『耳切り事件』⇒別離⇒旅立ち
テレビ東京の美術番組「美の巨人たち」(2010年7月31日放送)で、ポール・ゴーギャン作『ひまわりを描くゴッホ』を取り上げていた。
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『ひまわりを描くゴッホ』をゴーギャンが描いたのは1888年のことだ。
1888年フィンセント・ファン・ゴッホは南フランスのアルルで、画家仲間に共同生活をしながら作品を生み出すことを提唱した。十数人を招いたが、応えてアルルに現れたのはゴーギャンただ一人だった。
アルルの黄色い家でのふたりの生活は10月23日から12月24日まで2ヶ月間の短いものだった。
12月にゴーギャンは『ひまわりを描くゴッホ』を描き上げた。絵を観たゴッホは激怒した。「これは確かに私だ。ただ狂ったときの私だ」と叫んだという。ゴッホの内面にある狂気をゴーギャンは見抜いていたのだ。そして同月23日、あの『耳切り事件』が起る。ゴッホ自らが耳を切ったという説が一般的に伝わっているが、近年耳を切ったのはゴーギャンという説もある。
翌24日ゴーギャンはアルルを離れる。
1890年7月27日、ゴッホはピストルで自殺する。
1891年4月、ゴーギャンはタヒチに旅立つ。
1888年アルルの出来事は、ふたりの偉大な画家のターニング・ポイントだった。
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ゴーギャン作『ひまわりを描くゴッホ』――ゴッホの目はうつろだ。絵筆を持つ右手は無力である。
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