2009年3月31日火曜日

ちょいmemo:源冶店

御典医・岡本玄冶

 「与話情浮名横櫛」の「源冶店」(げんやだな)には、「源氏店」(げんじだな)の表記もある。「源冶」の「冶」(や)が「治」(じ)となり、「源氏」となったのだと、どこぞで読んだことがあるが、正確なところはわからない。
 春日八郎は「お富さん」で、「エサオーげんやだな」と歌っている。
 「げんやだな」のもとは玄冶店で、歌舞伎では実際の地名を憚(はばか)って源冶店としたようだ。「玄冶店」は、江戸時代の初期に岡本玄冶という幕府お抱え医者の拝領屋敷があった場所で、現在の日本橋人形町あたりという。

 お富との不倫が暴れ、簀巻きにされた与三郎だが、一命をとり止める。以来、体中に受けた刃傷の痕を売り物に「切られ与三」と異名をとり、強請りたかりで生業とする。その傷数は34箇所だそうだ。

2009年3月30日月曜日

あの名台詞:お富さん

*ガキのころ、映画や芝居の台詞を覚えるのが好きだった。覚える間もなく忘れてしまう健忘症気味の今と違い、記憶力はよかった。

 歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の源冶店(げんやだな)の場。切られ与三郎が、蝙蝠(こうもり)安に連れられ強請(ゆす)りに行った妾宅で見たのはかっての恋人、お富だった。
 「ご新造さんへ、お上さんへ、お富さんへ。イヤサお富、久しぶりだなぁ」と頬被りの手ぬぐいをとり、顔をみせた切られ与三郎が名台詞を吐く――。

しがねぇ恋の情けが仇(あだ) 
命の綱の切れたのを 
どう取り留めてか 
木更津から 
めぐる月日も三年(みとせ)越し 
~中略~
死んだと思ったお富たぁ 
お釈迦さまでも気がつくめぇ 
よくまぁ おぬしぁ 達者でいたなぁ 
安やい これじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ 
帰(けぇ)られめぇじゃねぇか
 この台詞覚えの原点は、春日八郎の「お富さん」だった。情景が浮かんでくるような作詞は山崎正、軽快な作曲は渡久地政信である。1954年(昭和29年)のヒット曲だ。
 ♪粋な黒塀 見越しの松に
  仇な姿の 洗い髪
  死んだはずだよ お富さん

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 米国テレビドラマ「24-Twenty Fours-Redemption」をDVDで観る。

 今回はシーズン6とシーズン7の橋渡し的なエピソードとなっている。舞台はアフリカ・サンガラ。特殊部隊仲間のベントンのもとに身を寄せたジャック・バウアー(キーファー・サザーランド)が、政情不安の地でクーデターに巻き込まれる。
 DVDにシーズン7の予告編があった。なんと、シーズン5で死んだはずのCTU時代の同僚トニー・アルメイダ(カルロス・バーナード)が敵役で再登場するのだ。
 まさに切られ与三郎の台詞ではないが、「よくまぁ おぬしぁ 達者でいたなぁ」といいたくなった。俄然、シーズン7が観たくなった。
2009年3月28日DVD観

2009年3月29日日曜日

三国志と三国志演義

レッドクリフ
 「三国志演義」を基にした中国映画「レッドクリフ」Red Cliff Part1をDVDで観る。
 中国の史伝・英雄伝「三国志演義」のなかでも有名な「赤壁の戦い」をジョン・ウー監督が映像化している。主役の名将・周瑜にレオン・リー、彼と友情を交わす諸葛孔明を金城武が演じている。スペクタクルな合戦シーンと織りなす人間模様が見どころ。日本からは中村獅童が武将の甘興役で出演している。絶世の美女、小喬にリン・チーリンが扮しているが、その美しさが光っている。
 後編にあたる「レッドクリフPart2―未来への最終決戦―」は、日本では2009年4月10日に公開される。
×  ×  ×
 単に「三国志」という場合は、歴史家である陳寿(233年―297年)が著した史書のことをいう。魏、呉、蜀の三国が覇を競い、曹操・孫権・劉備の将が活躍した時代である。対して「三国志演義」は、明代(1368年―1644年)になって書かれた通俗歴史小説で、作者は施耐庵あるいは羅貫中とされる。
 「演義」をデジタル大辞泉で引くと、
①物事の道理や意味をわかりやすくくだいて説明すること
②中国で、歴史上の事実をおもしろく脚色し、俗語をまじえて平易に述べた小説
とある。
2009年3月22日DVD観

