「オッペケぺー節」で知られ、日本の近代演劇の祖・川上音二郎と彼の妻で女優の貞奴の業績を回顧する「川上音二郎・貞奴展」(2011年9月10日~11月27日)が、茅ヶ崎市東海岸北の茅ケ崎市美術館で開かれている。
音二郎没後100年、貞奴は生誕140年にあたる。二人の居宅の跡地である高砂緑地内に美術館は建っており、本展ではゆかりの着物や鏡、ブロンズ像、手紙などが展示されている。
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*貞奴(さだやっこ=1871年―1946年)
東京日本橋の生まれ。7歳で花街の芳町の芸妓置屋「浜田屋」の養女となり、のちに「貞奴」として座敷に出る。日舞の技芸に加え持ち前の美貌で売れっ子となり、時の総理の伊藤博文や西園寺公望ら名士から贔屓にされた。
翌1899年、川上音二郎一座のアメリカ興行に同行し、座員が死亡したため舞台に立つことになった。これが日本の女優第1号といわれる。1900年にはロンドン公演、さらにパリ万国博覧会で舞台に立ち、大評判となった。
1911年音二郎が病死した後、引退。
福澤諭吉の娘婿で「電力王」と異名をとった実業家・福澤桃介との関係も話題となった。桃介は貞奴の初恋の人だった。桃介が諭吉に二女と結婚したため、恋は実らなかったが、音二郎の死後に長い空白期間を経て結ばれた。1920年頃二人は名古屋で同居を始めた。
1946年、貞奴の波乱に満ちた人生の幕を下ろした。75歳だった。
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貞奴ってモテモテだったのですね。写真をみてもすこぶる美人。周りの男がほっておかなかったのでしょう。
貞奴ってモテモテだったのですね。写真をみてもすこぶる美人。周りの男がほっておかなかったのでしょう。
総理大臣の伊藤博文に公家の西園寺公望。結婚したのが近代演劇のパイオニアの川上音二郎。そして晩年は初恋の人であり「電力王」の福澤桃介と暮らすというキャリア。セレブ男性の行列ができる女性ですな。
「艶福家」というのは多くの女性に好かれる男に使われる言葉だけど、女の場合はなんていうのだろうか。
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