2012年9月29日土曜日

夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化展

「夢窓国師」と「国士無双」は意外と近い関係にある――。

 「夢窓疎石」という詩的な名に誘われて、横浜・馬車道の神奈川県立歴史博物館で「夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化」展(201291日~28日)を観る。



★夢窓疎石(むそうそせき=1275年―1351年)
 鎌倉末から南北朝、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。世界遺産の西芳寺(苔寺)や天龍寺、鎌倉の瑞泉寺の庭園設計で知られる。
 後醍醐天皇から高僧に与えられる国師を賜り、夢窓国師とも呼ばれる。

「夢窓国師」を逆に見ると「国師夢窓」⇒「国士無双」となる。
 国師と麻雀と一緒にしたら、夢窓さんに失礼にあたる?
 ところが、国士無双の本来の意味は「国士のなかで並ぶものない人物。天下第一の人物」とデジタル大辞泉にはある。
 よって、失礼ではない。
 夢窓疎石は「七朝帝師」とも称され、生涯に7度も歴代天皇から賜与された大人物。まさに「国士無双」なのだ。
 こじつけっぽい?――なんて影の声が聞えそうですが、そ~なんです(笑)。

 夢窓疎石って名に詩的な響きを感じる。
 夢窓という言葉が美しい。
 疎は「間がすいている。まばらのこと」の意⇒「天網恢恢『疎』にして漏らさず」。
 石は石ころ、劣ったもののたとえ⇒夏目漱石、新井白石。

本展では、鎌倉の禅宗文化に影響を与えた夢窓疎石ゆかりの建長寺、浄智寺、円覚寺などに伝わる頂相(ちんそう=禅宗の祖師像)や文書を約50点展示している。

2012927日観覧
美博の館#39

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2012年9月27日木曜日

マリー・アントワネット物語展

フランスの歴史上で最も愛され最も憎まれた王妃――。

 マリー・アントワネットといえば、優美で浪費家でヴェルサイユ宮殿で暮らし、フランス革命で断頭台の露と消えた王妃――なんてイメージしか持ち合わせていない男が、横浜駅東口のそごう美術館で「マリー・アントワネット物語展」を観る。開催2012915日~1118日。



★マリー・アントワネット(1755年―1793年)
 フランスの歴史上で最も愛され最も憎まれた王妃。
 神聖ローマ帝国皇帝フランツ・シュテファンとマリア・テレジアの末娘として生まれ、14歳で輿入れ。その美貌と気品で民衆から熱狂的に愛されたが、その後の贅沢三昧で貧しさと飢えに苦しむ大衆から憎まれながら、フランス革命の渦に巻き込まれ、37歳の若さでギロチン台で断首刑となった。

 
王妃ゆかりの家宝や絵画、工芸品なぢ史料約120点のほか再現した宮廷衣装を展示、ライフスタイルやファッションの焦点をあてながら彼女の人生をたどる。

本展構成
・プロローグ:~ハプスブルクからフランスへ、14歳のプリンス~
・第1章:ヴェルサイユの華~フランスが恋した王妃~
・第2章―1:彼女の愛した美~マリー・アントワネット様式~
・第2章―2:彼女の愛した美~ファッション~
・第3章:はかなく散った永遠の王妃

×  ×  ×

「パンがなければ、お菓子を食べればいい」という言葉をアントワネットが吐いたといわれるが、どうやら敵意や悪意の満ちた作り話らしい。
 一般大衆の気持は移ろいやすい。熱しやすく冷めやすい。冷めた後に憎しむに変わることもある。
 美しい愛すべき王妃が悪女になった。
 アントワネット自身は変わらなかった。変わったのは一般大衆の心だったと推測する。

悪女より過激な『毒婦』という言葉がある。
 「毒婦高橋お伝」(1958年)なんて、えらく昔、映画があった。ガキのころ観た。アダルトっぽい内容だったな。エログロで売った新東宝の大蔵貢さんの製作だから……。
 物語では、お伝も何人もの男をたらしこみ毒牙にかけたが、実際は薄幸な女だったそうな。
 毒婦の方が一般大衆には面白い。一般大衆の興味から話が生まれる。
 虚構が毒婦を作った。

