2011年7月12日火曜日

朝鮮出兵・秀勝の死:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第26回=母になる時)
秀勝が死んだ……。
 関白になった秀次(北村有起哉)は、「秀次病死」の朝鮮からの便りをもって、出産を間近に迫った江(上野樹里)に告げた。

 天正20年(1592年)春、秀吉(岸谷五朗)は朝鮮へ兵を出すことを決め、秀勝(AKIRA)は8000の兵の大将として出陣する。
 7月、秀吉の母・大政所(奈良岡朋子)が病で亡くなる。
 そして9月。遠征疲れと慣れぬ土地での戦に秀勝は朝鮮の地で病死する。

×  ×  ×

*文禄・慶長の役
 明(中国)征服の野望を抱く豊臣秀吉は、その足掛かりとして朝鮮を侵攻を行った戦。1592年(文禄元年)に始まり、元禄2年に休戦した。慶長の役は、1597年(慶長2年)講和交渉が決裂し起ったが、1598年(慶長3年)に秀吉が亡くなり、日本軍の撤退をもって終わった。
 元禄元年への改元は12月に行われたため、戦役の大半は天正20年の出来事だった。

 江の2度目の結婚も、佐治一成の時と同様に短いものだった。秀勝との間に生まれた子供は完子(さだこ)と名付けられた。完子は、江が徳川秀忠と再々嫁した際、おばの淀の養女となり、後に九条幸家に嫁いだ。

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