2009年3月28日土曜日

浅野内匠頭の辞世の句

元禄14年3月14日
 風さそふ 花よりもなほ 我はまた
  春の名残を いかにとやせん

 政府が打ち出した景気対策である地方の高速道路の「土日祝日1000円均一」が2009年3月28日から始まった。自動料金収受システム(ETC)搭載の車限定の割引だが、さぞやお花見に出かけた家庭も多いのでは、と推測する。

 ちらほら咲いた花便りを聞きながら、浅野内匠頭の辞世の句を思い出した。元禄14年3月14日、江戸城松の廊下で浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央(よしひさ)を斬りつけ、その日のうちに切腹となった。赤穂事件である。芝居でいう「刃傷 松の廊下」。ちなみに翌元禄15年12月14日、大石内蔵助良雄以下赤穂藩47士が本所松坂町の吉良邸に討ち入り、吉良の首をはねた。
 元禄14年3月14日は、西暦でいえば1701年4月21日だそうだ。

 それにしても300年前の江戸は寒かった。4月下旬にまだ名残の桜が咲いていた。地球温暖化をしみじみと確信するのである。

2009年3月26日木曜日

東映時代劇「赤穂浪士」

侍ワールド

 侍ニッポンいや侍JAPANがついに世界一の座に輝いた。野球の実力世界一を決めるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本代表は2009年3月24日、決勝で延長の末、ライバル韓国を下し2連覇の偉業を達成した。

 侍JAPANは今や侍WORLDになったのだ。侍ワールドといえば、東映時代劇である。話の運びが強引になるが‥‥(笑)。1950年~60年代の日本映画史に燦然と輝く、あの東映時代劇である。

 「東映時代劇DVDコレクション」(デアゴスティーニ社)から発売された創刊号「赤穂浪士」を観る。 
 1961年(昭和36年)、大佛次郎(1897年―1973年)の原作をもとに、松田定次が監督を務めたオールスター出演の東映創立10周年記念作品である。
  大佛次郎の原作は、架空の浪人・堀田隼人が登場するモノだが、ここではストーリーは語らない。その豪華な配役をみてみたい。
 主役の大石内蔵助に御大の片岡千恵蔵。もうひとりの御大である市川右太衛門が上杉家の家老千坂兵部。ドラマ最大の敵役である吉良上野介には、千恵蔵や右太衛門に肩を並べる戦前からの剣豪スター月形龍之介を配している。
 悲劇の浅野内匠頭に大川橋蔵、内匠頭を支える脇坂淡路守に中村錦之助、浅野家の剣の遣い手、堀部安兵衛に東千代之介、堀田隼人には大友柳太朗と、当時の主演スターを揃えた。
 次代への期待を込めた松方弘樹は内蔵助の嫡男・大石主税、上野介の倅の上杉綱憲に里見浩太郎、清水一角に近衛十四郎、また内蔵助に情をかける立花左近に大河内伝次郎らを配している。中村賀津雄、山形勲、進藤英太郎、柳永二郎、吉田義夫、原健策、阿部九洲男、加賀邦男、堺駿二、田中春男らがどこの場面で登場するか、画面を追うのも一興である。
 男性陣が目立つオールスターだが、女優も華やかだ。瑶泉院に大川恵子、堀田隼人とからむ仙に丘さとみ、内蔵助の妻おりくに花柳小菊、浮橋太夫に千原しのぶ、を配し、桜町弘子、花園ひろみ、長谷川裕見子、木暮実千代らも花を添えている。

 東映オールスター映画のお楽しみのひとつは、配役である。忠臣蔵や清水次郎長など話の筋は知られているものが多いなか、誰がどの役を演じるのか。スターの格や人気を推し測る材料となるのだ。
2009年3月25日DVD観

