鏑木清方は1878年(明治11年)、東京・神田に生まれ、14歳の1891年(明治24年)に江戸浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門した。17歳から、父親・条野採菊の経営する「やまと新聞」に挿絵画家となった。以降、美人画、風俗画と作風を広げて行った。
青年期の清方は画壇より文壇に興味を持ち、尾崎紅葉を尊敬しその門下の泉鏡花と親交を結び、
・深沙大王1904年=泉鏡花著・金色夜叉1905年=尾崎紅葉著
の絵看板を描いている。
樋口一葉の作品にも画趣をそそられ「たけくらべ」を題材とした作品も繰り返し制作している。
93歳で鎌倉雪ノ下の自宅で亡くなった。自宅跡に記念美術館が建てられている。
また、代表作「朝涼」も展示されている。
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*鏑木清方と東西美人画:そごう美術館=2011年3月1日記
2011年7月28日観覧
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