加藤廣の*「秀吉の枷(中)」(文春文庫)を読む。
明智光秀の謀反の企てを事前に察知した秀吉は、本能寺から南蛮寺に通じる秘密の地下通路を塞ぐ。本能寺の変が起り、織田信長が横死する。備中高松城から取って返した秀吉は、光秀を天王山に破る。信長後継争いの先頭に立ち、さらに織田の直系や嫡流を退け、わずか2年半で天下取りを果たす。が、徳川家康は忍びの服部半蔵を遣い、信長の遺品を入手、暗殺の秘密を掴む。
『天下様』となった秀吉だが、その胸中に家康の存在と跡継ぎのいない不安がつきまとうのだった……。
中巻目次
・第六章:遺体は二度消える
・第七章:阿弥陀寺
・第八章:主をうつみ
・第九章:心の闇
・第十章:九州遠征
× × ×
家康の子どもは、男だけで11人。信長は男だけで8人いたそうです。男児を生ませ後世に血を残し伝えることが、武家の主の一代仕事だったのですね。だから側室がいるのが当たり前でした。
秀吉の男の子は3人だけでした。正室のおねは子宝に恵まれず、側室の南殿に1人(羽柴秀勝)、淀殿に2人(鶴松と豊臣秀頼)儲けました。そのうち秀勝と鶴松は夭折しています。秀頼は秀吉57歳の子でした。荒淫ともいえるほど側室を漁り、その数300人ともいわれていますが、ただ単に女好きとばかりはいえない事情があったのですね(笑)。
加藤廣さんは、秀吉が幼少時におたふくかぜを患い、子種に恵まれない身体になったらしいと小説では書いています。
2011年1月6日読了
※「草野球音備忘録」はランキング参加中です。投票(クリック)にご協力ください。
※こちらも、よろしければクリックしてください。
0 件のコメント:
コメントを投稿