2010年9月30日木曜日

『大政奉還』と『清水の大政』

龍馬と同世代の渡世人
 9月29日に再選不出馬を表明した宮崎県の東国原英夫知事が使っていた言葉『大政奉還』について。
「国の形を変える行動をとりたい。霞が関から国民に大政奉還するためにはどう動くか、おいおい考えたい」と記者会見で述べていました。

 大政とは、「天下国家の政治のこと。まつりごと」で、
 奉還とは、「天皇にお返し申し上げること。返し奉ること」という意味ですね。
 本来の意味からいえば、天皇に政治の主権をお返しするというわけですから、違うのですが、国民による国民による国民のための政治にしたいということなのでしょう。

×  ×  ×

 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」では、いよいよ薩長同盟を結んだ坂本龍馬が、徳川政権を変えるべく『大政奉還』に動き出します。次回(2010.10.3放送予定)では、長崎・清風亭での、龍馬と土佐の後藤象二郎との面談が描かれます。

×  ×  ×

 大政奉還の「大政」は、「おおまさ」でなく「たいせい」です(笑)。
「おおまさ=大政」は清水次郎長の一の子分ですね。「清水みなとは鬼より、怖い。大政、小政の声がする」なんて、ガキの時分にいっていました。あれは映画の宣伝コピーだったのだろうか。よく映画では武士から次郎長の器量に惚れて子分になった設定ですが、常滑の廻船問屋の長男の生まれで、本名は原田熊蔵というそうです。1881年(明治14年)に50歳で亡くなっています。

 坂本龍馬と清水の大政は、ほぼ同年代で、志士と渡世人として風雲急を告げる江戸幕末に生きた御仁なんですよ。

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2010年9月28日火曜日

池波正太郎「真田太平記(五)」

文治派と武断派の対立
 池波正太郎の「真田太平記(五)秀頼誕生」(新潮文庫)を読む。

 豊臣秀吉に念願の嫡男(秀頼)が生まれたが、死期が迫っていた。秀頼の将来を徳川家康以下5大老に託して、秀吉は逝く。秀吉が最も頼りにしていた前田利家も患い、衰弱していく。
 朝鮮出兵以来、豊臣家臣は文治派と武断派に分かれていたが、対立を抑えていたのは利家だった。その利家の病が悪化すると、2派は緊張状態に入った。
 家康が不気味に動き出した……。

目次:第5巻秀頼誕生
・秀頼誕生
・伏見の城
・追跡
・慶長元年
・落日
・角兵衛と佐助
・利家の死
・風雲

×  ×  ×

 向井佐助が修行を終え、草の者として一本立ちする。今後の活躍やいかに。
2010年9月28日読了

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黒木メイサと赤木芽衣沙

スタンダールはどうよ?
 黒木メイサに、そっくりな赤木芽衣沙が「キットカット」の新CMに登場している。それにしてもよく似ている。まるで双生児のようだ。赤木は黒木の1歳年下の妹分とか。個人的な印象では、クールな黒木、チャーミングな赤木といったところ。テレビっ子50年超の吾輩も「赤と黒」に魅せられている。

 さて、このCMの出来、スタンダールは気に入っただろうか(ニヤリ⇒そしてテレ笑いポリポリ)。

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2010年9月25日土曜日

尖閣諸島/粛々/レアアース

ちょいmemo:雑観
 沖縄・尖閣諸島沖で2010年9月7日に起きた中国漁船衝突事件は、中国人船長が処分保留で釈放され、事実上の幕引きとなった。

×  ×  ×

 あらためてお勉強――。

尖閣諸島と釣魚島
 沖縄県石垣市に属し、東シナ海の南西部(八重山諸島の北方)に位置する島々。中国や台湾では「釣魚島」と呼ぶ。
 日本は、日清戦争中の1895年(明治28年)1月14日に、いずれの国に属していないことを確認し、閣議で決定し日本領土とした。一方、中国および台湾は、1895年の下関条約(4月17日)(馬関条約)は侵略戦争によって強引に結ばれたものであるなどとして領有権を主張している。
 日本領土を主張した時期(1月14日)と下関条約が結ばれた時期(4月17日)――この3か月の差が領有問題の出発点なのだよね。話は日清戦争に遡(さかのぼ)るのだ。