  クレオパトラや楊貴妃も悪女といわれることもある。
 歴史上の人物は、すべからく史実と虚構を織り交ぜて語られていると知るべきである。

2012925日観覧
美博の館#38

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2012年9月23日日曜日

小野小町がいた天橋立

出雲大社・天橋立12日ツアー4

 天橋立は股のぞきに挑む。
 ケーブルカーで傘松公園山頂へ。
 えいやー、股の間に顔を突っ込む。
 空と天橋立の砂州と海が、天地逆さとなる。
 絶景かな、絶景かな。
――5月に宮島(厳島神社)、6月に松島。ジャンジャジャーン、日本三景制覇! ちょっぴり達成感がした瞬間だった。



 ガイドさんが言うには、小野小町が天橋立股のぞき第1号だそうだ。傘松山からの天橋立の景観を愉しんでいたら、小用をもよおし、その折のぞいたら絶景が視界に映ったとか。『俗説』っぽい由来だが、一度聞くと記憶に残る話ではある。

 もうひとつガイドの話から。
 天橋立は京都・宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6kmの砂州。
 天下の名所を訪ねられた昭和天皇に、「あれが阿蘇海です」と説明すると「あぁ、そうかい」といわれたとか。
 ここで、聴いていた見学者はどっと笑っちゃう。
 これも俗説っぽい。
 九州旅行で阿蘇山でも別のガイドさんが同じようなことを言っていた。

 傘松公園山頂から大江山をかすかに望む。
★大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立
 小倉百人一首に採られている小式部内侍(こしきぶのないし)の和歌。彼女は和泉式部の娘。歌合わせの席で、年若い歌人で母親の七光といわれていた小式部内侍が藤原定頼にからかわれたときの返歌である。
 
 小野小町に話を戻せば、
・紀元前のプトレマイオス朝最後の女王・クレオパトラ
8世紀唐の玄宗の妃で傾城(けいせい)の美女・楊貴妃
とともに『世界三大美女』といわれるが、これって日本だけの俗説と推測する。
 小町さんには悪いが、先のお二人ほど世界的知名度がないから、ね。

 オチのない俗説三題噺でしたな(笑)。
2012914日見学
美博の館#37

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2012年9月19日水曜日

桂小五郎がいた但馬・出石

出雲大社・天橋立12日ツアー3

 「大したもんやありませんけどな……」
と、年配の女性が道筋を丁寧に教えてくれた。

但馬の出石(いずし)で探したのは、桂小五郎潜居跡だった。地図を見ながら進んでみたが、どうやら通り越したようだ。行商の軽トラックで野菜を買っていた件の女性に、「桂小五郎が身を隠していた住まいがあるらしいのですが、このあたりにありませんか」と尋ねたのだった。

なるほど1.5mほどの記念碑がぽつりとあった。見過ごしていた。迂闊にも、さっき通ったばかりだった。それほど目立たぬ、地味な場所だった。



1864年(元治元年)の蛤御門の変で長州藩は敗れ、桂小五郎がお尋ね者となった。乞食を装い京で逃亡生活をしていたが、幕府の手がいよいよ及ぶ寸前、但馬の出石に逃れた。広江孝助と名乗り荒物屋をしながら潜伏していた。京の芸妓・幾松(維新後に結婚、木戸松子)も訪ねたことのある潜居跡である。

