朝霧の松林に佇んでいる――そんな感覚になる。山に雪が積もっているところをみると季節は冬だろうか。松林は奥深く広がり静寂さと霧の湿潤に包まれている。水墨画の最高峰と言われる「松林図屏風」はさすがに国宝だった。
東京・上野の東京国立博物館で「長谷川等伯―没後400年 特別展」(2月23日~3月22日)を観る。等伯(1539年―1610年)没後400年の節目に、水墨画の「松林図屏風」、金碧障壁画の「楓図壁貼付」など国宝3件、重要文化財作品約30件を含む約80件を紹介している。
等伯は能登七尾に生まれ、初め信春と名乗り主に仏画を描いていたが、30代に上洛し肖像画、花鳥画にも画風を拡げていった。豊臣秀吉、千利休ら当代の実力者の知遇を得た。狩野永徳と伍す桃山時代を代表する絵師となった。
≪構成≫
・第1章:能登の絵仏師・長谷川等伯
・第2章:転機のとき―上洛、等伯の誕生―
・第3章:等伯をめぐる人々―肖像画―
・第4章:桃山謳歌―金碧画―
・第5章:信仰のあかし―本法寺と等伯―
・第6章:墨の魔術師―水墨画への傾倒―
・第7章:松林図の世界
気に入った作品
・枯木猿猴図:重要文化財
・楓図壁貼付:国宝
・仏涅槃図:重要文化財
・松林図屏風:国宝
× × ×
「枯木猿猴図」は手長猿のふわふわとした体毛の柔らかさが伝わってくる。「仏涅槃図」は高さ10メートルほどの迫力ある大作。「楓図壁貼付」は3歳で夭折した豊臣秀吉の長男、鶴松の菩提を弔うために建立された京都の祥雲寺(現在の智積院)に描かれた障壁画。
慶長15年(1610年)徳川家康の要請を受け江戸に向うが、旅中で発病し、江戸に着いて2日目にして病死した。
長谷川等伯は秀吉、家康の天下人に重用された天才だった。
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