鉄砲の弾の下をくぐった武勇伝で偲ぶ
バキューン。バキューン。
漆黒の闇に青い閃光が光った。
「当たってたまるか」
少年は身をかがめて必死に櫓(ろ)を漕いだ。
アメリカ軍GIから発射された弾丸が、逃げる愛舟『千代丸』をかすめた。
太平洋戦争に敗れ、アメリカ軍が日本に進駐した。神奈川・江の島にも日本女性を連れたGIが目立った。
♪星の流れに 身をうらなって
どこをねぐらの 今日の宿
巷に流行り歌が流れていた。「星の流れに」菊地章子が歌った。作詞が清水みのる、作曲は利根一郎だった。
「のさばっているぜ」。暗い世相だった。少年は面白くない。仲間を集めた。米軍基地からチョコレートやガム、缶詰など豊富な食料をかすめ、対岸の片瀬まで夜陰に乗じて逃げる計画である。やることは明らかに泥棒だが、日本中が飢えていた時代である。GIは自動小銃を持っている。命懸けだった。身を賭すことで罪の意が薄らいでいた。
「俺は戦争に行かなかったが、鉄砲の弾の下をくぐってきた」
『親分』こと大沢啓二は話してくれた。
江の島の目の前、片瀬海岸育ちである。「千代丸の逃走劇」はまるでアクション映画の1シーンだ。興に乗ると出た昔話。焼け跡の悪ガキの生きざまが浮かび上がってくる。
不良少年だった。1951年(昭和26年)夏の高校野球神奈川県予選。神奈川商工のエース大沢少年は2回戦で逗子開成と対戦し、審判の判定を不服とし殴り、1年間の出場停止処分となっている。身から出た錆び。連続甲子園出場の夢は断たれた。立教大学に進学してからも、4年生時に当時の野球部監督の砂押邦信排斥運動の急先鋒となった。スパルタ練習に対する反発だった。総長の松下正寿を巻き込む紛争となり、結果、砂押を退陣に追い込んでいる。
野球という生涯をかける存在がなければ、大沢啓二は道を外しアウトローの世界に身を投じたかもしれない。強きを挫き、弱きを助ける。心優しい人情家である。上位者、権力に抗うことで、自らのアイデンティティを確かめていたように、草野球音には思えるのだ。※敬称略
※ランキング参加中。よろしければ1日1回クリックしてください。
※こちらも、よろしければ1日1回クリックしてください。
0 件のコメント:
コメントを投稿