2013年5月18日土曜日

リラの花散る夢の四馬路(スマロ)

*「上海ブルース」「夜霧のブルース」「上海帰りのリル」

♪ある日突然 ふたり黙るの____ 
お~と、トワ・エ・モアの歌じゃない。
「ある日突然」知ることがある。

あまりの無知に人にはなかなか言えない。
六十路半ばでそんなことも知らねえのかよ、
と『トリ頭』こと戸坂健作にバカにされるのもいやだ。

いや、これじゃなんのことだかわからないよね。
実は「リラ」と「ライラック」が同じ花の名とは、
恥ずかしながら知らなかったのだよね、この歳で(ポリポリ f^_^;)。

懐メロをよく口ずさむ。

ディック・ミネの「上海ブルース」って曲がある。
作詞・北村雄三、作曲・大久保徳二郎。
鶴田浩二や石原裕次郎もカバーしているから、
ご同輩なら聴いたことがあると思う。

♪涙ぐんでる 上海の
 夢の四馬路(スマロ)の 街の灯 
リラの花散る……
と、鼻歌まじりに歌っていたとき 
「リラ」って、どんな花だっけ?
ふと疑問がわいた。

調べてみたら「リラはライラックのフランス語」だそうな。
つまり同名の花というわけさ。

地下鉄は英語でサブウェイだけど、フランス語由来のメトロも使う。
「東京メトロ」なんて、ね。

でも英語の国際語化が進み、英語が優勢になってきている。
昔ランデブー(フランス語)なんていったけど、今じゃデート(英語)だし、
アベック(フランス語)よりカップル(英語)が一般的かな。

戦前はフランス語がオシャレな言葉で文化人がよく使ったと思う。

「上海ブルース」は発表されたのは1939年(昭和14年)。
ヒットラーのナチスドイツがポーランドを侵攻し、第二次世界大戦が勃発した年。
1941年には日本の真珠湾攻撃で太平洋戦争と突入した。
その頃の上海はイギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本の列強が、
租界を強制的に設けた、中国当局も取り締まれない、
「魔都」と呼ぶにふさわしい国際色豊かな爛熟した貿易都市だったのだよね。

日本人が多く住んだのが共同租界の虹口(ホンキュ)で蘇州河の南側にあり、
北側には歓楽街の四馬路が在ったそうな。

♪青い夜霧に 灯影が紅い……
 夢の四馬路(スマロ)か 虹口(ホンキュ)の街か
と作詞・島田磬也(きんや)と作曲・大久保徳二郎のコンビで、
ディック・ミネが歌い大ヒットした「夜霧のブルース」も、
この界隈を舞台にしているのだろう。

津村謙の名曲「上海帰りにリル」にも、
「夢の四馬路」という歌詞が出てくる。
♪船を見つめていた 
 ハマのキャバレーにいた
作詞・東条寿三郎、作曲・渡久地政信。

懐メロに出てくる上海とりわけ四馬路(スマロ)は夢だらけだな(笑 ^_^)。

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