2009年1月29日木曜日

居眠り磐音「照葉ノ露」

さて家基は‥‥
 佐伯泰英の“居眠り磐音江戸双紙シリーズ第28弾「照葉ノ露」”(双葉文庫)を読む。
 シリーズ最新刊。今編は、“オムニバス形式”で、いくつかの話の連作となっている。
・ 酒乱でDVの主を事故で殺してしまった妻と剣術指南が奔走し、その13歳の嫡男と磐音が仇討ちの旅に出る。
・ 竹村武左衛門が武士を捨て、再就職する。友情厚い、用心棒仲間の磐音と品川柳次郎が陰で支える話。
・ 「でぶ軍鶏」重富利次郎が父に伴い、土佐へ旅立つ話。
・ 11代将軍の世継ぎ家基をめぐる争いから、田沼意次が放った刺客に磐音が立ちはだかる。
――などの話から構成されている。今までにない佐伯泰英の趣向か。

 次編からは家基の11代将軍を阻止しようとする田沼一派と磐音の対決が佳境になるのではないか。
 その家基は、史実では、安永8年2月24日(1779年4月10日)に夭折している。鷹狩りの帰りに立ち寄った品川の東海寺で倒れ、3日後に逝去となるが、この「居眠り磐音シリーズ」ではどのような展開となるのだろうか。

2009年1月27日火曜日

ちょいmemo:オバマ演説

Obama’s Inaugural Address

 忘却とは 忘れ去ることなり
 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ

 脚本家・菊田一夫(1908年―1973年)の代表作「君の名は」は1952年(昭和27年)に始まったラジオドラマで、その冒頭のナレーションが「忘却とは‥‥」である。ラジオドラマが好評で、松竹で映画化された。佐田啓二と岸恵子のコンビが日本中を沸かせた。このフレーズ、忘却せずに覚えている。

 さて、これは覚えておこうなどと思っても、このところ健忘症は甚だしい。だからこその「備忘録」なのである。“ちょいとmemorandum”したいことがある。

Barack Obama was sworn in as the 44th U.S. president on Tuesday in an inaugural ceremony at Capitol Hill, becoming the first black president in U.S. history. (Jan.21)

 バラク・オバマが第44代アメリカ大統領に2009年1月20日(現地時間)就任した。その就任演説は、概ね好評で新聞各紙で全文が掲載された。この稀代の演説巧者を支えるのは、丸狩りの27歳ジョン・ファブロー、主任スピーチ・ライターである。彼の名前は抑えておこう。

 就任演説では、CHANGEやYES WE CANといったオバマ演説のキャッチコピーともなった言葉は封印し、米国の置かれている厳しい現状を語り、今後の責任や義務、あるべき姿を訴えた。後世に名言となる言葉を期待したが、あえて抑え、米国の決意表明というものに終始した。それだけに、直面する難題の多さを実感させた。就任演説は大向こう受けを狙わず、要点を的確にまとめた感じがする。

 きっと忘れるだろう。忘れるに違いないが、記しておきたい言葉2つ。
Starting today , we must pick ourselves up , dust ourselves off , and begin again the work of remaking America.
 私たちは今日から、自らを奮い立たせ、埃を払い落として、アメリカを再生する仕事を、もう一度始めなければならない。

What is required of us now is a new era of responsibility.
 今私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ。

×  ×  ×

 以下、蛇足ながら‥‥。
 「君の名は」の映画は観た記憶がある。全3作あるが、印象に残っているのは、北原三枝が後宮春樹の佐田啓二(1926年―1964年)を馬車に乗せ、北海道の草原を走り歌うシーンである。
 ♪黒百合は 恋の花
 愛する人に 捧げれば
 二人はいつかは 結びつく
 菊田一夫の作詞で、古関裕而の作曲の「黒百合の歌」である。織井茂子が歌った。北原三枝の歌唱シーンは、織井の吹き替えだったそうだ。ちなみに佐田啓二の長男が中井貴一である。

