原貢はなぜ百日紅を愛するのだろう?
理由を聞いたことがないし、語ったこともないので、
ここからは推測である。
百日紅の開花期は7月中旬から10月中旬の3ヶ月。
花持ちがよく100日も咲いているという。
漢名「百日紅(ひゃくじつこう)」命名由来でもある。
夏の花だ。
「ぼくの原点は高校野球です。春より夏の高校野球。夏の甲子園に向かってチームを作るのです」
貢は言う。
この男の勝負と百日紅の開花期が一致する。
予選の時期に咲き始め、
全国大会決勝後も凛と咲いている。
逞(たくま)しい。
甲子園成績
・三池工 出場1回 5勝0敗 優勝1回
・東海大相模 出場8回 12勝7敗 優勝1回 準優勝1回
春センバツと夏選手権
・春 3勝2敗 準優勝1回 勝率.600
・夏 9勝5敗 優勝2回 勝率.736
佐賀生まれの九州男児。
夏に強い。
実績からも明らかだ。
百日紅を見ながら闘志をかき立てていた。
真夏の炎天下に怯(ひる)むことなく咲く花の強さと、
己(おのれ)の姿を重ねていたと看(み)る。(文中敬称略)
× × ×
原貢(はら・みつぐ)1935年3月30日ー2014年5月29日
強豪監督原辰徳の父。巨人投手の菅野智之は孫(娘・詠美の子)。
佐賀県生まれ。鳥栖工業高校卒業。立命館大学中退。ノンプロ東洋高圧大牟田を経て、福岡県立三池工業高校の野球部監督となる。1965年夏の甲子園(選手権大会)に初出場初優勝。66年から東海大学の松前重義に手腕を買われ東海大相模高校の監督となり、70年夏の甲子園で優勝し、全国屈指の強豪校に成長させた。77年息子の辰徳とともに東海大学監督となり首都大学リーグ戦7連覇を達成。81年に東海大相模に復帰。91年から東海大学で指揮をとりリーグ戦6度優勝。96年に勇退、その後東海大学系列校野球部総監督を務めていた。
※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
人気ブログランキング
※こちらもクリックお願いします。
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