2013年2月16日土曜日

壇蜜のダンは仏壇のダン

壇蜜(だん・みつ)は最も旬なタレントのひとりだ。
柔肌の露出も六十路半ばには過多だが、
最近茶の間テレビの露出もなかなかである。

ほんわかした雰囲気がなんだかいいなぁ。

従来のハダカを売りにするタイプの芸能人にはない、
何かを持っているように独断している。

壇蜜は当然ながら芸名で、
「壇」が仏壇から採ったとか。
先日「笑っていいとも」で明らかにしていた。
「蜜」は神々の飲み物を寒露といい蜜の味だそうな。
知人の死をきっかけに葬儀関係の専門学校に通った、
その経験を忘れないための命名という。
このあたりもちょっと哲学的だよね。

「壇」は一段高い場所をさす言葉で、
花壇、祭壇、教壇、壇上―。
また歌壇、文壇、画壇など専門のサークルをさす。
仏教の仏像を安置する、供物を供える場所の意味もある。

一方、女優の檀れいのダン「檀」は、
白檀、栴檀(せんだん)の香木である。
ニシキギ科の落葉樹の「マユミ」。
檀れいの本名は「まゆみ」といい、
そこから由来した芸名だそうな。
また梵語の音訳字で檀家、檀(旦)那とか
布施の意味で使われる。

「仏壇」と「檀家」――。
してみるてえと壇蜜の「壇」と檀れいの「檀」は、
ダン違いなのに近い関係だな(笑^_^)。

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2013年2月12日火曜日

猫は知っていた

「猫は知っていた」(作者・仁木悦子)が、
推理作家の登竜門、江戸川乱歩賞を受賞したのは、
1957年(昭和32年)のことだった。
かれこれ55年前になる。

翌1958年に大映で映画化された。
主演は仁木多鶴子で、
彼女はプロ野球大毎オリオンズの快速左腕、小野正一と結婚した。
※敬称略

×     ×     ×

なぜ「猫は知っていた」かって?
PC遠隔操作事件で30歳の男が逮捕された。
4人もの誤認逮捕者を出した一連の難事件が解決したのは、
神奈川県江ノ島の野良猫の首輪にSDカードを付けるようすを
防犯カメラが捉えたことがきっかけだったそうな。

猫つながりの連想。
野良ちゃんはまさしく犯人を知っていた。

×     ×     ×

猫といえば夏目漱石の「吾輩は猫である」だ。
おそらく猫が主人公の最も有名な小説ではないか。
夏目家に迷い込み住みついた猫がモデルだそうで、
1908年(明治41年)9月13日に亡くなった。
漱石は親しい友人に猫の死亡通知を出している。
それだけ思い入れがあったのだろう。

遠隔操作事件で逮捕された男も猫好きだった。
頻繁にネコカフェに通っていたそうな。
この犯罪、並のPC知識ではできまい、
とアナログ人間ながら推測する。
優れた才を活かせていない。
「猫に小判」なんてぇことわざが浮かぶ。

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2013年2月9日土曜日

大谷翔平は二天一流の奥義めざす

佳人薄命・才人多病いや才色兼備だ――。


プロ野球日本ハムの大谷翔平が投打二刀流を目指すという。
エースで4番打者という究極のスパースターが夢となる。


二刀流といえば宮本武蔵。
二天一流――大小二刀を両手で遣う剣の流儀。
生涯無敗の剣豪界のスパースターだ。


両刀遣いは難しい。
二兎を追う者一兎も得ず――とも、
虻蜂取らず――ともいう。


天は二物を与えず――。
神様は一人の人間にたくさんの長所を与えることはしない。
・佳人薄命
・才人多病なんて類語もある。


エースで4番というのは高校野球では珍しくないが、
プロ野球となると極めて少ない。
・野口二郎=通算237勝+31連続試合安打
・関根潤三=通算65勝+1137安打
上記のお二方あたりが数少ない成功例か。


V9監督で打撃の神様の川上哲治さんや物干し竿の藤村富美男さん、あの世界の王貞治さんも投手出身だが、打者で大成したご仁である。


だが、しかし。
よく、美人は大抵性格が悪いとか……いうけど、んなことはない。
俗説だな。
綺麗な女とブスを比べりゃ、経験則(かなり怪しいが)から言って、
美人の方が気だてのいい、
才能もあるケースが多い。
天は二物を与えている。
・才色兼備だな。


大谷翔平くんには武蔵の二天一流の奥義を極めてもらいたい。
我ながら、バカに平凡な〆だな(笑)。
お後がよろしいようで……。



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2013年2月5日火曜日

初代市川団十郎の時代

生類憐みの令や赤穂浪士の討ち入りも見聞した――。

江戸歌舞伎の宗家、12代市川団十郎さんが201323日亡くなった。66歳だった。

×  ×  ×

なにやら知識を曝け出したい『トリ頭』こと戸坂健作に出くわした。「いいところで遭った。団十郎さんが亡くなって残念だな。昔から市川団十郎といえば江戸歌舞伎の頂点だ。初代は、なぁ……」
――以下『トリ頭』のひとくさり。

初代の団十郎は元禄歌舞伎の代表する役者だ。
(万治3年=1660年―元禄17年=1704年)
荒事を初めて歌舞伎に取り入れたのだ。

徳川将軍は5代綱吉の時代。
そうだ、あの生類憐みの令や赤穂浪士の討ち入りも、
初代は江戸市井で見聞きしたに違いないぜ。

上方歌舞伎では坂田藤十郎が和事を確立した役者だ。
近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉の文人も活躍したし、
絵画では尾形光琳、浮世絵の菱川師宣。

この前読んだ冲方丁「天地明察」の安井算哲こと渋川春海、
あの貞亨暦の作成者も和算の関孝和もいた。

元禄は文化の開花した時代でもある。
元禄ったてえぐるぐる回る寿司屋じゃないぞ。

×  ×  ×

 草野は浅学だが、元禄時代ぐらいは知っている。
 だが、しかし。
 初代が団十郎を名乗ったのが1665年(延宝3年)だそうな。
 以来338年の幾星霜。
 代々継承されている伝統芸の重みを感じずにはいられない。

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