2011年4月28日木曜日

絶品スライダー成田文男 Forever

高速で小さく鋭く真横に滑った。
 ロッテのエースとして活躍した成田文男(なりた・ふみお)氏が亡くなった。2011年4月21日のことで、64歳だった。スライダーの名手といわれ通算175勝、20勝以上4回、最多勝2回、ノーヒットノーラン1回を記録している。※以下敬称略

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 成田文男のスライダーを堪能するのは、川崎球場が一番だった。
 グラウンドレベルと同じ高さの記者席が、ホームベースから15mほど後方にあった。投手―捕手―アンパイアーのほぼ一直線上に、在籍していた日刊スポーツ新聞社の記者席は位置していた。だから、投手の球筋を観るには最適の場所だったといえる。

 1972年(昭和47年)、1973年とロッテ・オリオンズの担当記者だった。
 成田はこの2年11勝、21勝を記録している。ロッテは1972年まで東京スタジアムが本拠地球場だったが、1973年仙台と川崎を準フランチャイズ球場としゲームを消化することになった。川崎は大洋ホエールズの本拠地だった。

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 なぜロッテが仙台と川崎の球場を使うようになったか、簡単に説明しておこう。

 東京スタジアムを所有していた永田雅一が経営難から手放し、国際興業社主の小佐野賢治に譲渡したことにより、当時のロッテ・オーナー中村長芳との交渉がこじれ、本拠地としての使用ができなくなった。1972年のことである。田中角栄と刎頸の友である小佐野。岸信介の秘書の中村。当時の首相の佐藤栄作は、兄・岸の派閥を引き継いだ福田赳夫を後継に考えたが、佐藤の長期政権下に内閣の要職を歴任し力をつけた田中は禅譲を阻む動きに出た。「角福戦争」の勃発である。そんな代理戦争のおもむきで、ロッテは東京スタジアムを使えなくなった。

 さらに1972年オフ西鉄ライオンズが球団を身売りし、太平洋ライオンズが買収し、中村はそのオーナーとなった。ロッテは本社社長の重光武雄がオーナーに就いている。

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 さてスライダーである。成田のそれは、いわゆる高速スライダーだった。ストレートと変わらぬ速さがあった。スピードガンがなかった時代で、球速は計測さていないが、成田は140キロ後半、絶好調時は150キロ超のストレートを投げていたと思う。ストレートとの球速差は10キロ未満だったろう。
 速い。小さく鋭く真横に滑る。曲がるというより、滑っていた。
 しかも制球力は抜群といってよく、ストライクゾーンの四角を自在についていた。スライダーを多投していたわけなく、ここぞという場面で投げていた。緩いカーブ、ストレートなどでカウントをとり、空振りを狙って投げ、思惑通り取っていた。

 一般的にスライダーは修得しやすい球種といわれ、またフォークボールのように手が大きく指が長いなどの身体的条件が少ないため、投げやすいが、落とし穴も多い。甘く入ると長打を食うリスクが高い。制球力のよい投手だからこそ、スライダーは武器になるのだ。

 特に右打者はストレートと思って振るが、ボールが鋭く逃げていき、バットは空を切った。一瞬消えたと錯覚したのではないか。

 川崎球場では、スライダーが実によく観ることができた。ホームベースの角で鋭く滑る様が観てとれた。調子のいいときは、惚れ惚れするほど心地よかった。

 日本プロ野球の歴史でスライダーを名刺替わりにした名投手に藤本英雄(巨人)や稲尾和久(西鉄)がいるが、成田も負けていないのではないか。また縦スライダーの松坂大輔(西武)、高速の伊藤智仁(ヤクルト)も名手として付加しておきたい。

 スライダーを習得したプロ入り4年目の1968年から3年連続20勝をマーク。1970年の25勝、1973年の21勝は、パ・リーグ最多勝投手に輝き、ともにリーグ優勝に貢献している。

 東京都足立区出身。修徳高校卒。南千住の東京スタジアムを本拠にしたこともあり「下町のエース」とか「下町の太陽」の異名をとった。
 松竹の倍賞千恵子が映画「下町の太陽」に主演、主題歌も歌いヒットしたのは1963年だった。この映画は山田洋次監督作品。荒川の川べりに住居が密集している東京下町を舞台にした青春ドラマだった。倍賞は化粧品工場の女工役だった。共演は勝呂誉、早川保。

