2022年12月11日日曜日

藤尾茂さん背番『9』

 昭和30年代巨人で強肩強打の捕手として鳴らした藤尾茂(ふじお・しげる)さんが亡くなった。87歳だった。(死去は10月8日で球団から訃報は9日に発表された)


野球ファンが藤尾茂の名を記憶に刻んだのは1955年(昭和30年)の日本シリーズだろう。1勝3敗と後がない巨人水原円裕(茂)監督は、正捕手の広田順に代わり弱冠20歳の彼を3番スタメン起用する大博打に出た。この抜擢が的中、その試合で先制3ランと2度の盗塁を刺して勝利に貢献した。ここから息を吹き返した巨人は3連勝し日本シリーズを制したのだった。


1956年から正捕手に座り4年連続ベストナインに輝き、南海の野村克也とともに球界を代表する捕手となった。


1960年以降インサイワークに優れた森昌彦(祗晶)の台頭でマスクを譲り、外野にコンバートされたが、思うような成績は残せなかった。


6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献し、1965年引退した。


背番号は『9』だった。


藤尾茂が颯爽と世に出た昭和30年に野球を始めた。長嶋茂雄も王貞治もいない巨人軍だった。川上哲治、千葉茂、広岡達朗、与那嶺要、広田順、南村侑広、岩本尭、平井三郎。投手は別所毅彦、中尾碩志、大友工らが名を連ねていました。


藤尾茂さんは野村克也さんや森祗晶さんの野球人生にも大きな影響を与えた野球選手だったと思う。


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