2011年10月4日火曜日

白沙村荘 橋本関雪記念館

裕次郎さんにバッタリそして関雪桜の由来……
 大正・昭和期に活躍した日本画家の橋本関雪の記念館「白沙村荘」は、京都・左京区銀閣寺ほとり、哲学の道に沿うように佇む。
関雪の邸宅跡を記念館にしたもので、1万平方mにおよぶ広大な敷地内にある画室、茶室、石仏などは彼の美意識で配したものといわれる。妻よねの菩提を弔う持仏堂の本尊「地蔵尊立像」は重要文化財に指定されている。

 
×  ×  ×

 敷地内に「舞台石」という扁平な円形の石がありました。案内の女性が説明してくれました。この石の上で、清酒・松竹梅のCMを撮ったそうです。あの石原裕次郎さんと宇野重吉さんが出演した懐かしいアレです。
♪飲むこと すなわち よろこび
よろこびの酒 松竹梅
 あのCM、宇野さんと裕次郎さんの息が合っていましたな。

 哲学の道は銀閣寺から若王子神社まで1.5キロの道程です。春、桜の頃はさぞ美しいんでしょうな(一度も見たことがないけど)。
この桜は「関雪桜」と呼ばれています。
このネーミング、1922年(大正11年)近所に居を構える関雪と妻よねが京都市に苗木を寄贈したことが由来だそうです。画家として大成した関雪が京都への報恩を考えた際、よねが桜を植えてはどうかと発案しました。当時、植えた桜は樹齢が尽きて植え替えられましたが、桜並木の名称は「関雪桜」として残っています。
2011930日観覧

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北村武資展:京都国立近代美術館

研ぎ澄まされた織の美を観る。
人間国宝の織師・北村武資(きたむら・たけし)の作品を集めた「人間国宝 北村武資 『織』を極める」展(2011916日~1030日)が、京都・左京区岡崎公園内の京都国立近代美術館で開かれている。

*人間国宝
文化財保護法に基づき文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として認定された人物を指す通称。
 北村武資は1935年(昭和10年)京都生まれ。
1995年(平成7年)  重要無形文化財「羅(ら=薄絹)」の保持者に認定。
2000年(平成12年) 重要無形文化財「経錦(たてにしき)」の保持者に認定

 1972年に開催された「長沙馬王堆漢墓(ちょうさまおうたいかんぼ)写真速報展」で観た中国の古代織の「羅」の写真に感動し、その織に挑戦する。「羅」とは、古代中国の経糸が網目状に組織されるもどり織技法の織物のことで、「羅」は歴史の中に埋もれていた技法といわれていたが、北村が独自の技で蘇らせた。
 また「経錦」は、古代中国から伝わり奈良・飛鳥時代の織物に用いられた技法。三色の経糸を使って模様を織り出す。

×  ×  ×

「織」の知識がなく、パンフやネット検索などを参考に書きました。ただ、北村武資さんの作品は観る人に迫る品格があります。この源は、研鑚を積んだ人が紡ぐ技術なのではないかと、ど素人ながら納得しました。
2011929日観覧

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2011年10月3日月曜日

竹千代の乳母・福:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第38回=最強の乳母)

わたくしは豊臣を恨んでおります。

父を磔(はりつけ)にした秀吉を。

そういえば、奥方さまは、

わが父の仇、秀吉の養女でございましたな。

福(富田靖子)が江(上野樹里)を強い眼差しで凝視した。


 慶長9年(1604年)7月、江は待望の男子・竹千代を出産した。家康(北大路欣也)が世継ぎの乳母に選んだのが福(のちの春日局)だった。生まれたばかりの竹千代を囲い込んだ福に不満を抱く江が、詰問すると、福から挑戦的な言葉が返ってきた。
福の父親は、「本能寺の変」で織田信長を討った明智光秀の重臣、斎藤利三。「山崎の戦い」で秀吉軍に敗れ、京で処刑されている。

江と福の確執が決定的となった。



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 福の富田靖子が不気味な演技をみせていましたな。三代将軍の座をめぐり、江と対立する春日局の片鱗をのぞかせましたぞ。大姥局の加賀まりこも怖かったけど、こちらも負けていませんな。



