2010年2月25日木曜日

藤田まことさん Forever

「てなもんや三度笠」のあんかけの時次郎、「必殺」シリーズの中村主水、「はぐれ刑事純情派」の安浦吉之助、「剣客商売」の秋山小兵衛など数々の当たり役で知られる俳優の藤田まことが2010年2月17日に亡くなった。76歳だった。

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 テレビっ子だったガキのころ「スチャラカ社員」や「てなもんや三度笠」に熱狂したなぁ。バカに面白かった。

 藤田まことという喜劇役者を知ったのは、「スチャラカ社員」だった。
 1961年(昭和36年)から1967年にかけて日曜日の昼にテレビ放送されたドタバタ・コメディ。中田ダイマル・ラケットが主役のグータラ中堅社員役、社長はミヤコ蝶々で、若手社員に藤田まこと、美人のOLに長谷百合というキャストであった。藤純子(後の富司純子)はその会社に新しく入社してきて、長谷百合が番組に出なくなり、職場の華が藤純子にとって替わった、と記憶している。
 藤田まことが長谷百合を「ハセく~ん」と、言葉を伸ばして言う呼び方や、課長役の人見きよし(1930年―1985年)の「ほんと、ちい~とも知らなかったわぁ」が流行った。給仕の少年役は白木みのる。
 藤田は社員という設定で、特に役名はなかったような気がする。
 演出は澤田隆治、脚本は香川登志緒だった。

「てなもんや三度笠」は1962年から1968年にかけて朝日放送(ABCテレビ)製作・TBS系で放送された時代劇風コメディ。日曜日の午後6時から30分の放送だった。「てなもんや―」を観て、チャンネルをクレージーの「シャボン玉ホリデー」に変えるのがテレビっ子の定番だった。
 提供は前田製菓。劇の冒頭コントで原哲男とのからみで、「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」という台詞が人気だった。
 藤田まことのあんかけの時次郎は、泉州は信太の生まれの渡世人。沓掛時次郎をパロった命名だろう。相棒は珍念という口が達者な小坊主の白木みのる。面長な顔つきの藤田を、よく白木は『ウマ』といって笑いをとっていたなぁ。そうそう、原哲男は『カバ』でした。

「非っ常にキビシ~ッ」のギャグを連発する浪人の蛇口一角(財津一郎)や、なぜか名古屋弁をしゃべる鼠小僧次郎吉(南利明)がレギュラーで絡み、手なれた芝居をしていいた。

 ♪雲と一緒に あの山越えて
  行けば街道は 日本晴れ
  おいら旅人 一本刀
と、藤田まことが主題歌を美声で歌っていた。作詞・香川登志緒、作曲は林伊佐緒だった。

 こちらも演出は澤田隆治、脚本は香川登志緒だった。
 最高視聴率は関西地区で64.8%を記録したオバケ番組だった。

 大人気の「てなもんや三度笠」の終了後、鳴かず飛ばず時期が4年余もあったが、1973年「必殺仕置人」の中村主水役に抜擢され、新境地を開くのである。

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「耳の穴から手突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたろか」なんてギャグも、「てなもんや―」で言っていましたっけ。
 おっと忘れるところでした。「京都殺人案内」の刑事・音川音次郎も当たり役のひとつでしょうね。

2010年2月23日火曜日

川喜田半泥子のすべて展

 横浜駅東口・そごう美術館(そごう横浜店6階)で「川喜田半泥子のすべて」展(2月11日~3月22日)を観る。
「ある銀行家の見た夢」と副題にあるように川喜田半泥子(かわきた・はんでいし=1878年―1963年)は、伊勢の豪商に生まれ、百五銀行などの頭取を務めた財界人であったが、稀代の趣味人でもあった。陶芸、書画、写真などに多才さを発揮した。本展では、80点余りの茶碗を中心とした陶器、書画、写真など約200点を展覧し、川喜田半泥子の全貌を紹介している。

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 既成概念にとらわれぬ自由な発想で作られた茶碗類、また洒落と品のあるユーモアで書れた書画などを目に触れることができる。
 財界人として職務を全うしてなお、多方面に多岐多彩な活動をする御仁とは知りませんでした。立派な生涯と敬服するばかりです。
2010年2月23日観覧

2010年2月21日日曜日

今野敏「果断 隠蔽捜査2」

  今野敏の「果断 隠蔽捜査2」(新潮文庫)を読む。

  長男の不祥事により、警察庁長官官房の総務課長だった竜崎伸也は降格人事で所轄の大森署の署長となった。就任早々、管内で立てこもり事件が発生した。犯人は拳銃ベレッタを所持していた。現場に出向いた竜崎は、現場で指揮を執ることになった。ときを同じくして妻の身体に変調が起った。

山本周五郎賞、日本推理作家協会賞を受賞。

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原理原則をモットーに信念の人であり、
まさに果断の人・竜崎伸也の虜になった。
テンポのよいストーリー展開に引きこまれる。

第3弾は「疑心 隠蔽捜査3」。

2010年2月21日読了


2010年2月20日土曜日

井上梅次:嵐を呼ぶ男

「うめじ」とばかり思っていました。半世紀の永きにわたり。「うめつぐ」とは訃報で初めて知りました。「うめじ」と「ゆめじ」の夫婦だと……。不明を恥じています。

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 石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』などを監督した映画監督の井上梅次(いのうえ・うめつぐ)2010年2月11日亡くなった。86歳だった。妻は女優の月丘夢路。

 映画、テレビドラマと多作の監督だが、なんといっても石原裕次郎のスーパースターとして地位を確立した『嵐を呼ぶ男』監督として、その存在は燦然と輝く。

・嵐を呼ぶ男
 封切られたのは1957年(昭和32年)12月28日だった。年末からのお正月映画として上映された。当時、映画は最大の娯楽だった。川崎駅にほど近くミスタウンと呼ばれ映画街があった。年末に観た。一回目は立って観て、それから2回目は席が空いたので座って観た。映画館はとんでもなく混んでいた。ドアが閉まらないほど、観客が溢れていた。

 クライマックスシーン。
 右手に白い包帯を巻いたドラマ―の国分正一(石原裕次郎)はドラム演奏を諦め、マイクを握り歌い出した。
 ♪俺らはドラマ― 
  やくざなドラマ―
  俺らがおこれば 嵐を呼ぶぜ
 場内から沸き起こる拍手喝采。チャーリー桜田(笈田敏夫)とのドラム合戦は、正一に軍配が上がった。

 あの裕次郎はかっこよかったなぁ。
「この野郎、かかって来い! 最初はジャブだ…ほら右パンチ… おっと左アッパー…
畜生やりあがったな、倍にして返すぜ……」
 台詞付きの歌詞はこの原作者でもある井上梅次が手掛け、作曲は大森盛太郎だった。

その他の配役
・バンドの女支配人の美弥子に北原三枝
・正一(裕次郎)の弟・英次に青山恭二
・母親に小夜福子
・英次の恋人みどりに芦川いづみ
・ジャズ評論家・左京徹に金子信雄
・チャーリーの恋人でダンサーのメリーに白木マリ

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『嵐を呼ぶ男』を観たのは、草野10歳だった。以来、監督の井上梅次は「うめじ」と読むと思い込んでいたのであります。お恥ずかしい(*^o^*)