1866年に薩長同盟が結ばれ、状況は好転し、倒幕へ時代の舵はきられた。桂は明治政府では版籍奉還・廃藩置県の改革に力を発揮した。

今は碑があるだけではあったが、ここに西郷隆盛、大久保利通とともに『維新三傑』のひとり桂小五郎(木戸孝允)がいたのか、と往時を忍び歴史好きには愉しい発見であった。

 城下町の出石はやたらと蕎麦屋が多かった。
 なるほど皿そばは美味かった。
2012915日見学
美博の館#36

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2012年9月18日火曜日

横山大観がいた足立美術館

*出雲大社・天橋立12日ツアー2

 足立美術館といえば、横山大観だ。
 絢爛豪華たる六曲一双の屏風絵。
 2階の大観コーナーに入ると、鮮やかな紅葉が視界に飛び込んでくる。
 そこは真紅の紅葉と群青の水、清冽な世界だった。
――足立美術館の横山大観作品は130点とか。質量ともに屈指の館。四季ごとに作品の衣替えしているそうで、現在は秋の展示中。その目玉といえる「紅葉」を拝したのは幸運であり、眼福にあずかった。



生誕125年・榊原紫峰の特集が展示されていた。

 大観コレクションと双璧をなすのが、日本庭園。米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」で9年連続「庭園日本一」に輝いているとか。

★足立全康(あだち・ぜんこう)
 1899年―1990年。島根県安来の出身。一代で財を築く。1977年(昭和52年)に横山大観の「紅葉」を観て感銘を受け、美術品蒐集に努める。71歳の1970年に足立美術館を設立。
 大阪で開かれた万国博覧会の用地を売却して得た莫大な資金で足立美術館は建てられたそうな。

大阪万博といえば、
 ♪こんにちは こんにちは 世界の国から
なんて、三波春夫が歌っていましたっけ。坂本九、吉永小百合も競作。作詞は島田陽子、作曲は中村八大。岡本太郎作の「太陽の塔」なんてえのもありました。

思えば、1969年の東京オリンピックと1970年の大阪万博は、日本が太平洋戦争の敗戦から復興を遂げ、経済の高度成長を世界に示した出来事でしたな。大学生でした。
 ♪遠き昭和の まぶしい時代
※敬称略
2012913日観覧
美博の館#35

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2012年9月16日日曜日

八岐大蛇がいた出雲大社

出雲大社・天橋立12日ツアー1

 年金で糊口を凌ぐ身にとって愉しみのひとつは格安ツアーである。出雲大社―足立美術館―出石―天橋立12日旅(三朝温泉・依山楼岩崎)をネットで見つけ出掛けた。

×  ×  ×

 赤い16の目が闇に光る。
 8つの頭に8つの尾。
 世にも恐ろしい大蛇こそ、人喰いヤマタノオロチ(八岐大蛇)だ。
 狂暴な怪獣に、高天原を乱暴狼藉で追放されたスサノオノミコト(須佐之男命)が立ち向かう。
――ガキのころ見知った「ヤマタノオロチ退治」伝説を実写とCGを織り交ぜ、高さ3m×幅15mのスクリーンに見せるのは、「神話博しまね」映像館。ナレーションは浅野温子さん。



★八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を
 上映時間20分の神話映画「ヤマタノオロチ」の最後に、スクリーンに浮かび上がった詩。
 これはスサノオがヤマタノオロチを退治した後、救い出したクシナダヒメ(櫛名田姫)を妻とし、出雲の須賀に宮を建てたとき詠んだ歌で、古事記にも載っていて日本最古の和歌といわれている。

 「八雲」は出雲の枕詞。ラフカディオ・ハーンの日本名、小泉八雲の名は島根・松江に在住していた縁から採ったのだろうか。

なんでも今年は古事記編纂1300年の節目に当るそうな。
 
古代出雲歴史博物館の脇で「神話博しまね」が開催中だった。期間=2012721日~1111日。
 残念ながら古代出雲歴史博物館には時間がなく入館できず。これが団体格安ツアーの弱点(笑)。

 神話の世界にちょっぴり浸りながら出雲大社を参拝した。
 御本殿は60年に一度の大改造中で、御仮殿で100円硬貨をポンと入れ、『ニ礼四拍手一礼』の作法で拝礼した。

祭神は大国主大神。至らぬ我が身と連れ添って30数年、カミさんとの契りを与えてくれた縁結びの神さんに大いに感謝!感謝!(それが100円かい=笑)。
2012913日参拝
美博の館#34

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2012年9月11日火曜日

「山法師」ってなんだ?