『粛々と』
 日本政府は国内法に基づき粛々と対応する――なんて、いっていて船長をあっさり釈放しちゃったけど、「粛々と」について。よく政治家が使う言葉だよね。
 デジタル大辞典の解説では、
1 ひっそりと静まっているさま。「鞭声―夜河を過(わた)る」
2  おごそかなさま。厳粛なさま。
3 つつしみうやまうさま。
としている。

「鞭声粛々夜河を過(わた)る」は、江戸時代後期の歴史家で漢詩人、頼山陽(らいさんよう)が詠んだ漢詩「川中島」が出典だそうです。

鞭声粛々夜過河 (鞭声粛々夜河を過る)
暁見千兵擁大牙 (暁に見る千兵の大牙を擁するを)
遺恨十年磨一刻 (遺恨十年一剣を磨き)
流星光底逸長蛇 (流星光底長蛇を逸す)

 川中島の戦いで上杉謙信が武田信玄の機先を制すべく、妻女山を下って武田勢に気づかれないように馬にあてる鞭(むち)の音も静かに、千曲川を渡る様子を詠んだ詩だそうだ。宿命のライバル甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信の戦いは1553年から計5回、12年に及んだ。戦国時代の戦ハイライトのひとつだよね。

レアアース
 中国船長の拘置期限延長後に中国の圧力はさらに強まった。日本への報復として、レアアース(希土類)輸出禁止に踏み切ったという報道があった。
 そのレアアースってなんだ?
 希土類元素のことで、ネオジム、ジスプロシウムなど17種類の元素のことだそうです。中国が世界の産出量の90パーセントを占めいて、世界消費量の約半分を日本が使っているんだって。ハイブリッドカーや電気自動車のモーター、太陽光パネルの供給には欠かせない素材だそうです。

 日本経済の中国依存度の高さをあらためて感じさせる事件でした。日本の行く末が心配になってきたなぁ。

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2010年9月23日木曜日

名優・小林桂樹さん FOREVER

サラリーマン出世太閤記の木下秀吉
映画でいえば「社長シリーズ」の森繁久弥社長の秘書、「名もなく貧しく美しく」の高峰秀子と演じた聾唖(ろうあ)者夫婦、「裸の大将」の山下清、テレビドラマでは「牟田刑事官」――喜劇からシリアスな役柄までこなした名優・小林桂樹さんが亡くなった。2010年9月16日。86歳だった。※敬称略

×  ×  ×

 渋い選択だが、映画「サラリーマン出世太閤記」の木下秀吉役が好きだ。
・サラリーマン出世太閤記 1957年
・続サラリーマン出世太閤記 1957年
・続々サラリーマン出世太閤記 1958年
・サラリーマン出世太閤記 課長一番槍 1959年
・サラリーマン出世太閤記・完結編 花婿部長No1 1960年
とシリーズ5編が製作された。監督はいずれも筧正典で、東宝作品である。

 大学の応援部の団長を務める木下秀吉(小林桂樹)は母校の応援に力が入りすぎ、大事な日本自動車の就職面接に遅刻してしまう。それでもなんとか入社にこぎつけるが、配属先は本社ではなく工場勤務だった。工場から這い上がるサラリーマンの奮闘、出世街道を描いている。

 秀吉が尊敬する日本自動車の左右田一社長に加東大介、秀吉のライバルで要領のいいサラリーマンに宝田明、食堂の娘エイ子ちゃんに団令子らが出演していた。
 面白かった。

×  ×  ×

「社長シリーズ」もマンネリストーリーだが、抜群に面白かった。妻に頭が上がらず、浮気癖のある社長は森繁久弥だった。男のスケベー心を演じたら、まずもって森繁の右に出る役者はいない。森繁社長の手綱を締めるのが、超マジメな秘書の小林桂樹だ。「パーとやりましょう」が口癖の宴会部長の三木のり平。それとは対象的に謹厳実直な部長は加東大介だった。