 同名主題歌の作詞は横井弘、作曲は江口浩司。
  ♪下町の空に かがやく太陽は
   よろこびと 悲しみ写す ガラス窓

*成田文男ライフタム:現役17年、534試合175勝129敗8S、通算防御率3.20
178センチ76キロ。右投右打。

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 現役晩年の1980年から3年間、日本ハムに所属した。通算6勝しか挙げられなかった。たまたま取材に行った後楽園球場で顔をあわせたら、懐かしそうに笑いながら近づいてきた。「ボクの一番いいときを知っている人がいる」。周囲に絶頂期の彼を知らない記者が多くなり、寂しかったのだろうか。

 あのスライダーは忘れない。成田文男 FOREVER――。

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2011年4月26日火曜日

お茶目な水川あさみ・初:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第15回=猿の正体)
そなたはまだ生娘なのか。
あぁ、よかった。
妹に先を越されては、姉として格好がつかぬは。
 初の水川あさみが、江の上野樹里に問い質し、生娘と知って大喜びした。

 天正12年(1584年)12月。秀吉(岸谷五朗)の意向で佐治一成(平岳大)と離縁させられた江は大坂城に身を移した。傷心と秀吉への怒りを露わにする江に、初は佐治一成との仲を耳元でささやいた。茶々(宮沢りえ)、初、江の三姉妹にあって、初めて嫁いだ江。1年足らずで離婚した妹に対して、初の俗っぽい問いかけだった。

×  ×  ×

 初が大喜びしたシーン、笑っちゃいました。まさか姫君があけすけに尋ねたりしないよね。
 水川あさみの初は茶目っけたっぷりです。お菓子好きで甘いものをパクついたり、織田信長の近習、イケメンの森蘭丸に「ほの字」だったりしています。江とはケンカ相手。美しい姉の茶々、奔放な妹の江と対照的に、三枚目キャラに初を脚本・原作の田渕久美子さんは描いています。

 初はその後、名門の京極家の当主・京極高次の正室となります。

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2011年4月23日土曜日

それでも偉大な森永勝也

1962年セリーグ首位打者に輝く
 森永勝也(もりなが・かつや)――この名前にご記憶がありますか? ご存知の方は古い野球ファンでしょうね、きっと。※以下敬称略

×  ×  ×

 ひょんなことから彼の名を目にした。
「悪役俳優ひったくり、父は森永勝也監督」というニュースが22日に入ってきた。帰宅途中の女性からバックをひったくったとして、テレビの悪役などで出演していた俳優の森永健司容疑者が逮捕されたという。生活苦からの犯行だが、容疑者の父親が森永勝也だったのだ。
 1993年に亡くなった森永勝也としては、残念なマスコミ登場だったと思う。
 だが、しかし……。彼は偉大な野球人だった。これは間違いない事実であった。

 なんといっても輝かしいのは、首位打者のタイトルだ。1962年(昭和37年)のことだ。広島カープの中心打者だった。
 1962年のセリーグ打撃成績10傑をみてみよう。懐かしい顔ぶれが並びますぞ。
1・森永勝治(広島).307 ※入団から1962年まで「勝治」で登録
2・近藤和彦(大洋).293
3・並木輝男(阪神).290
4・江藤慎一(中日).288
5・長嶋茂雄(巨人).288
6・前田益穂(中日).284
7・坂崎一彦(巨人).276
8・中利夫(中日).275
9・王貞治(巨人).272
10・吉田義男(阪神).261
 首位打者の森永が3割7厘、10位の吉田は2割6分台という驚くべき低打率だが、これは投手陣が奮闘したからだろう。ちなみにリーグ優勝は阪神。本塁打王(38)と打点(85)で王が2冠を手にしている。

 続いて1962年の投手防御率成績は――。
1・村山実(阪神)1.20
2・小山正明(阪神)1.66
3・金田正一(国鉄)1.73
4・秋山登(大洋)1.92
5・稲川誠(大洋)1.98
6・藤田元司(巨人)2.03
7・柿本実(中日)2.06
8・城之内邦雄(巨人)2.21
9・中村稔(巨人)2.28
10・権藤博(中日)2.33
 なんと5傑まで防御率1点台だった。ちなみに最多勝は30勝で権藤だった。
 1962年は、稀に見る投高打低の年だった。金田、村山、小山、藤田、秋山、権藤といった歴史に残る名投手を相手に、森永は巧みバットコントロールでリーグ唯一3割を記録したことは、まさに特筆ものである。

