2009年10月6日火曜日

薩摩路でバッタリ龍馬

帯刀とどっちが先?
 薩摩路で龍馬に出くわした。
 ぶらり旅に出る。さしたるアテもない物見遊山である。
 歴史好きなら、薩摩⇒龍馬となれば、あれだと推測するだろう。鹿児島は、坂本龍馬とおりょうさん(楢崎龍)が日本で初めて(と言われている)新婚旅行に出かけた地なのだ。
×  ×  × ときは慶応2年(1866年)。江戸幕末。徳川政権は揺らいでいた。その1月、土佐の素浪人、坂本龍馬の斡旋により、とかく牽制しあう外様の雄、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎(木戸孝允)が会談し、「薩長同盟」を結んだ。政権交代――倒幕へ大きな一歩を踏み出した歴史の瞬間だ。
 直後に「寺田屋事件」が起る。龍馬は薩摩藩の船宿、伏見・寺田屋で幕吏に襲われる。ここはよく映画、ドラマにあるシーンである。入浴中のおりょうが異変を察知し、裸で急を告げる。おりょうの機転で、龍馬は愛用の短筒で応酬しながら、薩摩藩邸に難を逃れる。手に傷を負った彼と介護したおりょうは、夫婦の契りをかわす。負傷を癒すため、西郷に薩摩の温泉を勧められ、薩摩藩船「三邦丸」で旅に出る。
 この湯治が日本で初めてハネムーンというわけだ。
×  ×  × おりょうとの結婚の経緯(いきさつ)を知らせる、姉乙女(おとめ)に宛てた龍馬の手紙が残っている。
~今年正月廿三日夜のなんにあいし時も、此龍女がおれバこそ、龍馬の命ハたすかりたり
――寺田屋騒動でおりょうに命を助けられたことを告げ、
~両りづれにて霧島山の方へ行道にて日当山の温泉ニ止マリ、又しおひたしと云温泉に行。此所ハお大隅の国ニて和気清麻呂がいおりおむすびし所、陰見の滝其滝の布ハ五十間も落て、中程にハ少しもさわりなし。実此世の外かとおもわれ候ほどのめづらしき所ナリ。此所に十日計も止りあそび、谷川の流にてうおおつり、短筒ピストヲルをもちて鳥をうちなど、まことにおもしろかし
――夫婦で霧島に登り日当温泉、塩浸温泉に泊まり、和気清麻呂ゆかりの地で、犬飼の滝の景観に驚き、谷川では魚を釣り、鳥を撃ったり、大いに楽しんだと綴っている。
*写真=犬飼滝滝見台の掲示板2009年10月3日撮影
×  ×  × 幕吏と応戦した短筒と霧島で鳥を撃ったピストヲルは同じものだったのだろうか。同一だったと表記するものもあるが、龍馬の愛用した短筒は2丁あり、いずれもS&W(スミス&ウェッソン)製で、寺田屋騒動の際に紛失してしまい、のちに買い求めたという説もある。
 日本人初の新婚旅行は龍馬でなく薩摩藩士、小松帯刀(こまつ・たてわき)説があるのを、草野球音は今回の鹿児島の旅で初めて知った。龍馬に先立つこと10年、安政3年(1856年)、帯刀は妻ちかと結婚直後に霧島の栄之尾(えのお)温泉を訪れたことが、帯刀の日記に認められているそうだ。そういえば、薩長同盟も京都の帯刀邸で交わされたといわれており、龍馬の鹿児島湯治行には帯刀も同船している。龍馬と帯刀は昵懇であった。自らの経験からハネムーンを勧めた、つまり帯刀が先だったという説である。
 短筒、そして新婚旅行、さてどっち?

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