 森繁社長と小林桂樹秘書の息はぴったりで、絶妙の間合いだったなぁ。

 またひとり昭和の映画黄金期の名優が逝った。

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2010年9月21日火曜日

池波正太郎「真田太平記(四)」

甲賀に襲われ、お江危うし
 池波正太郎の「真田太平記(四)甲賀問答」(新潮文庫)を読む。
 
 北条を攻め落とし天下人となった豊臣秀吉は、無謀ともいえる朝鮮出兵を企てる。多くの大名が海を渡り出撃するなか、秀吉とともに真田一族は肥前名護屋で陣を構えていた。
 鷹揚だった性格が激しやすく、容貌も歪み、秀吉が一変した。
 豊臣政権のほころびを感じた甲賀忍びの頭領、山中大和守俊房は、秀吉のお伽衆であり又従兄弟の山中長俊に接近、徳川への加担を要請した。真田の草の者お江は甲賀の里に忍び込み情報を探るうちに、甲賀忍びの知るところとなり、襲われ瀕死の重傷を負った……。

目次:第4巻甲賀問答
・甲賀問答
・隠し径
・佐平次の子
・地の底
・肥前・名護屋
・地下蔵
・遁走
・大政所の死

×  ×  ×

 お江、田子庄左衛門、壺谷又五郎ら忍びの超人的手並みが描かれている。
2010年9月21日読了

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2010年9月19日日曜日

愛してタムレ谷啓FOREVER

ヘンチョコリンなヘンテコリンな娘
 9月11日、78歳で亡くなった谷啓さんを偲び、彼が歌った「愛してタムレ」を思い出した。※敬称略


 作詞はムライワ・タカシ、作曲は萩原哲晶。
 ♪タムレタムレ 愛してタムレ
  タムレタムレ 愛してタムレ

×  ×  ×

 そういえば、「ヘンチョコリンなヘンテコリン娘」なんて歌もあったなぁ。
 クレイジー・キャッツといえば、美声の植木等にヒット曲が多いが、ほんわかした谷啓の歌も味があった。

・ハナ肇
・植木等
・谷啓
・犬塚弘
・安田伸
・石橋エータロー
・桜井センリ

「ガチョーン」や瞬き連射――彼は輝けるNo.3だった。

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池波正太郎「真田太平記(三)」

真田父子は徳川家の大軍を退ける
 池波正太郎の「真田太平記(三)上田攻め」(新潮文庫)を読む。

 上州・沼田城を北条家に渡せと徳川家から下知を受ける真田昌幸は、これを拒否する。徳川は意に背いた真田に兵を送る。出来たばかりの上田に拠った昌幸、信幸の父子は、知略ももって数倍の徳川勢を退ける。天下に昌幸の勇名がとどろく。
 上田攻めに失敗した徳川家康は豊臣秀吉との微妙な権力関係から、真田家の懐柔策をとる。臣下の本田忠勝の娘を自分の養女とし、真田信幸に嫁がせる。
 
徳川との戦に協力した上杉家に、昌幸は次男の幸村を人質とし差し出すが、その矢先、豊臣秀吉から幸村を差し出すように要請される、昌幸は困惑するが、上田家の了解を得て幸村を秀吉のもとに送る。
 秀吉は北条家の小田原城を攻め落とす策略をめぐらすのだった……。

目次:第3巻上田攻め
・上田攻め
・華燭
・闇の声
・密書
・落城
・小田原攻め
・行方も知れず
2010年9月14日読了

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2010年9月14日火曜日

須坂クラッシック美術館:信州須坂

岡信孝のコレクション
 須坂クラッシック美術館を観る。
 須坂市は明治から昭和期にかけて生糸の街として栄えた。江戸時代から須坂藩御用達の呉服商であった牧家は、明治に入り山一製糸を興した。3代目の新八が明治20年代に建てた屋敷が、1995年8月に日本画家の岡信孝のコレクションを展示する美術館となった。