2009年3月22日日曜日

刑事・鳴沢了「血烙」

粋な今の再登場

 堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シルーズ」第7弾「血烙」(中公文庫)を読む。
 新潟、東京と舞台は移り、そして今回は米国へ飛ぶ。ニューヨーク市警で研修中の鳴沢了に、今や全米のアイドルとなった勇樹がハイジャックに巻き込まれる事件が起こる。鳴沢が現場に駆けつけると、犯人の射殺された死体があり、勇樹の姿はなかった。その行方を追いアトランタ、フロリダと捜査を展開する。見え隠れするチャイニーズマフィアの大物、七海の宿敵トミー・ワンの影――。
 ストーリーはいきなり米国に移り、リアルさ・現実味は希薄になった感があるが、ニューヨーク、アトランタ、フロリダと現地取材したのではと推測される、細やかな描写もあり、骨髄移植の問題も登場するなど、エンタテイメントに仕上がっている。
 フロリダのキー・ウェストに犯人を追い詰め、鳴沢は身体を張って捉えた。そのとき、彼の携帯電話が鳴る。相手はあの第4弾「弧狼」でコンビを組んだ今敬一郎だった。刑事を辞め、実家の住職を継ぐという知らせだった。鳴沢は今の報告を聴き、気を失う。このあたりの、今の再登場は堂場の粋な演出だ。



 キー・ウェストは米国最南の都市で、ヘミングウェイErnest Hemmingway(1899年―1961年)が暮らした場所である。こんな記述もあった。
――フロリダ・キーズは世界的な釣りのメッカなのだ。七海が敬愛して止まないテッド・ウィリアムスも、引退後はアイラモラーダで釣り楽しんでいた。キー・ウェストに暮らしたヘミングウェイも、スロッピー・ジョーズ・バーで呑んだくれてばかりではなく、穏やかな海に釣り糸を垂らしたことだろう。
2009年3月21日読了

2009年3月14日土曜日

ちょいmemo:侍ニッポン

侍JAPAN

 イチローや松坂のWBCの日本代表メンバーの愛称は「侍ジャパン」だそうだ。古い奴、草野は「侍ニッポン」をつい連想してしまう。

♪人を斬るのが 侍ならば
 恋の未練が なぜ斬れぬ
 作詞西條八十、作曲は松平信博で、昭和6年の日活映画「侍ニッポン」の主題歌だった。徳山璉が歌った。郡司次郎正の小説を映画化した。
 大老井伊直弼の落胤として生まれた新納鶴千代が主人公で、たびたび映画化され、鶴千代役は大河内伝次郎、阪東妻三郎、東千代之介、田村高廣らが演じている。
♪泣いて笑って 鯉口切れば
 江戸の桜田 雪が降る
 新納鶴千代は父である井伊直弼ともに、桜田門外の変で散る。

2009年3月12日木曜日

ちょいmemo:返歌あり

ホームレス歌人の記事を
他人事(ひとごと)のやうに読めども
涙零(こぼ)しぬ
 2009年3月9日付の朝日新聞に、ホームレス歌人の公田耕一さんの返歌が載った。「連絡してください」という呼び掛けに対する返信である。歌の書き添えで、「連絡を取る勇気がありません」とあったという。
 これ以上の詮索は仕舞いにする。

