昭和34年編
1959年・昭和34年は皇族関連の2つのニュースが記憶に残っている。4月10日の皇太子明仁親王ご成婚パレードと、もうひとつは昭和天皇と皇后がプロ野球公式戦を初めて観戦した天覧試合である。テレビ実況生中継で観た。
沿道にできた人の波はどれも笑顔だった。日の丸の小旗が揺れていた。そのなかを皇太子(今上天皇)と正田美智子さんを乗せた古式ゆかしい馬車がゆっくりと優雅に進んでいった。白黒画面にかぶりつき、「美智子さんはきれいだね」などと大人たちは何度も口にしていた。
突然、馬車めがけて石を投げ、駆け寄ろうとした少年が取り押さえられる光景も映し出された。一瞬の「投石事件」を妙に鮮明に覚えている。草野球音は当時、小鳥や伝書鳩を飼育していた。パレード中継を可愛がっていた手乗り文鳥を肩に乗せ観ていたなぁ。
このご成婚パレードがテレビ普及に大いに寄与した。生中継を見ようとテレビを購入する家庭が激増し、成婚式の1週間前にテレビ受信契約数が200万を突破した。昭和34年の放送普及率(NHK受信契約)は、昭和33年の10.1%からわずか1年で20.7%と2倍以上に跳ね上がっている。
試合は白熱していた。4―4の同点で迎えた9回裏の先頭打者は、読売ジャイアンツ・長嶋茂雄だった。カウント2-2から大阪タイガース・村山実(1936年―1998年)が投じた内角高め球を一閃すると、打球は後楽園球場左翼ポール際上空に消えていった。左翼線審の富沢宏哉の右手が天に向けてくるりと回った。ホームランだ。サヨナラだ。
天皇・皇后が観戦した6月25日の伝統の巨人―阪神戦は劇的幕切れとなった。
阪神 001 003 000 =4
巨人 000 020 201×=5
神=小山正明、村山実(敗戦投手)
巨=藤田元司(勝利投手)
[本]長嶋茂雄、坂崎一彦、藤本勝巳、王貞治、長嶋茂雄
(試合経過)阪神は3回小山の適時打で先制する。巨人は5回長嶋、坂崎の連続本塁打で逆転するも、阪神は6回三宅秀史の適時打と藤本の2ランで再逆転する。巨人は7回王の2ランで同点に追いつく。阪神は小山を諦め新人の村山をマウンドに送る。巨人は9回、長嶋の劇的ホームランで決着をつける。
緊迫した好試合だった。マウンドの紳士の藤田、精密機械の小山、ザトペック投法の村山の投げ合いも見事だった。新人の王が本塁打を放ち、ONアベックアーチの最初の試合となった。守備では長嶋を凌ぐと言われた名三塁手の三宅、「戦後最強打者」といわれた浪華商の坂崎、昭和35年に本塁打と打点の2冠に輝いた藤本(島倉千代子の夫であった)、活躍した選手それぞれに華があった。後世に伝えられるように、野球の神様は珠玉の筋書きを演出したのだろうか。
長嶋にとって値千金のホームランであり、勝負強さの代名詞となる一発であった。村山はこの借りを1500奪三振、2000奪三振を長嶋相手に取ることで返している。
天覧試合の中継をNHKで観た。「まぁ、なんと申しましょうか」で知られる小西得郎(1896年―1977年)の解説、志村正順の実況という名コンビであった。
同年のセ・リーグ優勝はセ・リーグ読売ジャイアンツ、パ・リーグは南海ホークスで、日本シリーズはエース杉浦忠(1959年―2001年)の4連投4連勝で南海が圧勝した。シリーズMVPは当然ながら杉浦に輝いた。
レギュラーシーズンの個人タイトルで特筆すべきは杉浦である。38勝でわずか4敗、勝率.905、防御率1.40という驚異的数字を残している。69試合に登板し自責点は58だった。タイトルを総なめにした。セ・リーグ新人王はホームラン王(31本)の桑田武になったが、18勝で最優秀防御率(1.19)の村山と熾烈な争いとなった。
・昭和34年の主な個人タイトル=セ・パ
最優秀選手=藤田元司(巨人)・杉浦忠(南海)
新人王=桑田武(大洋)・張本勲(東映)
首位打者=長嶋茂雄(巨人)・杉山光平(南海)
本塁打王=桑田 武(大洋)森徹(中日)・山内和弘(大毎)
打点王=森徹(中日)・葛城隆雄(大毎)
最優秀防御率=村山実(大阪)・杉浦 忠(南海)
最多勝=藤田元司(巨人)・杉浦忠(南海)
最優秀勝率=藤田元司(巨人)・杉浦忠(南海)
高校野球は春の選抜大会が中京商(愛知)、夏の選手権大会は西条(愛媛)が優勝した。
昭和34年編は2回に分けて記述します。
※蜘蛛巣丸太「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中で「主」の記憶違い・事実誤認・赤字などがありましたら、ご指摘くだされば幸いです。
2 件のコメント:
いつも緻密で正確な文章、楽しみに拝見させて頂いてます。
私の産まれる前の時代を記事にしておられ「ああなるほど、この時代は、こんなふうだったのか、、」と感じる事も多く、非常に勉強になります!
拙文を読んでいただき感謝します。
産まれる前の時代ですか? 読んでいただけるなら、50歳以上の方と思っていましたので、意外ですし、嬉しいかぎりです。
記憶を辿り、その周辺を調べ書いていますが、記憶違いや勘違いは多々あります。
今後もよろしくお願いいたします。
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