岡信孝(おか・のぶたか)――『デジタル版日本人名大辞典+Plus』から引用
日本画家。昭和7年(1932)神奈川県川崎市生。祖父川端龍子のすすめで青龍社研究所に入る。昭和36年、青龍社社人となる。青龍社解散後は無所属として個展やグループ展を中心に作品発表。川崎市文化賞受賞。横浜住。
2010年9月10日観覧

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田中本家博物館:信州須坂

須坂藩を凌ぐ財力の豪商
 信州須坂の田中本家博物館を観る。

 田中本家博物館は長野県須坂市穀町にある。江戸時代の豪商の館を利用した博物館。敷地面積は約3000坪。
 江戸時代中期の享保18年(1773年)初代新八が、現在の地に穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業を創業し、2代目当主信十郎信房が田中家の基盤を確立した。代々須坂藩の御用達を勤め、名字帯刀を許される大地主となった。3代と5代は幕末に士分にとりたてられた。その財力は須坂藩を凌ぎ北信濃屈指の豪商となった。

 この博物館には、江戸中期から昭和まで田中家代々の生活用品(衣裳、漆器、陶磁器、玩具、文書など)が展示されている。

×  ×  ×

 着物、器、玩具とどれも豪華で、往時の田中本家の莫大な財力を感じさせた。館内を観た日は帯の展示をしていた。明治から昭和にかけて田中家の女性たちが締めた帯は美しく、まさに『帯美』であった。広々とした庭園に紫色の朝顔が咲き誇っていた。
2010年9月10日観覧

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2010年9月13日月曜日

おぶせミュージアム・中島千波館

伝統とモダンが調和した枡一客殿
 信州小布施のおぶせミュージアム・中島千波館を観る。

『デジタル版日本人名大辞典+Plus』を引くと――
中島千波(なかじま・ちなみ):
1945-昭和後期―平成時代の日本画家。
昭和20年10月22日疎開先の長野県小布施に生まれる。日本画家の中島清之(きよし)の3男。平成12年母校東京芸大の教授。人間を題材とした「衆生」「形態」などのシリーズのほか、桜をはじめとする花鳥画など多彩な画題にとりくんでいる。また、宮尾登美子「きのね」などの挿絵もえがく。著作に「日本画の描き方」「中島千波画集」など。

 おぶせミュージアム・中島千波館は1992年(平成4年)10月22日、開館した町立の美術館。中島千波から寄贈された約1000点の作品から常時40~50点が展示されている。
 来館したときは、安西大(あんざい・ひろし)展が開催されていた。

×  ×  ×

 宿泊した小布施の宿「枡一客殿」が心地よかった。枡一市村酒造場が2007年9月に全洋室12室の宿で、建物は江戸時代からこの地にあった蔵のほか、長野市などから移築して、改造したもの。伝統とモダンが調和している。東京・新宿のホテル、ハイアット東京の内装を手掛けたジョン・モ―フォードが基本設計にあたったそうだ。
 宿に隣接したイタリアン・レストラン傘風楼で朝食をいただいたが、焼きたてのパンが美味しさかったこと。満足、マンゾク。
2010年9月9日観覧

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岩松院:八方睨み鳳凰図

北斎89歳の渾身の力作
 信州小布施・岩松院の「八方睨み鳳凰図」を観る。

×  ×  ×

 1472年(文明2年)に開基された曹洞宗梅洞山岩衆院は雁田山の麓にある。
 戦国武将の福島正則の菩提寺であり、俳人・小林一茶の「やせ蛙 まける一茶 これにあり」の句碑があることで知られるが、なんといっても目玉は葛飾北斎の「八方睨み鳳凰図」である。

「八方睨み鳳凰図」は、本堂中央の天井に描かれており、葛飾北斎89歳、最晩年の作品。大きさは畳21畳。完成から160年の歳月が経ているが、張替は1度もしていない。孔雀石や鶏冠石など中国から輸入した高価な岩絵具の代金は150両といわれ、金箔4400枚が使用され、その色彩光沢は今も変わらぬ輝きを放っている。富士山の隠し絵があるといわれる。

