*大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第21回=豊臣の妻)
茶々殿は秀吉の側室ではありません。
すでに、秀吉の妻。
豊臣の家を守るのが私。
豊臣の子を産み、育てるのが茶々殿。
役目の異なる妻と心得られませ。
同じ妻として、これからはよろしゅう頼みまする。
茶々(宮沢りえ)の懐妊を知った北政所(大竹しのぶ)は、茶々のもとを訪ね心のうちを語った。
天正16年(1588年)秋。秀吉(岸谷五朗)と茶々は結ばれ、茶々は子を宿した。正室の北政所も穏やかならざる事態となったが、茶々に側室でなく「豊臣の妻」として認めることを告げるのだった。
× × ×
北政所は、「2人の妻」システムで豊臣家を支えようという提案しました。つまり側室ではなく、茶々は別格として扱うということなんですな。正室でありながら、子宝に恵まれない北政所としては後継者を産んでくれる茶々へ敬意を示したカタチですね。いわば「大連立構想」ですな。
北政所と淀(茶々)の関係って、実際のところはどうだったのでしょうか。対立していた説もありますが、また協調協力関係にあったという説もあります。
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