2012年10月27日土曜日

川村清雄展:江戸東京博物館

勝海舟や篤姫を描いた知られざる『油絵師』――。

 近代日本美術の先駆者「維新の洋画家 川村清雄」展を東京・両国の江戸東京博物館で観る。開催=2012108日~122日。

この展覧会まで川村清雄の名を知らなかった。
名は知らぬが、絵には既視感があった。
篤姫こと「天璋院像」、勝海舟の「江戸城明渡の帰途」など歴史の教科書に載っていた。
ああ、あれを描いた画家なんだ……。
遅まきながら知ったのだった。

本展では、
・フランスのオルセー美術館から里帰りした晩年の作品「建国」(1929年)
・勝海舟に捧げた「形見の直垂(ひたたれ)」(1899年)
など代表作を含む約100点の絵画を展示している。

★川村清雄(かわむら・きよお)
 1852年(嘉永5年)―1934年(昭和9年)。黒船来航の前年に江戸で旗本の子として生まれ、幕末から明治、大正、昭和と激動を生きた日本で最も早い時期に海外で学んだ洋画家。
 明治4年に徳川家の留学生としてアメリカに渡り、後に欧州へ。イタリアではベネチア美術学校で優秀な成績を収める。
 海外留学10年を経て帰国したが、フランス美術の強い影響下にあった日本洋画壇では時流に乗れず、次第にとり残されていった。
 日本独自の油絵を生涯にわたり追及した『油絵師』。


本展で知った清雄のエピソード
・川村家のルーツは、紀州にあり、徳川8代将軍の吉宗ともに江戸入りした17人の御庭番。
・清雄は勝海舟に可愛がられ、赤坂氷川の勝邸に画室を構えたこともある。
・清雄は徳川宗家16代当主の家達(いえさと)の奥詰だった。
・清雄はアメリカで津田梅子の看病をして麻疹をうつされた。

 絵画より歴史好きには彼と歴史上の人物との関わりが興味深かった。

20121025日観覧
美博の館#43

※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
</font></span><span style=人気ブログランキング
※こちらもクリックお願いします。

2012年10月23日火曜日

小っちゃい「秋」見つけた

匂い立つ金木犀。
嗅覚で秋を知る。

「秋が好きなのは詩人だ。
お前は何時が好きか?」
と国語の先生に尋ねられ、
「夏です」と応えたら、
「不良だ」と決め付けられた。
はて、春や冬が好きなのは何者だったか。
すっかり忘れた。
半世紀も前の昔むかしの話である。

「春夏冬二升五合」――なんと読む?
テレビのクイズ番組での出題。
「春夏冬」に「秋がない」⇒「商い」。
「二升」で「升升」(ますます)。
「五合」は「半升」⇒「繁盛」
よって「商いますます繁盛」と洒落た言葉遊び。

桐一葉落ちて天下の秋を知る。

※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
</font></span><span style=人気ブログランキング
※こちらもクリックお願いします。

2012年10月20日土曜日

冲方丁「天地明察(下)」

メイド・イン・ジャパンのカレンダー貞享暦――。

 冲方丁(うぶかた・とう)の「天地明察(下)」(角川文庫)を読む。


 徳川4代将軍の家綱の時代、碁方の長子として生まれた渋川春海(安井算哲)が23年間かけ日本初の暦、貞享暦(じょうきょうれき)を作成するまでを描いている。

×  ×  ×

 日本の暦の歴史を、草野が親友の「トリ頭」こと戸坂健作に問うた。
 またまた例のネット検索で得た知識を曝(さら)け出しましたぞ。

――(以下はトリ頭の講釈)
日本に中国の暦が伝来したのは6世紀ごろといわれる。

渋川春海のころは宣明暦(せんみょうれき)を使用していた。この暦は実に823年もの間施行された。862年から1685年の長きわたりなんと2日ほどの誤差が生じていたのだよ。

この不都合を改めたのが岡田准一いや渋川春海さ。
日本人の手による最初の暦さ。
メイド・イン・ジャパン・カレンダーさ。
貞享暦(じょうきょうれき)だな。貞享2年(1685年)に宣明暦を廃止して1686年から使用された。
でも、これも中国の授時暦を参考にして作ったんだ。