院政期の比叡山延暦寺の僧兵を指すそうな――。

 死の淵から這い上がった平清盛が出家した――2012.99放送のNHK大河ドラマ「平清盛」。
 清盛が剃髪を比叡山延暦寺の僧侶・明雲に頼むと、明雲は「山法師になぜ」と清盛に訊ねた。
 「白河院でさえ手に負えぬ山法師と協力したい」と清盛はこたえた。

×  ×  ×

 「山法師ってなんだ?」と放送の翌日、草野球音は同年輩、団塊世代の友人、「トリ頭」こと戸坂健作(とさか・けんさく)に問うた。

「エッヘン」とばかり、戸坂は胸を張る。
「法師といえば、仏法に通じ人々を導く人。僧侶のことだな。『山法師』というと、延暦寺の僧、特に平安時代末期の院政期の僧兵を指すのだ。奈良法師といえば興福寺の僧兵さ」

 さらに、もうひとくさり。
 「あの権勢を誇った白河法皇も意のままにならぬもののたとえとして『賀茂河の水、双六の賽(さい)、山法師』の三つを挙げておるな」

どうやら、またこっそり最も古い機種ipadweb検索したらしい。いつもながら、彼がエライのではなく、webの力を借りて知識を曝(さら)け出しているだけなのだが……。

 「戸坂」は「鶏冠(とさか)」に、「健作」は「検索」に読み方が同じ。ニワトリは3歩歩くとモノ忘れすることから、健忘症気味なご仁を「トリ頭」と言う隠語もある。戸坂もwebで検索した知識をいかにも自分がモノ知りのように振る舞い披露するが、翌日には調べたことすらすっかり忘れてしまう。

 彼の仲間は半ばおちょくりながらも、親愛の情をこめて戸坂健作を「トリ頭検索」と呼ぶのだった。

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2012年9月8日土曜日

ベルリン国立美術館展:国立西洋美術館

ヨーロッパ美術400年の歴史を概観する――。

 初来日のフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を観たいと思い、東京・上野の国立西洋美術館で開催している「ベルリン国立美術館展―学べるヨーロッパ美術の400年」へ出向く。開催2012613日~917日。

 ベルリン美術館とはドイツのベルリンにある美術・博物館群を指し、19世紀にプロイセン王国で発足した美術品コレクションが基になっている。

本展では、15世紀から18世紀まで、
・ミケランジェロの素描「聖家族のための習作」
・リーメンシュナイダーの「龍を退治する聖ゲオルギウス」
・クラーナハの「マルティン・ルターの肖像」
・レンブラント派の「黄金の兜の男」
・フェルメールの「真珠の首飾りの少女」
などベルリン美術館群の誇る絵画33点、彫刻45点、素描29点を展示している。



*ヨハネス・フェルメール「真珠の首飾りの少女」(1662年)
 光の射す窓辺の小鏡に向って少女は、首にかけた真珠の首飾りを手にとり自ら姿を見つめている。うっとり。恍惚とした表情。少女は黄色のアーミン(オコジョの毛皮)を着ている。裕福なのだろう。

 このアーミンはどこぞで観た。そうだ。フェルメールの「手紙を書く少女」だった。昨秋、京都市美術館(フェルメールからのラブレター展)で観た作品だ。現存する作品が30数点と寡作の画家が、2作品で描いた黄色のアーミン。思い入れがあるのだろうか、当時の流行なのだろうか、などと興味を惹かれながら絵を見詰めていました。

本展構成
第1章 15世紀:宗教と日常生活
第2章 1516世紀:魅惑の肖像画
第3章   16世紀:マニエリスムの身体
第4章      17世紀:絵画の黄金時代
第5章       18世紀:啓蒙の近代へ
第6章        魅惑の素描:魅惑のイタリア・ルネサンス素描

201296日観覧

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