♪ 月が出た出た 月が出た
三池炭坑の 上に出た
あまり煙突が 高いので
さぞやお月さん けむたかろう
三池といえば「炭坑節」だ。
もともと福岡県の炭鉱労働者が歌っていた民謡が、
1948(昭和23)年に芸者歌手 赤坂小梅が歌い全国区となった。
コロムビアの小梅のほか
ポリドールの日本橋きみ栄、
テイチクの美ち奴、
キングの音丸と
うぐいす芸者歌手の競作でさらに拍車がかかった。
「炭坑節」が日本中で盛んに歌われたころ
石炭は日本経済の主要エネルギーに君臨していた。
1959年原貢が三池工の野球部指導を始める。
炭鉱町に陰りが忍び寄っていた。
日本経済の主要エネルギー 石炭は、1950年代から60年代かけてその座を石油に奪われることになる。中東での大型油田の発見、大型タンカーの登場により経済性や安全性に優れ、輸送しやすさの面で石炭は石油の後塵を排し、炭鉱は次々に廃鉱への道を歩むことになる。エネルギー革命である。
1960年三池争議が起こった。不況となれば起こるリストラの波。大量解雇をめぐり戦後最大の労働争議に発展した。
1963年には大牟田市の三井三池三川鉱炭じん爆発事故では458名の死者、839名の一酸化炭素中毒患者を出す大事故となった。斜陽に追い打ちをかけることになる。
炭鉱は高度経済成長の日本にあって時代遅れの存在となった。
1965年夏____
そんな暗い話題ばかりに包まれた炭鉱町に
原貢率いる三池工の全国制覇は希望を灯したのだった。
炭鉱町の無名監督は全国区の監督となった。
福岡県大会から咲き始めた百日紅は、
日本一を果たし大牟田に凱旋したときも
褪(あ)せず咲き誇っていた。(文中敬称略)
× × ×
原貢さんのお別れの会は7月14日東京ドームで執り行われる。
好きな百日紅が咲き始めるころだ。
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