以降、宝暦暦―寛政暦―天保暦と移り変わり、現在は明治5年の改歴からグレゴリオ暦(太陽暦)を使用しているのだよ。

明治5年といえば、新橋―横浜(現・桜木町)間に日本で初めて鉄道が開通したん年だぜ。
♪汽笛一声 新橋を
 はや我汽車は離れたり
 愛宕の山に……

おっと、話が逸れ出し長くなるのでさえぎった。
 こんな講釈も明日になれば、すっかり忘れているに違いない。
 なにせ3歩歩けば、物忘れのニワトリさん。鶏冠(とさか)⇒戸坂から付いたあだ名が「トリ頭」。我が愛すべき友なのです。

目次(上下巻)
序章
第1章        一瞥即解
第2章        算法勝負
第3章        北極出地
第4章        授時暦
第5章        改暦請願
第6章        天地明察

20121018日読了

※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
</font></span><span style=人気ブログランキング
※こちらもクリックお願いします。

2012年10月18日木曜日

竹内栖鳳展:山種美術館

池田屋騒動が起った年、京に生まれた京都画壇の大家――。

 「没後70年 竹内栖鳳―京都画壇の画家たち」展を東京・広尾の山種美術館で観る。開催=2012929日~1125日。


 おやっ。面白い。生年をみて歴高(歴史好きのシニア)から一言。

★竹内栖鳳(たけうち・せいほう=1864年―1942年)
 元治元年1122日京都生まれ。西暦では18641220日。
 元治元年の京といえば、三条木屋町の池田屋に新撰組が長州藩・土佐藩の尊王攘夷派の志士を襲った「池田屋騒動」が日本史の出来事として知られる。事件が起ったのは元治元年65日。同じ京で、その半年後に産声をあげた。
 さらに栖鳳が絵の手ほどきをうけたのが四条派。

 「東の大観、西の栖鳳」と称された京都画壇の大家はどこまでも京都の人だなぁと思いながら、本展へ。
 いきなり「班猫」に出くわす。初っ端に重要文化財と、演出効果を考えた展示構成である。
 山種の栖鳳といえば、「班猫」(1924年)となる――なんちゃって、それほど通じゃありません(ポリポリ)。

 3度目か。いつ観てもネコがいまにも動き出しそうだ。
 沼津に滞在していた栖鳳がひと目で気に入り、八百屋さんの飼いネコを譲り受けた。京都に連れて帰り、画室に自由に遊ばせながら観察し描いた傑作だそうな。

本展構成
1章:先人たちに学ぶ
2章:竹内栖鳳の画業
3章:栖鳳をとりまく人々

惹かれた作品
・与謝蕪村の「野馬図」⇒俳諧の巨匠の巧みな絵画だな。
・円山応挙の「虎図」⇒幽霊画の名人の迫力あるタイガー。
・上村松園の「新蛍」⇒上品な色香が漂っていましたな。

20121016日観覧
美博の館#42

※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
</font></span><span style=人気ブログランキング
※こちらもクリックお願いします。

2012年10月11日木曜日

優美かつ威風堂堂たる東京駅

設計者は辰野金吾ならぬ『辰野堅固』サン――。

 赤煉瓦(レンガ)造りの東京駅丸の内駅舎は美しく品格を漂わせ、佇(たたずむ)んでいた。

 1914年(大正3年)辰野金吾さんという著名な建築家によって設計、創建された100年前の姿が忠実に再現されたと聞き、見物してきました。



★辰野金吾(たつの・きんご=1854年―1919年)
 嘉永7年、肥前唐津生まれ。黒船来航の翌年、再度来日したペリーと日米和親条約が締結された年に生まれたんですな。

 彼の設計した日本銀行、東京駅などは、彼の死後に起った1923年の関東大震災にもビクともしなかった。なにせマグニチュード7.9、死者行方不明者約105000人を出した大災害でした。丈夫な建物を作るところから『辰野堅固』とも異名をとったそうな。


 東京駅で下車することはめったにない。何時以来だろうか、などと考えていたら、初めて東京駅に来たことを思い出した。

 あれは小学校34年生のころ。半世紀50余年も前だ。生まれも育ちも川崎。ませたガキ大将だったが、ひとりで切符を買って電車に乗れなかった。1学年上の幼なじみに先導され、大都会に緊張気味に行ったっけ。大変な冒険旅行だった。

当時、切手集めが流行っていた。東京駅近くの中央郵便局と白木屋デパートの切手売り場が目的地だった。さすが花の東京。郵便局やデパートの大きさ(威容)、伝統のもつ重さをいうか、そんな雰囲気に圧倒された思いがある。

