昭和35年編
衝撃は突然やって来る。
60年代の最初の年、1960年・昭和35年は何度かの「衝撃」を経ながらエキサイティングに過ぎて行った。60年代に入り敗戦の荒廃と貧困から立ち直った日本経済は、高度成長の軌道を全速力で突っ走った。
赤木圭一郎のヒット曲「霧笛が俺を呼んでいる」を生んだ水木かおる作詞・藤原秀行作曲のコンビは、同年の1960年に西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」を世に出している。全共闘の心象風景と重なり合う曲と言われる。
6月15日、「アンポ反対」のデモが国会議事堂を渦巻いていた。1月に新安保条約が調印され、国会の批准を待つばかりになっていた。当時日本を二分する大論争となった。安保反対を唱える全学連が国会に突入し警官隊と激突、ひとりの女子大生が圧死する事故が起こっている。東大生の樺(かんば)美智子だった。安保闘争で死者が出たことで、日本中に衝撃を与えた。
結局、安保条約は参議院での採決を待たず、自然承認で幕が下りた。
♪アカシアの雨に 打たれて
このまま 死んでしまいたい
西田佐知子の渇いた声音と水木かおるの歌詞が、満たされぬ若者を心と共鳴し合ったのかもしれない。
岸信介内閣は混乱を収拾するため総辞職し、7月には替わって池田勇人内閣が誕生し「所得倍増論」を打ち出した。
10月には日本社会党委員長の浅沼稲次郎が日比谷公会堂で右翼少年、17歳の山口二矢(おとや)に刺殺される事件が起こっている。
17歳の橋幸夫が「潮来笠」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)でデビューした。着流しに潮来カットといわれた角刈り姿は、新鮮であった。
森山加代子が、
♪ティンタレー
と歌い出した「月影のナポリ」には驚かされた。坂本九の「悲しき六十歳」(訳詞・青島幸夫)など洋楽に訳詞をつけカバーした曲が流行った。「月影―」の訳詞は岩谷時子だった。
同年のヒット曲には、
・和田弘とマヒナスターズ&松尾和子の「誰よりも君を愛す」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)
・松尾和子の「再会」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)
・守屋浩の「有難度や節」(浜口庫之助作詞補曲)
・小林旭の「アキラのダンチョネ節」(西沢爽作詞・作曲者不詳)
・三橋美智也の「達者でナ」(横井弘作詞・中野忠晴作曲)
・藤島桓夫の「月の法善寺横町」(十二村哲作詞・飯田景応作曲)
・花村菊江の「潮来花嫁さん」(柴田よしかず作詞・水時富士夫作曲)
などがある。
同年の映画には、
・「悪い奴ほどよく眠る」(黒澤明監督・三船敏郎出演)
・「秋日和」(小津安二郎監督・原節子出演)
・「笛吹川」(木下恵介監督・高峰秀子出演)
・「太陽がいっぱい」(ルネ・クレマン監督・アラン・ドロン出演)
・「甘い生活」(フェデロコ・フェリーニ監督・マルチェロ・マストロヤンニ出演)
などがある。
スポーツでは東京六大学野球である。優勝決定再々試合までもつれた早慶6連戦で、早稲田大学が安藤元博の連投で優勝を飾った。安藤は6試合中5試合に先発する活躍を見せた。幾多の名勝負を展開した華の早慶戦にあっても、いまだに語り草の激闘である。
衝撃に次ぐ衝撃の1960年・昭和35年であった。
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