 北斎は83歳で初めとして小布施を4度訪れている。4度目の滞在約1年かけて鳳凰図を描きあげている。翌年の嘉永2年(1849年)江戸に戻り、浅草聖天町の遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で亡くなっている。

×  ×  ×

 天井に鳳凰が羽ばたいていた。睨みつける眼力に迫力が漲っていた。北斎89歳の渾身の力作。眼福にあずかった。
2010年9月9日観覧

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2010年9月12日日曜日

高井鴻山記念館:信州小布施

北斎のパトロンにして妖怪画家
 信州小布施・須坂の美術館巡りは、北斎館から隣接している高井鴻山記念館を観る。

×  ×  ×

 まずは高井鴻山(たかい・こうざん)の略歴から。
『デジタル版日本人名大辞典+Plus』を引くと――
1806-1883江戸後期-明治時代の豪農。
文化3年生まれ。京都で梁川星巌(やながわ・せいがん)、江戸で佐藤一斎に儒学をまなぶ。天保7年の飢饉には信濃(長野県)小布施に帰郷して窮民を救済した。詩文、書画をよくし、晩年の葛飾北斎(かつしか・ほくさい)を小布施にまねいた。維新後、東京と長野に高矣(たかい)義塾をひらいた。明治16年2月6日死去。78歳。本姓は市村。名は健。字(あざな)は子順。通称は三九郎。

 さて北斎との関係は、よき理解者であり経済的支援者だった。小布施の自宅に北斎用のアトリエ『碧漪軒』(へきいけん)を建て、提供している。北斎は鴻山を『旦那様』と呼び、折り目のある交流が持ったという。

 高井鴻山記念館は、当時の邸宅、北斎のアトリエ(碧漪軒)、文庫蔵、穀蔵、屋台庫を利用して作られ、鴻山の絵画や書を展示している。晩年には妖怪画に没頭したそうだ。

×  ×  ×

 鴻山記念館の売店に、『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる水木しげるサンの絵入りのサイン色紙が飾れていた。妖怪画が繋がりなんですねえ。恥ずかしながらここを見学するまで、知りませんでした。照れ笑いポリポリ。
2010年9月9日観覧

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2010年9月11日土曜日

北斎館:信州小布施

「龍と鳳凰」「怒涛」2基の祭屋台の天井絵
 江戸の浮世絵師、葛飾北斎(1760年―1849年)は、天保13年(1842年)秋、83歳で信濃の小布施に高井鴻山邸を初めて訪ねた。豪商の鴻山は自宅に北斎が居住する碧漪軒(へきいけん)を建て厚遇した。以来、訪れること4度。小布施は北斎が晩年、画業の集大成をはかった地である。北斎は岩松院や祭屋台の天井絵を描き遺している。

 祭屋台と、肉筆画を集め、昭和51年(1976年)11月に開設した信州小布施の北斎館を観る。
 祭屋台には「龍と鳳凰」と、男波と女波の「怒涛」の2枚の天井絵が迫力筆致で描かれている。遺作といわれる「富士越龍」は、龍が富士山から天に昇ろうとする構図。

×  ×  ×

 江戸から小布施まで80歳を超えた老人がどれほどの日数を費やして旅したのだろうか。新幹線のない、鉄道すらない時代。当時の平均寿命をゆうに超えていた北斎が、さらに堂々たる作品を残していることに感動を覚えた。
「龍と鳳凰」は85歳、「怒涛」は86歳の作品とか。

 北斎館のほど近く枡一市村酒造場本店がある。店内の手盃(てっぱ)台と呼ばれるカウンターで、出来たての酒を飲むことができる。北斎ゆかりの「碧漪軒」と「鴻山」と名のついた大吟醸を飲ってみたが、すっきりした味わいの「鴻山」が好みだった。蛇足ながら土産に買った。
 市村家は「枡一」の屋号で250年超も前から酒造りをしているとか。下戸ともいわれる北斎は「枡一」の酒は目にしたはずだが、飲んだかどうかはわからない。
2010年9月9日観覧

