2007年11月18日日曜日

夭折の美学:赤木圭一郎

 日活同窓会が開かれた――と、大衆かわら版で読んだ。
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 映画会社・日活の出身俳優で構成する「俳優倶楽部」とスタッフらで組織する「旧友会」が2007年11月17日、東京・新宿の京王プラザホテルで14年ぶりとなる合同パーティーを開いた。渡哲也(65)、宍戸錠(73)、浅丘ルリ子(67)ら日活黄金期を支えた約280人が顔をそろえ、懐かしい思い出話に花を咲かせた。故石原裕次郎(享年52)は生前に録音された声で「出席」して会を盛り上げた。
 主な出席者(名前の後の数字は年齢)
 ・監督 井上梅次84、斎藤武市(不詳)、鈴木清順84、舛田利雄80
 ・俳優 川地民夫69、山内賢63、深江章喜79
 ・女優 芦川いづみ72、笹森礼子67、松原智恵子62、香月美奈子70
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 日活は、1912年(大正元)に創立した「日本活動写真株式会社」を略した社名に端を発す。日本最初の映画スター「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助主演のチャンバラ映画でその名を知られた。
 この蜘蛛巣丸太で言う「日活」は、戦後に活動再開した1954年(昭和29)からロマンポルノへ移行した1971年(昭和46)までの映画活動をしていた会社である。

 日活の黄金期とはいつ頃のことだろうか。石原裕次郎(1934年―1987年)が「太陽の季節」で颯爽と登場し瞬く間にスパースターとなり、小林旭が「渡り鳥シリーズ」が売れ、赤木圭一郎が第3の男として世に出て、和田浩治が15歳でデビューを飾った頃ではないか。
 日活ダイヤモンドラインの結成である。
 
 なかでも人気上集中の最中に壮絶に散り、今なお多くの人の心を捉えて離さないトニーこと赤木圭一郎(1939年―1961年)を記憶に鮮明に残したい。

 1961年(昭和36)2月14日、映画「激流に生きる男」の撮影の休み時間に東京・調布市の日活撮影所内でゴーカートを運転中に鉄扉に激突し、慈恵医大病院に緊急搬送されたが、同月21日前頭骨亀裂骨折に伴う硬膜下出血のため死去した。21歳。若すぎる死だった。
 もともと「激流に生きる男」は石原裕次郎主演で撮る予定だったが、1961年1月24日ブナ平スキー場で女性スキーヤーと衝突した裕次郎が右足首粉砕複雑骨折で入院し長期入院となったため、急遽、トニーに代役が回ってきたものだった。
 さらに代役を立てるか、日活首脳は協議したが、製作見送りとなっている。しかし、翌年の1962年高橋英樹主演で吉永小百合などが共演して製作されている。
 赤木の事故死の段階で撮影は半ば撮り進んでいた。芦川いづみ、葉山良二、笹森礼子などが共演していた。
 
 元ボクサーで船員の男が、通りすがりで車に轢かれそうな子供を助けたことから、その親代わりの女性が切り盛りするクラブのバーテンとして雇われる。そのクラブにギャングの魔手が伸びる。。。
 日活アクション映画のよくある筋書きだが、哀愁のある独特の存在感のトニーが演じるなら、その魅力が遺憾なく発揮されたことだろう、と今でも思うのである。 (つづく)

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