2011年8月2日火曜日

徳川家に輿入れ:「江」

*大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第29回=最悪の夫)
あなたは宝を持っているような気がする。
その宝をわが徳川家にくださらぬか。
 徳川家康(北大路欣也)が江(上野樹里)に頭を下げ、秀忠(向井理)との結婚を懇願した。
 
 文禄4年(1595年)9月。江は徳川家に輿入れした。佐治一成、豊臣秀勝そして6歳年下の秀忠。3度目の結婚だった。秀勝との娘、完(さだ)は淀(宮沢りえ)の養女となった。


×  ×  ×

 今回秀吉(岸谷五朗)の老衰ぶりが目立ちました。
  江の輿入れから3年。秀吉は、慶長3年(1598年)8月18日、家康に秀頼(拾)の後見人になるように依頼し息を引き取っています。62歳。
  亡くなる年は3月15日に醍醐寺で最後の花見をたのしみました。これが世に言う「醍醐の花見」ですな。
  5月には5大老、
・徳川家康
・前田利家
・宇喜多秀家
・上杉景勝
・毛利輝元
に遺言書を出し、死後の豊臣家の結束を誓わせています。
  その2年後、慶長5年9月15日には「関ヶ原の戦い」が起っています。
 

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佐々木裕一「もののけ侍伝々 京嵐寺平太郎」

*京嵐寺平太郎に妖怪大将そして妖刀茶々丸……
 佐々木裕一の「もののけ侍伝々 京嵐寺平太郎」(静山社文庫)を読む。
 
 舞台は江戸時代中期。備後三次の生まれの京嵐寺平太郎は広島藩江戸下屋敷詰めの藩士である。三次には古くから幾多の妖怪がいて、妖怪大将の樋熊長政は幼なじみだった。宝暦2年(1752年)江戸に旗本や大名の姫君が攫(さら)われる怪事件が相次いだ。将軍家重から内々に事件探索の命が下った。破邪の剣「妖刀茶々丸」を引っ提げ、京嵐寺平太郎が立ち向かう。
 全4話からなる連作短編。

目次
・鬼の風
・戸隠の若殿
・式鬼神
・飛縁魔
登場人物
・京嵐寺平太郎
・妖怪大将(樋熊長政)
・齢500歳のおばば
・1200歳の白狐おきん

×  ×  ×

 小説は妖怪伝説「稲生物怪録」(いのうものけろく)からヒントを得て生まれたという。
*稲生物怪録:江戸中期に備後三次の備後三次藩の藩士、稲生武大夫(幼名・平太郎)が体験した妖怪にまつわる怪異をまとめた物語。
 ちなみに家重は徳川9代将軍。父は8代の吉宗。子は10代家治。家重は幼少時の病がもとで言語不明瞭となり、側近の大岡忠光だけが聞き分けられたといわれる。
 イージー・リーディングです。物語の設定は面白いですな。
2011年7月28日読了

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2011年7月30日土曜日

近代の洋画:神奈川県立近代美術館 鎌倉

*高橋由一「江の島図」からワ―グマンを思い出した。
 鎌倉・鶴岡八幡宮境内にある神奈川県立近代美術館で「開館60周年ザ・ベストコレクション 近代の洋画」展(2011年4月9日~10月10日)を観る。
 1951年11月に所蔵品のない美術館としてスタートし、60年の歳月を経て10,000万点もの所蔵作品を抱えるようになった。本展では、近代洋画の父ともいえる高橋由一の油彩画である明治から、大正、戦後の昭和26年までの近代洋画を、同館の所蔵品で振り返る。

×  ×  ×

 最初の展示で、高橋由一の「江の島図」を観た。
 江の島に行き交う人びとを描いている。着物姿の女の子、軍服のような洋服を着た男……。静かで穏やかな風景。なるほど明治初期の雰囲気が漂ってくる。1876年―77年の作品。といえば、明治9年―10年。日本初の洋画家である。
高橋由一(1828年―1894年)は、幕末明治の英国人報道画家である*チャールズ・ワ―グマン(1832年―1891年)から西洋絵画の手ほどきを受けている。6月に神奈川県立歴史博物館で「ワ―グマンの見た海」展を思い出した。

目を惹いた作品
・松本竣介「立てる像」1942年
・岸田劉生「野童女」1922年
・萬鉄五郎「日傘の裸婦」19131年
・梅原龍三郎「熱海野島別荘」1933年

×  ×  ×

 神奈川県立近代美術館は通称「鎌倉近美」というそうな。同館から望む平家池には大ぶりな白い蓮の花が満開でした。八幡さまの参道を挟んで右が源氏池、左が平家池。源氏の方にはピンクの蓮の花がいっぱいでした。
*特別展「ワ―グマンの見た海」=2011年6月17日記
2011年7月28日観覧

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鎌倉 鏑木清方記念美術館

*鎌倉・雪ノ下の鏑木清方記念美術館で「所蔵品展:清方、物語を絵にする」(2011年7月15日~8月28日)を観る。  

  鏑木清方は1878年(明治11年)、東京・神田に生まれ、14歳の1891年(明治24年)に江戸浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門した。17歳から、父親・条野採菊の経営する「やまと新聞」に挿絵画家となった。以降、美人画、風俗画と作風を広げて行った。

 青年期の清方は画壇より文壇に興味を持ち、尾崎紅葉を尊敬しその門下の泉鏡花と親交を結び、
・深沙大王1904年=泉鏡花著
・金色夜叉1905年=尾崎紅葉著
の絵看板を描いている。
 樋口一葉の作品にも画趣をそそられ「たけくらべ」を題材とした作品も繰り返し制作している。
 93歳で鎌倉雪ノ下の自宅で亡くなった。自宅跡に記念美術館が建てられている。
 また、代表作「朝涼」も展示されている。

×  ×  ×

*鏑木清方と東西美人画:そごう美術館=2011年3月1日記
 この展覧会では、福富太郎コレクションの中から清方の「薄雪」などが出展されていたが、3月11日の大震災のため、会期途中で中止となった。
2011年7月28日観覧


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