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2010年9月7日火曜日

ブサかわ犬わさおが映画主演

共演は薬師丸ひろ子だって
 ワンコ話題の続編です。

『ブサイクすぎてかわいい』と大人気の秋田犬のわさお(オス3歳)が映画に主演する。青森・鯵ヶ沢のイカ焼き屋の看板犬で、秋田犬にしては珍しい、白いフサフサの毛で覆われたわさおはブログで紹介され全国区の人気者になった。

 捨てられさまよい、保健所に連れていかれそうになったところを今の飼い主に救われた。わさおと飼い主との出会い、心を通わせた実話を映画化するもの。映画タイトルも「わさお」で、主演はわさお自らが務める(笑)。動物好きの飼い主には薬師丸ひろ子が演じる。

「RAILWAYS 49歳で電車の運転手になった男の物語」の錦織良成監督が心温まる物語を撮る。2011年3月から全国で公開。

 再び照れ笑いポリポリ。

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カイ・ヴァニラ・ブイヨン

気になるCMワンコたち
 イヌが登場するテレビCMが多い。

 ソフトバンクの北海道犬、白戸次郎は抜群に面白い。最新版では、おばあさんの若尾文子の再婚相手、松田翔太の登場に驚いてみせている。毎回期待を裏切らない演技はさすがだし、カイ君はCMイヌの横綱である。

 感動的なのは「介助犬」が出るヤツだ。「負けない勇気を、介助犬がくれた」というコピーも効いているが、鍵を拾って車いすの女性に持ってくる黒いラブラド―ルのヴァニラが健気だ。あれってJA共済のCMなんだよね。

 癒されるのはジャック・ラッセル・テリアのブイヨンだ。あのCM「パナソニックLUMIX」。樋口可南子さんと糸井重里さんっちの飼い犬だよね。樋口さんがカメラを回しているのが、ブイヨンは実に自然で可愛い。
・ブイヨンは、太陽がすき。
・ブイヨンは、はらっぱがすき。
・ブイヨンは、おとうさんがすき。
・ブイヨンはおかあさんがだいすき。

 ただただCMワンコを並べてだけの雑文でした――と、照れ笑いポリポリ。

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2010年9月4日土曜日

ヘーシンク VS 神永

日本人がこぞって消沈した日
 日本柔道を破った男、東京オリンピック柔道無差別級の金メダリスト、アントン・ヘーシンクが2010年8月27日に亡くなった。76歳だった。

×  ×  ×

 その日は1964年(昭和39年)10月23日だった。東京オリンピックで初めて正式種目に加えられた柔道競技の無差別級決勝戦。日本期待の神永昭夫がオランダの強豪アントン・ヘーシンクと対戦した。それまで、日本のお家芸を誇示するような快進撃だった。
・68㌔以下級 中谷雄英
・80㌔以下級 岡野功
・80キロ超級 猪熊功
と、3階級で金メダルを獲得していた。全制覇へ世界最強者を決める無差別級を残すのみとなった。

 記憶で書かず、YouTubeのダイジェスト映像を観て再現すると――。ヘーシンクが右の支え釣り込み足で神永を投げ体勢を崩し、そのまま横四方固めに移り、抑え込む。ヘーシンクの巨体が上からのしかかる。神永もがくが、袈裟固めの体勢に入る。カウント開始。

 抑え込まれた神永が動かなくなった。
 ヘーシンクの一本勝ち。金メダルを獲得した。
 その瞬間、日本武道館の場内は静まりかけった。テレビ中継を、固唾をのみ観ていた日本国民がこぞって消沈したのだった。

×  ×  ×

 高校生だった。えらく胸が重苦しくなったのを覚えている。
 日本柔道破れたり――だが、映像を観るとヘーシンクの圧勝だった。予選でもヘーシンクは神永に勝っていたんだよね。当時、体力負けのような風潮があったが、実力負けだった。神永は靭帯を痛めていたという後日談があるけど……。


