2007年10月6日土曜日

原辰徳:巨人の夜明けⅡ

 原辰徳の「長い1日」を追う。
 初冬の空は快晴だった。丹沢の峰々を従えて裾野まで雪を被った富士山がくっきり望めた。平塚市土屋の東海大学野球部合宿所。2007年11月26日午前9時45分。辰徳の運転するBMWが到着した。大学生にBMWとは贅沢な話だが、車は父・貢の所有で特別な日に辰徳にも使用が許されていた。ドラフトは親子にとって特別な日であった。
 合宿所は朝から報道陣でごった返していた。新聞社、テレビ局、雑誌社の社旗をつけた黒塗りの車は50台余。記者、カメラマンは総勢100人を悠に超えていた。20人ほどの熱心なファンも集まっていた。人里離れた丘陵を切り開きグラウンド、室内練習場、合宿所を隣接させ、野球漬けの環境を作った――この付近にこれほど人が殺到したことはない。
 1階の食堂が取材陣控えであり、指名終了後のインタビュー席とされた。辰徳は2階の監督室でテレビ見て瞬間を待つことになった。マスコミから隔離し、監督室に陣取ったのは辰徳、東海大野球部監督である父の原貢、助監督の岩井美樹、同僚でドラフト候補の市川和正(大洋が指名)と津末英明(日本ハム指名)の5人だった。
 貢はさらし者になることを避けた。ドラフト会議では指名球団の結果で選手の悲喜こもごもがテレビに映し出される。意中の球団に当たればいいが、予想外の指名に涙を見せる選手すらいる。マスコミ主導の映像、写真を嫌ったための監督室隔離となった。
 午前11時。会議はいよいよ始まった。第1回の指名で広島、巨人、大洋、日本ハムの4球団が辰徳の名を挙げた。貢の予想通りである。
広島・松田耕平オーナー
巨人・藤田元司監督
大洋・土井淳監督
日本ハム・三原脩代表
 
 時間を17時間前に巻き戻そう。
 相模原市東林間、小田急線東林間駅から徒歩5分の場所に原貢の自宅がある。ドラフト会議前夜11月25日午後6時。その居間から、貢が立て続けに2件の電話をかけた。相手は広島・苑田スカウトと日本ハム・三沢スカウトである。指名しても入団しないので、指名を辞退してもらいたい、という内容である。すでに貢の調査によれば指名は4球団に絞られていた。
 辰徳の希望は憧れの巨人と地元の横浜を本拠にする大洋であった。貢の希望は巨人、大洋、そして大穴の西武であった。
 貢は西武オーナー堤義明とはすでに面会をしていた。辰徳の東海大相模高校時代からの同僚、村中秀人を西武の関連の社会人野球チームのプリンスホテルに入社させる交渉を行っている。その席で堤から辰徳の西武入団を切り出されている。しかし西武はプリンスホテルの主力で辰徳と並ぶドラフト目玉、石毛宏典を指名する準備もしていた。ただしこの時期、石毛は「アマ野球の指導者になりたい」とプロ拒否発言を行っている。
 西武の秘中の秘というべき作戦は辰徳指名、石毛のドラフト外入団という「飛車角両盗り」であった。ドラフト前夜まで水面下で駆け引きは行われたが、結局は石毛指名で落ち着いている。
 というわけで、圏外の広島と日本ハムの指名降ろしの電話となったのである。(つづく)

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1 件のコメント:

我心吾 さんのコメント...

現場にいたかのようなリアル感ですね。私の恩師も同じような経験をされていて、すごい怖い人でした。それにしても、80年のドラフトの裏で、西武がそんな企みをしていたなんて…。根本陸夫、恐るべしですね。