎の「夫人像」が印象に残った。
セザンヌが国内外の画家におよぼした影響の大きさ、功績をうかがえる展示であった。
× × ×
セザンヌに強く影響を受けた岸田劉生(1891年―1929年)は、岸田吟香(1833年―1905年)の息子である。吟香はJ・Cヘボン(1815―1911)和英辞書「和英語林集成」刊行、ジョセフ彦(1837年―1897年)の新聞発行に尽力した。また、目薬「精錡水(せいきすい)」を販売した実業家であり、『「七つの顔」を持った男』(2008年9月7日記)であった。幕末から明治にかけて多岐にわたり活躍している。
セザンヌを観に行って、岸田吟香まで連想を繋げられたことが、草野的には妙味であった。
ピカソが畏敬をこめて「父」と呼んだ、“近代絵画の父”ポール・セザンヌ(1839年―1906年)の作品約40点と、その影響を受けたと思われる画家の作品約100点を国内外から集め、比較して展観するという意図で、構成されている。
出展作家を挙げると、
アンリ・マティス
パブロ・ピカソ
ポール・ゴーギャン
アンリ・マティス
モーリス・ドニ
ジョルジョ・ブラック
アメデオ・モディリアーニ
マルク・シャガール
安井曾太郎
岸田劉生
森田恒友
佐伯祐三
小野竹喬などで、巨匠が並び壮観である。
セザンヌ主義(セザニスム)と称される作品の数々である。
と、知ったかぶりをしているが、草野は美術を鑑賞する力など全く持ち合わせいない。半可通の目には、セザンヌ作品では、「青い衣装のセザンヌ夫人」「帽子をかぶった自画像」「りんごとナプキン」、安井曾太郎の「夫人像」が印象に残った。
セザンヌが国内外の画家におよぼした影響の大きさ、功績をうかがえる展示であった。
× × ×
セザンヌに強く影響を受けた岸田劉生(1891年―1929年)は、岸田吟香(1833年―1905年)の息子である。吟香はJ・Cヘボン(1815―1911)和英辞書「和英語林集成」刊行、ジョセフ彦(1837年―1897年)の新聞発行に尽力した。また、目薬「精錡水(せいきすい)」を販売した実業家であり、『「七つの顔」を持った男』(2008年9月7日記)であった。幕末から明治にかけて多岐にわたり活躍している。
セザンヌを観に行って、岸田吟香まで連想を繋げられたことが、草野的には妙味であった。
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