 ところで東京オリンピックの思い出は? どんなシーン?
・河西昌枝ら東洋の魔女のバレーボール金メダル。監督は鬼の大松博文。
・遠藤幸雄の体操個人総合金メダル。あん馬の失敗はヒヤヒヤだった(笑)。
・三宅義信の重量挙げフェザー級金メダル。
・アニマル渡辺長武のレスリングフリーフェザー級金メダル
・円谷幸吉のマラソン銅メダル。アベべの五輪連覇。
・陸上競技100㍍のヘイズの疾走、金メダル。
懐かしい場面がよみがえります。

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2010年9月3日金曜日

池波正太郎「真田太平記(二)」

複雑に織りなす血縁関係
 池波正太郎の歴史小説「真田太平記(二)秘密」(新潮文庫)を読む。

 関東の北条、東海の徳川、越後の上杉と圧力を受ける真田昌幸は上田築城に心血を注ぐ。昌幸の息子、兄の源三郎信幸、弟の源二郎信繁(幸村)、従兄弟の樋口角兵衛をめぐる複雑な血筋と因縁が明らかになる。
 幸村は向井佐平次に自らの出生の秘密を打ち明ける。主従の関係を深める。

目次:第2巻秘密
・上田築城
・角兵衛出奔
・襲う
・秘密
・戦雲
・湯けむり
・変転

×  ×  ×

 佐平次と親密となった女草の者お江が、別所の湯で幸村と出逢い……。
2010年9月3日読了

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2010年9月2日木曜日

若ノ花物語 土俵の鬼

昭和31年日活映画・妻役は北原三枝
『土俵の鬼』と異名をとった第45代横綱初代若乃花で元二子山親方の花田勝治(はなだ・かつじ)が2010年9月1日亡くなった。82歳だった。※敬称略

青森県出身。幕内優勝10回。栃錦とともに『栃若時代』を築いた。110㌔に満たぬ軽量ながら、豪快な上手投げ、呼び戻しを得意技にした異能力士だった。引退後は親方として2代目若乃花、隆の里の2横綱、若嶋津、実弟の貴乃花の2大関らを育て名伯楽といわれた。若乃花、貴乃花の兄弟横綱の伯父。相撲協会理事長も務めた。

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「若ノ花物語 土俵の鬼」は、 ガキのころ観た映画です。まだ我が家にテレビがない時代でした。1956年(昭和31年)の日活作品。森永健次郎監督。巨人軍に長嶋茂雄が誕生する2年前で、スポーツ界随一の人気を誇る若ノ花の波乱の半生を描いた伝記映画でした。
 主演は若ノ花が本人役を務めました。奥さん役は、のちの映画界のトップスターとなる石原裕次郎夫人の北原三枝でした。若ノ花の青年時代を二枚目俳優の青山恭二、父親役は沢村国太郎でした。
 ちなみに沢村国太郎の妹が沢村貞子、弟が加東大介、息子が長門裕之、津川雅彦です。南田洋子や朝丘雪路まで広げると、大芸能一家です。

 北海道室蘭市で沖仲士をしていた花田勝治は怪力を見込まれ相撲界にスカウトされます。そこで血のにじむような荒稽古で鍛え、出世街道を歩みます。結婚、愛児誕生。幸せのなか夢の横綱を目指すとき。まさにそのとき。愛児が部屋のちゃんこ鍋をかぶる不慮の事故で亡くなります。悲嘆にくれる若ノ花が敢然と立ちあがります――。

 ざっとそんな筋書きだったと記憶しています。

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 あのころスポーツ界のヒーロー伝記映画が撮られました。
・力道山物語 怒涛の男(1955年日活)
・名寄岩 涙の敢斗賞(1956年日活)
・川上哲治物語 背番号16(1957年日活)
 川上の奥さん役は新珠三千代でした。裕次郎の登場で、この種の映画を日活は製作しなくなったようです。

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