2009年3月10日火曜日

浜崎真二そしてペイジ

最年長記録

 横浜FCのカズ(三浦知良)が42歳10日のJリーグ最年長出場を果たした。2009年3月8日の平塚戦(平塚競技場)の途中出場し、東京V(当時V川崎)ラモス瑠偉が持つ41歳9ヶ月5日を更新した。
 カズもゴン(中山雅史)も頑張る。カズは1967年2月26日、ゴンは同年9月23日生まれである。
 カズの偉業からプロ野球の最年長記録に思いを移す。
×  ×  ×
 阪急、国鉄などで監督を務め、引退後は「球界彦左」と呼ばれた浜崎真二(1901年―1981年)が日本プロ野球の記録保持者である。
 1950年(昭和25年)11月5日、阪急の監督兼投手であった浜崎は先発を果たしている。その時、なんと48歳10ヶ月であった。浜崎は敗戦投手となったが、この登板が日本の最年長出場記録となっている。対する相手も長老。毎日の監督である湯浅禎夫が先発している。こちらは48歳4ヵ月だった。11月での試合で分かるように、消化試合だった。
 浜崎は48歳4ヵ月で勝利投手となり、日本プロ野球史上最年長勝利の記録も持つ。慶応大学、満鉄を経て45歳でプロ野球(阪急)に監督兼選手で入団した。身長は五尺二寸(154センチ)の小兵だった。プロ野球の通算の投手成績は5勝5敗、防御率4.03。阪急、高橋、トンボ、国鉄での監督通算成績は1219試合535勝639敗29分、勝率.456を残す。1978年に野球殿堂入りを果たしている。
×  ×  ×
 野球の本場アメリカの記録はどうだろうか。史上最高の投手の一人と言われる伝説の男、サチェル・ページSatchel Paige(1906年―1982年)が最年長の記録ホルダーである。
 1965年にカンザスシティ・アスレチックスと1試合だけの契約を結び、先発し3イニングを無失点に抑えている。この時、ページは59歳だった。正確な生年月日が不明なため、異説があり当時60歳を越えていたとも言われる。
 ページのメジャーリーグ入りは42歳と遅かった。1948年のことである。前年の1947年、ロサンゼルス・ドジャースにジャッキー・ロビンソンが入団し、黒人選手に大リーグの門戸が初めて解放された。ページが全盛だったころ、20代、30代のころは、メジャーリーグで投げることを許されなかった。活躍したのは、ニグロ・リーグといわれる黒人たち専門の野球リーグだった。2500試合登板し、2000勝以上の勝星を挙げ、ノーヒットノーラン55試合という信じがたい伝説を残している。相手打者が打てないので観客が沸かないため、わざと四球を出し満塁のピンチを作り、投げたという逸話もある。
 記録のはっきりしている1934年には105試合登板104勝の離れ業を成し遂げている。1930年、大リーグ選抜との試合では22三振を奪い、完封勝ちを収め、その実力は当代ナンバー1であった。
 メジャーリーグでの成績は28勝31敗、防御率3.29であるが、年齢を考えれば立派だろう。46歳の1952年には12勝をあげている“バケモノ投手”なのだ。
 初めからメジャーで登板していたら、恐らく球史は変わっていたと推測する。1971年に黒人として初めて野球殿堂入りを果たした。
×  ×  ×
 草野球音には浜崎の投げている姿を想像できない。記憶にあるのは国鉄監督のころで、エースの金田正一と一緒に映っている写真が滑稽だったことか。154センチと長身184センチの凸凹コンビぶりが笑いを誘った。
 サチェル・ページは佐山和夫が著した伝記「史上最高の投手はだれか」を読んで、その存在を初めて知ったのだった。1984年(昭和59年)のことだった。これほどの投手がいたのか。生年不詳ながら59歳の大リーグ最年長登板、ニグロリーグの2000勝以上など、伝説に触れワクワクしたのを覚えている。
史上最高の投手はだれか (潮文庫 (245))

2009年3月7日土曜日

おいらテレビっ子50年

思い出語り

 あれは昭和33年(1958年)のことだった。
 テレビが家にやって来た。長嶋茂雄がプロ野球デビューし、東京タワーが誕生し、今や世界食となった即席ラーメン(チキンラーメン)が初めて世に出た年であった。
 まだモノクロテレビで、1958年の放送普及率は10.1%と低かった。NHK受信料を払わない“もぐり受信”があるため、放送普及率と実質の普及率とに誤差があるのは周知の通りだが、10.1%という数字は家庭にテレビは行きわたっていないことを示している。貧しい生活をしていたわりに、我が家のテレビは世間サマより先駆けていたといえるが、それでもご近所と比べ遅かったようだ。川崎の商店街に住み、パチンコ屋と映画館が囲まれていた生活環境では、商店の多くはテレビはあるのが当たり前だった。

 そのテレビに映っていたのは、外国テレビドラマ「アイバンホー」Ivanhoeだった。スコットランドの作家ウォルター・スコットSir Walter Scott(1771年―1832年)の歴史小説が原作で、中世期、十字軍遠征から帰ったアイバンホーが、ジョン王の悪政化にある英国を救う物語である。30分番組で、主役のアイバンホーを演じたのが、ロジャー・ムーアで英国テレビ界へのデビューであったという。美男の俳優であったと記憶していたが、あの男がロジャー・ムーアだったと知ったのは、つい最近のことである。馬上槍試合の場面は迫力があったなぁ。

