*討ち入りから3年後、宝永大地震が起った
4月14日は国民的歌手、三波春夫さんの命日で、今年は没後10年にあたるとか。日刊スポーツ新聞紙上に笹森文彦記者が書いていました。
× × ×
ガキのころ。昭和30年代半ば。小便臭い場末の映画館。松竹と新東宝の二番館でいつも閑古鳥が鳴いていたっけ。
流れていたのは「大利根無情」だった。
♪利根の利根の川風 よしきりの
声が冷たく 身をせめる
作詞は猪俣良、作曲は長津義司。
三波の台詞が冴える。「止めてくださるな、妙心殿。落ちぶれ果てても、平手は武士じゃ。……行かねばならぬ、行かねばならぬのだ」
さらにもう一曲。三本立の映画の幕間に「一本刀土俵入り」のレコードがかかる。
♪千両万両 積んだとて
銭(ぜに)にゃ買えない 人ごころ
作詞は藤田まさと、作曲は春川一夫だった。
「角力(すもう)になれず、やくざになって尋ねてみれば、この始末。さぁ、姐さん、この金持って、早くお行きなせえまし」
歌謡と台詞の巧みに混在した歌謡浪曲の世界があった。
名うての剣豪・平手造酒の落日、横綱をめざしたが大成せず渡世人となった駒形茂平の恩返し――物語が再現され、舞台を観ているような気がしてくる。
その集大成ともいえるのが、「俵星玄蕃」(たわらぼし・げんば)だろう。
没後10年、あらためてYouTube~俵星玄蕃フルバージョン~を聴いてみる。8分30秒の長編歌謡。作詞の北村桃児は、三波の筆名。作曲は長津義司。
♪槍は錆びても この名は錆びぬ
男玄蕃の 心意気
「時に元禄15年12月14日、江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓」で始まる朗々たる長台詞も聴かせるのだ。
ガキのころ何回か聴いたが、感動しました。ぜひお薦めします。
× × ×
元禄15年12月14日は、西暦で1703年1月30日。徳川5代将軍の綱吉の時代です。討ち入り後の宝永3年(1706年)に、事件を題材とした近松門左衛門作の人形浄瑠璃「基盤太平記」は竹本座で上演されました。その1年後、宝永4年(1707年)に大地震が起りました。今回の東日本大震災が起るまで、日本の記録に残る最大級の地震といわれた「宝永大地震」です。マグニチュード8.4から8.7と推定されています。地震と津波で約2万人が亡くなりました。
さらに、それから49日後に富士山の側面で大噴火が起こりました。「宝永の大噴火」です。江戸に火山灰が降ったそうです。記録に残る富士山の最後の噴火です。大地震と大噴火を合わせて「亥の大変」と呼ばれたそうです。
三波春夫さんの没後10年で「俵星玄蕃」を聴いて、東日本大地震と福島原発事故と重ねて「平成の大変」という気がしてきました。
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