 孫の誕生で家康は二代将軍を秀忠(向井理)になるように告げますが、秀忠は断ります。しかし、「将軍になって天下を泰平にしてくださいませ」という江の説得で翻意しました。さすが6歳上の姉さん女房。

 将軍宣下を受けた秀忠が淀(宮沢りえ)に報告すると、淀の怒りは心頭でした。「合戦になろうとも、天下を取り戻すのじゃ」。

淀もなんだか、怖くなってきましたぞ(笑)。




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2011年10月2日日曜日

フェルメールからのラブレター展

光の質感とフェルメール・ブルーに魅了されました。
「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使」―現存作品数30数点と寡作の画家ヨハネス・フェルメールの3点を鑑賞できる「フェルメールからのラブレター展」が、京都・左京区岡崎公園内の京都市美術館(2011625日~1016日)で開かれている。「青衣の女」は修復後の初公開。いずれも「手紙」をモチーフにした作品で、300余年の時を経て届くフェルメールからのメッセージに触れる展覧会。

*ヨハネス・フェルメール(1632年―1675年)
 17世紀のオランダ風俗画家。綿密な空間構成、巧みな光と質感が特徴。寡作。22年の画歴で現存作品は3336点と少ない。「真珠の首飾りの少女(青いターバンの少女)」「牛乳を注ぐ女」など名作で知られる。鮮やかな青は「フェルメール・ブルー」と呼ばれ、ラピスラズリーを砕いた顔料ウルトラマリンに由来している。

・「手紙を読む青衣の女」166364年頃=アムステルダム国立美術館所蔵
 青い部屋着を着た女が熱心に手紙を読んでいる姿を描いています。部屋には彼女ひとり。遠くにいる恋人からの便りでしょう。彼は遠く離れていて、長い間ふたりは逢っていないでしょう。彼に思いを馳せているのでしょうか。
最近の画面浄化と修復で、とりわけ青が鮮やかでしたぞ。

・「手紙を書く女」1665年頃=ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵
 若い女性が黄色のモーニング・コートを着て、テーブルに向い手紙を書いています。ラブレターでしょう。彼女はこちらに顔を向けています。なぜ? 
 彼女はスポットライトが当てられたように光って見えました。

 
・「手紙を書く女と召使」1670年頃=アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵
 婦人が机に向い手紙を書くのに夢中になっています。後ろでは召使が、手紙を書き終えるのを待っています。女主人の机の前の床には投げ捨てられた手紙があります。便りの内容が気に召さなかったようですが、気を取り直し返信しているところでしょうか。

 鑑賞眼不足で名作にイマイチ迫れませんし、フェルメールからメセージを読み解くことはできませんが、3作品ともに静謐な空間が漂っていましたぞ。

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 大航海時代の17世紀オランダはヨーロッパでもっとも識字率の高い国で、手紙によるコミュニケーションがいち早く開花していた。本展では手紙というツールを通して、オランダ絵画を展観する。副題は「コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」。
本展・構成
・第1章:人々のやりとり―しぐさ、視線、表情
・第2章:家族の絆、家族の空間
・第3章:職業上の、あるいは学術的コミュニケーション
・第4章:手紙を通したコミュニケーション

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 フェルメールが活躍した当時の日本は鎖国政策をとっていましたが、オランダを欧州の中で唯一受け入れ、小規模ながら長崎の出島で交易していました。オランダから日本に手紙を出すと、東インド会社を介して1年がかりで出島に届き、その返事をオランダで受け取るには2年を要したそうです。
 展示のコリネリス・デ・マンの「薬剤師イスブラント博士」(1667年頃)では、博士は日本の着物からデザインしたガウンを着ている、と音声ガイドで聴いて、日本とオランダの繋がりに感じ入った次第です。

 京都市美術館では、本展と「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」が同時開催していました。7月に東京国立新美術館で観た「印象派・ポスト印象派コレクション」です。モネの「日傘の女性」ゴッホの「自画像」セザンヌの「赤いチョッキの少年」など名画ぞろいでしたな。
*「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」:国立新美術館=2011723日記
2011929日観覧

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