 日本のドラマで初めて観たのは、「日真名氏飛び出す」である。ラジオ東京テレビ(現テレビ東京)で1955年から1962年まで放送された同局最初の連続テレビドラマである。素人探偵の日真名進介(久松保夫)と、助手の泡手大介(高原駿雄)が事件を解決する。久松保夫は後にブームとなる米国の西部劇ドラマ「ララミー牧場」の主役、ジェス・ハーパー役(ロバート・フラー)で声の出演をしている。
 そして同年、少年たちを夢中にさせた「月光仮面」がスタートした。原作は川内康範で、主役の月光仮面で祝十郎は大瀬康一が演じたのだった。

 テレビが家にやって来てから50年。全く観なかった日があっただろうか。アラ還の今もって、テレビっ子である。

×  ×  ×

 当時、「私の秘密」「ジェスチャー」「名犬ラッシー」「スーパーマン」「ハイウェイパトロール」なども観ていた。懐かしいなぁ。
※敬称略。文章中に事実誤認、赤字などありましたら、ご指摘くだされば幸いです。

2009年3月6日金曜日

岸田劉生の「麗子立像」

 ぶらり散歩に出る。横浜・中区馬車道の神奈川県立歴史博物館で「アジアとヨーロッパの肖像」展を観る。
 この特別展はアジアとヨーロッパとの出会いを背景に、広い意味での肖像、人物表現、伴う絵画・彫刻・工芸・写真などに表現された自己(SELF)と他者(OTHER)の姿の歴史的な展開を紹介している。神奈川県立近代美術館葉山と同時開催(3月29日まで)。英語タイトルはSELF and OTHER : Portraits from Asia and Europeとなっていている。

 岸田劉生(1891年―1929年)の愛娘を描いた「童女図(麗子立像)が、特別展のポスターにも使用されており、やはり目を引いた。劉生の父は岸田吟香(1833年―1905年)で、J・Cヘボン(1815年―1911年)の「和英語林集成」の編纂、ジョセフ彦(1837年―1897年)の新聞発行に協力している。
 波乱万丈の人生を送ったジャーナリストで実業家の岸田吟香については、「七つの顔」を持った男(2008年9月7日)で触れている。
2009年3月5日観覧

2009年3月2日月曜日

ちょいmemo:無宿歌人

赤いきつねと朝日新聞

 2009年3月2日付の朝日新聞の天声人語で「ホームレス歌人の公田耕一さん」の存在を知った。毎週月曜日に掲載する読者投稿の短歌欄「朝日歌壇」で、昨年12月に初登場して以来、しばしばホームレス生活を詠んだ作品が入選し脚光を浴びている。

 初入選の作品
・(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ

 草野が気に入った作品
・親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす
・百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞

 2月16日付の紙面で「連絡とれませんか?」と呼びかけたが、いまだに名乗り出ていない。どうやら横浜の人らしい。
 世界的不況のなか、身に凍みる野辺に凛と咲く一輪を記憶に留めたい。

2009年3月1日日曜日

ちょいmemo:東映vs大映

キャスト比較
 清水次郎長一家の話がまだ続く。東映と大映のオールスター映画である「任侠清水港」と「次郎長富士」のキャストをみてみよう。
 東映の「任侠清水港」は1957年(昭和32年)の製作で、監督は松田定次。一方、大映の「次郎長富士」は1959年とその続編1960年の2本が撮られているが、ここでは1959年版と比較対象とする。監督は森一生である。

任侠清水港(東映)清水次郎長:片岡千恵蔵
森の石松:中村錦之助
大政:原健策
小政:東宮秀樹
追分三五郎:大川橋蔵
小松村の七五郎:東千代之介
都鳥吉兵衛:山形勲
黒駒の勝蔵:月形龍之介
お蝶:花柳小菊
大前田英五郎:市川右太衛門

次郎長富士(大映)清水次郎長:長谷川一夫
森の石松:勝新太郎
大政:黒川弥太郎
小政:本郷功次郎
黒駒の勝蔵:滝沢修
お蝶:近藤美恵子
吉良仁吉:市川雷蔵

 同じ役でもストーリー展開でキャストは変わる。東映ものは次郎長(片岡千恵蔵)と石松(中村錦之助)が、大映ものは次郎長(長谷川一夫)と吉良仁吉(市川雷蔵)が主役となっている。東映では、千恵蔵と肩を並べる雄、市川右太衛門を貫禄の大親分、大前田英五郎に配している。

×  ×  ×
 草野の記憶があいまいな部分もあり、この項はgoo映画の当該頁を参照にして記した。