 ♪君の名は たずねし人あり
 その人の名も知らず
「君の名は」の主題歌も、作詞・菊田一夫、作曲・古関裕而のコンビで、歌手は織井茂子であった。

※敬称略。文章中に事実誤認、赤字などありましたら、ご指摘くだされば幸いです。

2009年1月24日土曜日

筆名と本名のギャップ

江戸川乱歩

 江戸川乱歩(1894年―1965年)の少年探偵シリーズ「少年探偵団」(ポプラ文庫)を読む。痛快、スーパー探偵・明智小五郎と、「怪人二十面相」の巻末で結成された「少年探偵団」が活躍する。

 さて、読後感想などでなく、違う話の展開をしたい。
 作家の江戸川乱歩(えどがわ・らんぽ)は筆名で、アメリカの小説家、エドガー・アラン・ポーEdgar Allan Poe(1809年―1849年)からとったことは、よく知られている。本名は平井太郎という。平井太郎作というより、江戸川乱歩作の方が、作品がミステリアスに響くよね。

 筆名には、個々にそれなりの“こだわり”があるようだ。

 曲亭馬琴(きょくてい・ばきん=1767年―1848年、滝沢馬琴の表記は明治以降に使われる)は、本名は滝沢興邦(たきざわ・おきくに)で、筆名は「くるわでまこと」とも読める。これは、本来遊びのはずの廓(くるわ)で誠を尽くしてしまう野暮な男という意味からの命名である。

 二葉亭四迷(ふたばてい・しめい=1864年―1909年)は、本名・長谷川辰之助で、江戸詰めの尾張藩士であった父親から「くたばってしめぇ」言われたことが、筆名となったそうだ。明治期、文学を志す息子をサムライの父には“非国民”のように思えたのだろうか。
 曲亭馬琴にしろ、二葉亭四迷にしろ、自虐的な命名といえる。

 「鞍馬天狗」シリーズを著した 大佛次郎(おさらぎ・じろう=1897年―1973年)の本名は野尻清彦で、鎌倉の大仏の裏に住んでいた縁でつけた筆名だ。
 山本周五郎(やまもと・しゅうごろう=1903年―1967年)は本名・清水三十六(さとむ)で、奉公先の質屋の、世話になった主人の名前が山本周五郎だ。
 
 中高年読者の多い“一平ニ太郎”どうだろうか。本名で書いているのが、池波正太郎(いけなみ・しょうたろう=1923年―1990年)ひとりで、残る御二方は筆名である。
 司馬遼太郎(しば・りょうたろう=1923年ー1996年)は、本名は福田定一という。中国の歴史家、司馬遷からとったもので、司馬遷には「遼(はる)か」及ばないという謙遜からの命名だ。
 藤沢周平(ふじさわ・しゅうへい=1927年―1997年)の本名は小菅留治である。無名時代に早世した妻の故郷が、山形の鶴岡郊外の藤沢という地名であった。藤沢周平の故郷は鶴岡である。甥の名前から「周」、なんとなく「平」の字をつけたという。失礼ながら、「小菅留治」の名前では、藤沢作品の魅力が半減するのではないか。

 ざっと浅学で書いたが、このテーマ、「ペンネームの由来」は探ればかなり興味深いと思う。

2009年1月17日土曜日

樋笠一夫2年前の訃報

伝説弾の男

 それは2年前の訃報だった。

 草野球音は、野球少年だった。野球を始めたのは小学校2年生だった。空き地でキャッチボールをやったのが始まりだった。こんな面白い遊びがあったのか。以来、毎日のようにボールを追いかけた。野球がすべてであった。
 川崎の下町では、内風呂のある家は少なく、銭湯に行くのが普通だった。友達と連れ立って行くと、競って下足箱「16」を目指した。
 「16」は、巨人軍の不動の4番打者、川上哲治の背番号である。「弾丸ライナー」「赤バット」の主は、少年たちの憧れだった。長嶋茂雄や王貞治がまだアマチュア選手だった頃の話だ。
 「樋笠ってすげよな」
 「逆転サヨナラ満塁ホーマーだってよ」
 「代打で、だぜ」
なんて、大いに話題を集めたことがあった。

