2010年11月16日火曜日

作詞家・星野哲郎 FOREVER

黄色いさくらんぼ・おんなの宿・昔の名前で出ています
「黄色いさくらんぼ」「函館の女」「三百六十五歩のマーチ」などのヒット曲で知られる昭和を代表する作詞家・星野哲郎(ほしの・てつろう)さんが2010年11月15日亡くなった。85歳だった。※以下敬称略

×  ×  ×

 ♪若い娘が(ウッフン) お色気ありそうで(ウッフン)
  なさそうで(ウッフン) ありそうで(ウッフン)

 なんだ、この歌は。「黄色いさくらんぼ」は衝撃だった。
 流行ったのは小学校高学年だった。街っ子でませたガキには、『おとなの世界』を感じさせた。人前で歌うのは「これはまずいぞ」と憚(はばか)ったものだ。
 作曲したのは、あのヘンテコな曲「僕は泣いちっち」のハマクラこと浜口庫之助とわかったが、作詞が星野哲郎と知ったのは随分と後のことだった。
 思わせぶりな作詞は只者ではない。スリー・キャッツの歌唱もあり、1959年(昭和34年)のヒット曲となった。
 昭和歌謡史に残るお色気ソングだと思う。

 大下八郎が歌った「おんなの宿」も作詞が記憶に残る。作詞・星野哲郎、作曲は船村徹である。1964年の作品。

 ♪想い出に 降る雨もある
  恋にぬれゆく 傘もある

 人妻の道ならぬ恋。忍び逢い。伊豆の温泉場。……。そして。別れの朝、駅で列車を待つふたり。2番の作詞がしびれる。

 ♪たとえひと汽車 遅れても
  すぐに別れは 来るものを

「わざと時計の針を遅らせ」、少しでも一緒にいたい女心が切々と伝わってくるのだ。

 小林旭の「昔の名前で出ています」は愛唱歌である。酒場に生きる女がいる。恋する男がいた。愛した時があった。女の前にいろんな男が通り過ぎて行った。が、忘れられない男がいる。

 ♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの
  神戸じゃ 渚と名乗ったの

「忍」と「渚」っていかにもその土地にちなんだ源氏名だよね(笑)。
 女のホームグランドは横浜(ハマ)。愛した男と出逢ったハマに戻り、昔の名前で酒場に出て、昔の男を待っている。3番の歌詞では、ボトルに男の似顔絵を描き、「ひろみの命」と書いていることがわかる。
 昔の名前は「ひろみ」なんだ。
 ひろみさんにご指名はあったのだろうか。
 作曲は叶弦大。1975年作品。

「黄色いさくらんぼ」は成長過程にある未成熟の女性、そして「女の宿」と「昔の名前で出ています」は女盛りを描いているのですなぁ。星野哲郎は艶歌の達人なのです。

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