*日韓で巨大企業を一代で築いたロッテの創業者重光武雄(本名=辛格浩シン・ギョクホ)の生涯を追った旅もようやく晩年へと向かう。
(ネット検索書き=敬称略)
元首相岸信介の仲介で苦境の永田雅一を救うというカタチで関わった重光武雄の日本球界だったが、韓国球界には積極的だった。1982年韓国プロ野球旗揚げに尽力し「ロッテ・ジャイアンツ」のオーナーにも就いた。
それにしても、なぜジャイアンツ⁉️
読売巨人軍への憧れから付けた命名だった。
× ×
『巻き』が入った。いい加減に〆めろ(笑)
晩年にと時計の針を一気に進める。
2015年11月28日__東京・内幸町の帝国ホテル。
首相の安倍晋三が出席する華燭の典が盛大に挙げられた。
重光武雄の次男、ロッテHD副会長の重光昭夫(本名=辛東彬シン・ドンビン)の長男ユヨルの結婚披露宴だった。新婦は日本人女性で、米国コロンビア大学MBA課程の同窓生。招待客は470名の多きにわたる。
列席者を見てみると、サムスン電子の創業家の副社長李在鎔(イ・ジュヨン)、官房長官の菅義偉、自民党幹事長の二階俊博、元首相の森喜朗、民主党の岡田克也 etc 錚々たるお歴々だ。
分刻みで公務をこなす総理が一企業人の子供の挙式に出席するには稀だ。重光昭夫の、いや元はといえば重光武雄の日韓におよぶ政財界人脈の広さの証である。
主賓の安倍晋三をさかのぼれば、母方の祖父の岸信介にあたる。晋三の父親で岸の娘婿の晋太郎、さらに元首相の福田赳夫と知己の輪は拡がっている。
昭夫の結婚時にも岸信介、中曽根康弘、福田赳夫に石原慎太郎が顔を揃えている。
どれもこれも重光武雄コネクションである。
ところが、だ。
孫を祝う宴に重光武雄の姿はなかった。健康上の都合で欠席した。また武雄の長男重光宏之(本名=辛東主シン・ドンジュ)も。重光の妻で昭夫の母初子や重光の長女辛英子(シン・ヨンジャ=最初の妻盧順和との子)は出席している。
重光と宏之の欠席はお家騒動が原因と取り沙汰された。
2009年重光はロッテHD社長の座から初めて退き会長に就いた。日本法人を長男の宏之が、韓国法人を次男の昭夫が担うというシフトになったが、二人の2015年に経営権争いが激化した。ロッテHD取締役会で宏之は取締役から外され、重光は代表権のある会長から名誉会長に棚上げされた。宏之に付いた重光は法廷闘争に持ち込んだが、昭夫と取締役側に敗れた。以来昭夫が実権を握っている。
この騒動の直後に昭夫の長男ユヨルの結婚披露宴が催された。
二人の不在はそのシコリだろうか。
この辺りは残念ながらネット検索では確認できない。
2017年重光は勤務実態がない親族らに給与を支払うなどしたという経営不正事件にからみ業務上横領と背任罪に問われ、2019年韓国大法院(最高裁)から懲役3年の判決を受けたが、健康と高齢を考慮して執行停止の身となっていた。
巨大企業ロッテを一代で築き日韓に虹を架けようとした男。
『企業報国』を掲げた男。
晩節は汚れたまま、罪人として逝くことに無念さはあったであろう、と推測する。
2020年1月19日98歳逝去。
重光武雄の臨終には宏之も昭夫も立ち会った。
また告別式では二人が揃って喪主となった。
故郷の蔚山(ウルサン)市に建立された墓所で眠る。(おわり)
・日韓に虹を架けた男~重光武雄 blog2020/01/21
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