琴線に触れる「岸壁の母」
「岸壁の母」のヒット曲で知られる歌手で浪曲師の二葉百合子が引退を表明した。
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いつ聴いてもグッとくる。
――港の名前は舞鶴なのに
なぜ飛んで来てはくれぬのじゃ
二葉百合子の「岸壁の母」は心の琴線に触れる。
♪母は来ました 母は来た
この岸壁に 母は来た
と二葉百合子が歌い出す。なめらかなこぶしと伸びやかな高音が響く。いつも熱唱である。そして、台詞となる。浪曲師ならではの語りが巧い。「港の名前は舞鶴なのに……」の叫びに圧倒され感動するのだ。
作詞は藤田まさと。作曲は平川浪竜。
「岸壁の母」とは、第2次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子を舞鶴で待つ母親たちを言い、そのひとりである端野いせを題材とした流行歌、映画がそのタイトルとなった。
敗戦後、ソ連軍に囚われ厳寒のシベリアの地で抑留され、満足な食事や休養も与えられず、苛酷な労働をさせられ、多くの日本人が亡くなった。
「異国の丘」はシベリア抑留の兵隊サンによって流行った曲で、作詞の増田幸治も作曲の吉田正も抑留者だった。
♪我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る 春も来る
望郷の想いが伝わってくる。
「岸壁の母」は1954年(昭和29年)に菊池章子がレコード化し売れた。1972年になって二葉百合子が吹き込み、再び大ヒットした。
菊池章子は戦後間もない1947年(昭和22年)に「星の流れに」で大ヒットを飛ばした歌手として記憶に留めたい。「こんな女に誰がした」と娼婦の心情を題材としている。
♪星の流れに 身を占って
どこをねぐらの 今日の宿
作詞は清水みのる、作曲は利根一郎。敗戦の日本・進駐軍・ギブミーチョコレート・街角で米兵に媚を売る女――当時の日本がフラッシュバックする。
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二葉百合子の引退から、「岸壁の母」「異国の丘」「星の流れに」と想いを馳せると、流行歌(はやりうた)は時代の必然が生むものと感慨にひたる。
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