月も星もない暗夜であった。
黒い着流しに黒の覆面頭巾の浪人風の男が大川端を歩いていた。一見して胡乱(うろん)な浪人は草野球音である。そこに出くわした定廻り同心が訝(いぶか)り誰何(すいか)した。
「くさのたまね、と申す」
「ご姓名はどうような字を書くのか」
「草野球音だと。くさやきゅうネ。虚仮(こけ)にしおって、偽名だな」。
「けして怪しいものではない」というや否や、球音は疾風のごとく走った。同心も後を追ったが、夜陰に紛れ黒装束の浪人を見失った。
× × ×
と、どうでもいい前フリをしたが、蜘蛛巣丸太の主は草野球音と名乗る。1947年生まれの今年満60歳、団塊世代である。団塊世代とは、作家の堺屋太一の著書「団塊の世代」で因み有名になったが、第2次世界大戦後の1947年(昭22)から1949年(昭24)の3年間に生まれた人々を指し、その人口は約700万人に達し、日本の人口分布最大のボリュームを持っている。その団塊の先鋒が2007年定年を迎えている。蛇足ながら、団塊世代の退職金は、2007年から毎年15兆円以上となり、3年間ではその総額は45兆8000億円になると、第一生命経済研究所は試算している。団塊は「金塊世代」でもあるのだ。それにしては球音の懐具合は非っ常にキビシ~ッ!(古いね、財津一郎*だよ)
さて戦前の還暦60歳は「おじいさん」であった。
昭和16年の童謡「船頭さん」(作詞・武内俊子、作曲・河村光陽)では、
♪村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん
歳はとってもお舟を漕ぐときは
元気いっぱい櫓がしなると、唄っている。
厚生労働省の平成18年簡易生命表によると、日本人の平均寿命は男性79.00歳・女性85.81歳で、世界有数の長寿国を誇っている。戦前のデータは不明だが、戦後間もない昭和22年のデータでは男性50.06歳・女性53.96歳となっており、この59年の間に男性29歳・女性32歳も寿命を延ばしている。ちなみに昭和30年は男性63.60歳・女性67.75歳となっている。
童謡「船頭さん」が世に出たのは「人生50年」の時代だった。というわけで、21世紀の還暦はまだ老け込むには早すぎる。ハマの隠居は意を強くした。
*財津一郎(ざいつ・いちろう):藤田まこと主演の超人気テレビ番組「てなもんや三度笠」に浪人・蛇口一角役で出演、手を頭の後から回し「非っ常にキビシ~ッ!」というギャグで売れっ子になった。その後演技派俳優として映画、テレビ、舞台で活躍。
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