 その訃報は、2009年1月17日付の朝日新聞朝刊スポーツ頁の隅っこに載っていた。
――プロ野球の元巨人外野手で、史上初の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録した樋笠一夫(ひがさ・かずお)氏が2007年6月17日に死去していたことが16日、分かった。87歳だった。

 2年前の訃報なのである。なぜだろうか? 2年半もの間、死去の事実が知られなかったことはともかく、樋笠一夫(1920年―2007年)の伝説弾を追う。

 1956年(昭和31年)3月25日。後楽園球場での巨人対中日戦。樋笠は彼の名を球史に刻んだ偉業を達成する。
 0―3で迎えた9回裏。中日先発の大矢根博臣を打ちあぐねた巨人だが、ようやく無死満塁と反撃機を得る。中日監督の野口明は、信頼厚いエース杉下茂をリリーフに送った。
 藤尾茂が杉下の前に三振に倒れ、一死満塁となった。巨人監督の水原茂は、投手の義原武敏に打席が回ったところで、代打に樋笠を起用した。樋笠は杉下の投じた3球目の内角球を強振した。打球はぐんぐん伸びて左中間スタンドに舞い込んだ。まさに劇的。代打逆転サヨナラ満塁本塁打である。日本プロ野球史上初めてとなる快挙が生まれたのだった。
 狂喜乱舞する巨人ダッグアウト。稀代のヒーローを迎え、三塁ベースコーチも務める水原はキスを浴びせ、さらに彼が本塁を踏むと、ナイン総出の胴上げが始まった。

 香川県高松中学、広島鉄道局を経て、30歳で広島入団。その年、21本塁打、72打点を叩き出すが、1年で退団する。翌年シーズン途中から巨人に入団する。巨人では、青田昇、与那嶺要、岩本尭と外野陣が揃っていて、先発の機会は少なかったが、貴重な代打として活躍した。伝説弾の翌1957年シーズン後に現役を引退。1960年、1961年に近鉄コーチを務め、その後は球界を離れた。
 現役生活8年間で、548試合、1376打数315安打、54本塁打、194打点、通算打率は2割2分9厘の生涯成績を残す。

 代打逆転サヨナラ満塁本塁打の樋笠一夫――なんとも懐かしい顔がまた消えた。

2009年1月15日木曜日

乱歩の「怪人二十面相」

♪ぼ、ぼ、ぼくら少年探偵団

 江戸川乱歩(1894年―1965年)の少年探偵シリーズ「怪人二十面相」(ポプラ文庫)を読む。乱歩が少年向けに書いた少年探偵小説の、記念すべき第1作で、名探偵の明智小五郎と怪盗の怪人二十面相の初対決がみものとなっている。明智の助手の小林芳雄少年が登場する。
 このほど文庫版で、「怪人二十面相」のほか、
・少年探偵団
・妖怪博士
・大金塊
・青銅の魔人
・サーカスの怪人
の6作品がポプラ社から刊行された。当時の少年向き読み物を彷彿させる挿絵が随所にあり、懐かしい。この「怪人二十面相」で少年探偵団が結成される。

 子供頃ラジオから流れる少年探偵団の歌を聴いた覚えがある。作詞・壇上文雄、作曲・白木義信。
 ♪ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団
 勇気りんりん るりの色
 「るりの色」の歌詞の意味が分からなかったなぁ。手元の電子辞書(デジタル大辞泉=小学館)を引くと、「紫色を帯びた濃い青色」とある。
 波島進が明智小五郎役を演じた映画を観た記憶がある。波島は、あの刑事ドラマ「特別機動捜査隊」の立石である。怪人二十面相は伊藤雄之助だった。
 少年期を過ぎた頃には、天知茂(1931年―1985年)の明智小五郎、「美女シリーズ」をテレビで観ていた。こちらは、映画と比べヌードシーンもふんだんにあり、大人向けだった。夏樹陽子や佳那晃子らが印象に残っている。波越警部役は荒井注だった。天知茂の死後、北大路欣也、西郷輝彦が明智役を演じている。

