2011年2月1日火曜日

「天下布武」唱える信長:「江」

「江~姫たちの戦国~」(第4回=本能寺へ)
みなみな、時期は春である。
我が春。
信長の春である。
そして、世の春。
みなみなの春である――
 天正9年(1581年)2月。京・御所東門外での馬揃え。衿に梅枝をさした派手な装いの織田信長(豊川悦司)は颯爽と観衆に叫びました。

 これって、天下泰平の叫びだったのです。
 その後、天正10年。織田勢は武田家を滅亡させます。天下取りを掌中に収めた信長が、凱旋し市と対面します。市(鈴木保奈美)に『天下布武』の印章を渡し、信長は天下を治め太平を願う真意を伝えるシーンがありました。市は初めて信長の心を知り、理解するのです。もちろんドラマの解釈ですが……。

 信長の政策である「天下布武」とは、「天下に武を布(し)く」と訓で読みます。武力で天下を取るように思いがちですが、「武」とは暴力でなく「武の七徳」のことだそうです。
 武の七徳とは、以下は受け売りですが……
一、暴を禁じ
二、兵をやめ
三、大を保ち
四、功を定め
五、民を安んじ
六、衆を和し
七、財を豊かにする
ということなんですな。

 延暦寺焼き討ち、一向一揆大虐殺などのイメージが強く、冷酷残忍な人物と思われる信長ですが、単に酷薄なだけの武将なら、家臣はついてこないでしょうね。天下人へと願うサポーターも多くいたと推測します。

 明智光秀の娘たま(ミムラ)が登場しました。明智家の三女で、細川忠興の正室となります。この人がキリシタンとなり、後の細川ガラシャと呼ばれるのですね。
 京の馬揃えですが、あの山内一豊が嫁の千代(見性院)のへそくり(持参金という話も)で名馬を買い参加し、信長に称賛され加増された逸話もあります。

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