 白木屋は江戸時代前期の寛文2年(1662年)から創業の老舗。越後屋(現・三越)、大丸屋(現・大丸)とならぶ江戸三大呉服店のひとつ。

 寛文年間といえば、なんと冲方丁(うぶかた・とう)の「天地明察」のころ、4代将軍の家綱の時代ですな。

ここで、読んでいる本と目の前の東京駅舎が結びついた。感激があるのだ、こんな時。思えば、最近はいつもこの瞬間を求めているように思う。

『温故知新』――。

2012109日見物
美博の館#41

※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
</font></span><span style=人気ブログランキング
※こちらもクリックお願いします。

2012年10月6日土曜日

冲方丁「天地明察(上)」

碁打ちの渋川春海が貞享暦を編纂する物語――。

 岡田准一の映画の番宣をテレビで観て興味を持ち、冲方丁(うぶかた・とう)の「天地明察(上)」(角川文庫)を読む。

 江戸幕府の碁方の長子として生まれた渋川春海(安井算哲)が日本初の和暦、貞享暦(じょうきょうれき)を編纂する物語。

×  ×  ×

 遅読の当方が、やっとこさ「天地明察」上巻を読み終えた。なんと2週間もかかった。牛や亀の歩みでももっと速かろう。自らを虐(しいた)げたくなる。



 親友の「トリ頭」こと戸坂健作(とさか・けんさく)にこのことを話たら、人の傷口に塩を塗って、その上からタバスコを振りかけるように、偉そうにひとくさりが始まった。

――(以下は「トリ頭」の弁)
岡田准一の映画がやっている冲方丁の原作だな。読んだぞ。あんなもの、ものの2時間もあれば楽勝だった(と胸をそらし、ふんぞり返った)。

そもそも時代背景を知らなくちゃ、な。

江戸時代前期、日本では中国の宣明暦を800年超もの長きにわたり使っていたのだが、誤差が蓄積し日常生活に不便が生じていた。4代将軍家綱の命を受けた渋川春海という碁打ちが、和算と天文学の知識を生かし、苦労の末完成させた和暦だな。
これを「貞享暦」という。

老中の酒井忠清、和算の達人・関孝和も実在の人物だし、水戸光圀も保科正之も登場するぞ。

家光の死後に10歳で将軍になる家綱だが、就任早々事件が起った。
知っているか?
慶安の変(1651年)だな。おかっぱ頭の由比正雪や宝蔵院流の槍の名手、丸橋忠弥が幕府転覆を企てたのだ……。

 話が逸れて長くなるので、さえぎったが、この知識もきっとネット検索なんぞで仕入れたものに違いない。明日になればケロリと忘れはずだ。
 ニワトリは3歩歩けば、物忘れしてしまう。「戸坂」は「鶏冠」に、「健作」は「検索」に通じ、ついたあだ名が「トリ頭検索」。

ま、気を取り直して下巻を読もう。
2012105日読了

※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
</font></span><span style=人気ブログランキング
※こちらもクリックお願いします。

2012年10月4日木曜日

シャガールとマティス、そしてテリアード展

版画って絵画より気楽に観ることができる――。

 鎌倉の鶴岡八幡宮境内にある神奈川県立近代美術館で「シャガールとマティス、そしてテリアード~20世紀フランス版画と出版」展を観る。20世紀を代表する画家であるシャガールとマティスは優れた版画を残している。彼らの版画作品と、出版で支えた美術出版・編集者テリアード(1897年―1983年)の仕事を紹介する展覧会。開催2012922日~1224日。

展示されている作品
・マルク・シャガール(1887年―1985年)の「ダフニスとクロエ」と「サーカス」
・アンリ・マティス(1869年―1954年)の「ジャズ」

×  ×  ×

 6月に観た銀座のフェルメール展は全37作品(疑問作も含む)の複製画の展覧会だった。最新技術でフェルメールの描いた当時350年前の色彩を再現し、所蔵美術館の額装そのままで展示する試みがなされている。寡作の画家を知る上で貴重な催しだった。

だが、しかし。
 「真珠の耳飾りの少女」を観たマウリッツハイス美術館展と違う。
 なにが違うかといえば、気分が違う。緊張感が少ない。
 これはどこからくるのか。モノホンがどうかの差ではないか。
 複製画は実に気軽に観ることができる。

 本物は唯一無二。
 複製画は何枚ものコピーが効く。

 版画作品にも同じような気持ちになる。
 これって野暮天の当方だけだろうか?
 ケチを付けるわけではありません(ペコリ=謝意の態度)。
 色彩豊か版画が並び、愉しめましたぞ。

※同時開催=江口週展
2012102日観覧
美博の館#40

※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
</font></span><span style=人気ブログランキング
※こちらもクリックお願いします。