 恥かしながら、今回「怪人二十面相」を初めて読んだ。シロイヌである。
 
 昨年2008年12月、北村想の「怪人二十面相・伝」を原作とした映画「K―20 怪人二十面相・伝」が上映された。金城武、松たか子、仲村トオルが出演している。

2009年1月9日金曜日

白洲次郎はぶれない男

昭和の鞍馬天狗

 アラカン⇒鞍馬天狗⇒白洲次郎という連想である。

 「昭和の鞍馬天狗」といわれた白洲次郎とその夫人、白洲正子の足跡を辿る展覧会にぶらり寄って来た。横浜駅東口のそごう美術館(そごう横浜店6階)で「迷わぬ、ふたり。白洲次郎と白洲正子展」(1月22日まで開催)を観た。
 終戦後の占領下で吉田茂の側近として連合軍総司令部(GHQ)との折衝に当り、日本の復興と講和独立のため奔走し「昭和の鞍馬天狗」と呼ばれた男・白洲次郎と、骨董の収集と随筆で知られる白洲正子を紹介している。次郎のローレックスの時計など愛用品や、正子の安土桃山時代の陶磁器など200点余りが展示されている。また、ふたりが住んでいた町田市の「武相荘」(ぶあいそう)の応接間が再現され、その生活ぶりをうかがえる。
 白洲次郎(1902年―1985年)はGHQをして「従順ならざる唯一の日本人」といわしめた。敗戦から卑屈になる日本人の多い中、勝者にも流暢な英語で渡り合い、凛とした態度を崩さなかった。思想の根底に流れるのが、「プリンスプル」principleだという。プリンスプルは、英和辞典を引くと、原理原則、主義・信条などと訳されるが、彼自身は「筋を通すこと」だと言ったそうだ。
 写真をみると身長180㌢の長身、イケメンで、ダンディである。初めてジーンズをはいた日本人とか。終戦処理のサンフランシスコ講和会議に向かう機内で、ひとりだけTシャツにジーンズの軽装で寛ぎ、到着後にビッシと正装でキメた。
 夫人である白洲正子(1910年―1998年)と子息にあてた遺言状には、「葬式無用 戒名不用」と書かれていた。ケンブリッジ大を卒業した英国仕込みのダンディズムを、生涯貫いた。
 「昭和の鞍馬天狗」は粋で人を魅せる御仁である。

2009年1月7日水曜日

ちょいとmemorandum

新語:アラカン

 アラカンって言葉、知っていましたか?
 「嵐寛寿郎のことだろう」って。あの“天狗のおじさん”じゃなくて『“around kanreki”(アラウンド還暦)=60歳代前後』、なんですよ。最近、耳にしました。
 アラフォーといえば、around fortyで、「四十代前後」を指しますよね。アラサーなんて、も言いますな。つまり「60代前後」を、英語と漢語のちゃんぽんにして、懐かしい語感で表現したんですな。
 サッポロビールのテレビCMで、西田敏行、寺島進、「次長課長」の河本準一の3人が居酒屋で一杯やっているヤツですよ。あれで、西田が「アラカン」という言葉を遣っていました。それで、面白いと記憶したわけです。
 「アラカン」という響きに、共感する中高年層を狙ったCMなんでしょうか。

 アラカンを 勘違いする アラカン世代

×  ×  ×

 草野球音の世代は、アラカンといえば、嵐寛寿郎(1903年―1980年)だ。「鞍馬天狗」、「むっつり右門」などが当り役で、晩年は高倉健主演の「網走番外地シリーズ」で、「鬼寅親分」を渋く演じた。その存在感は圧倒的だった。
 映画館で初めて映画を観たのが鞍馬天狗だった。海岸線を白馬で疾走するアラカンの雄姿が目に焼き付いている。あれは、小学校に上がったばかりの頃ではなかったか。
 鞍馬天狗のシリーズの作者として有名なのが 大佛次郎(おさらぎ・じろう=1897年―1973年)である。 「大佛」は、鎌倉大仏の裏手に住んでいたことから、付けた筆名だそうだ。生まれは横浜で、港が見える丘公園に「大佛次郎記念館」がある。

×  ×  ×

※敬称略。文章中に事実誤認、赤字などありましたら、ご指摘くだされば幸いです。