 山口県の柳井商工高から専修大学へ。さらに熊谷組で1957年都市対抗優勝、1958年に広島入団。中心打者として活躍、のちに巨人に移籍した。プロ野球13年の通算成績は、2割7分ちょうど。1974年には1年間広島の監督を務めている。172センチ70キロ。左投左打。外野手。
 ひょんなことから名前の露出となったが、彼の偉大さは微塵も揺るがない。

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2011年4月20日水曜日

軍師だ柴俊夫・黒田官兵衛:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第14回=離縁せよ)
和睦がなれば、
城攻めはただちに取り止め、
奪い取りました城はすべてお返しいたす、
と主は申しております。
 秀吉の名代・黒田官兵衛(柴俊夫)が織田信雄(山崎裕太)に和睦を説いた。

 天正12年(1584年)3月。佐治一成(平岳大)の主君・織田信雄と羽柴秀吉が対立。信雄は徳川家康と同盟を結び、秀吉軍と戦が始まった。小牧長久手の戦いである。
 膠着状態のなか秀吉は11月、軍師の黒田官兵を信雄のもとに使者として送り、和睦を申し出る。これを信雄が単独で受けたため、大義名分がなくなった家康は戦線離脱する。
 このとき帰参する家康に船を調達し海路の便をとった佐治一成に激怒した秀吉は、江を「茶々が病」と偽りの手紙を出し大坂城に呼び寄せ、強引に一成と離縁させるのだった。

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 黒田官兵衛孝高(よしたか)は織田信長の家臣時代に、織田家の重臣で摂津国を任されていた荒木村重が信長に謀反を起こし有岡城に籠城した。そのとき村重を翻意させようと説得に向ったが、捕縛され地下牢に閉じ込められてしまった。1年後に救出されたときは、その労苦から髪は抜け落ち足に障害を負い、歩行が困難になっていた。

 よって柴俊夫の官兵衛は、頭巾をかぶり常に座っているのですね。冷静沈着な演技をみせています。官兵衛は、竹中半兵衛とともに秀吉の軍師とし、「両兵衛」と謳われました。

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2011年4月19日火曜日

堂場瞬一「敗者の嘘」

イケメンのシングルファーザー刑事・大友鉄の第2弾
 堂場瞬一の「敗者の嘘 アナザーフェイス2」(文春文庫)を読む。イケメンのシングルファーザー刑事が活躍する大友鉄シリーズ「アナザーフェイス」の第2弾。

 神田神保町で資産家の老夫婦が殺され放火される事件が起った。捜査本部はスポーツ用品店店長の渋谷博己を容疑者として任意で取り調べるが、捜査段階で自殺する。その翌日、真犯人と名乗る女性弁護士・篠崎優が出頭する。混乱する特捜本部に、刑事部ナンバー3の福原聡介の直々の命令で大友鉄が送り込まれた。

 大友は育児を優先するため捜査一課から刑事総務に異動している。大友の事件の介入を、特捜本部を実質的に指揮をとる岩永管理官は快く思わなかった。

目次
・第一部:名乗り出た女
・第二部:拉致
・第三部:敗残者たち

×  ×  ×

 同僚刑事の柴克志、今回初登場の女刑事高畑敦美の助っ人を仰いで事件解決に、大友鉄が挑みます。大友の愛息・優斗ややたら見合いを勧める義母の聖子、東日新聞記者・沢登有香が第1段に続き登場しますぞ。

 真犯人に名乗り出た篠崎優の動機が希薄な感じですが、まぁ細かいことは抜きにしてエンターテイメントを楽しみましょうや。
2011年4月18日読了

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2011年4月17日日曜日

書陵展:アートガーデン川崎

手をあわせば 心きらりと 虹となる
 こもりく初瀬 み仏の前
 川崎駅近くのアートガーデンかわさきで「書陵展」(2011年4月12日~4月17日)をのぞいてみる。例年春に開催される書道の展覧会。横浜書法芸術協会の主催。

 紫舟、武田双雲、國重友美といったテレビやマスコミ露出の多い人気書家の展覧会とは趣を異にして、地味な書家やそのタマゴの力作が展示されている。

×  ×  ×

 私事で恐縮ですが、「手をあわせば心きらりと虹となる―」の書はカミさんの作品です。出典は道浦母都子(みちうら・もとこ)さんの歌です。道浦さんは全共闘世代を代表する歌人とか。
*催涙ガス避けんと秘かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり
など歌があるそうです。

「こもりく初瀬」とはなんだろう? 書を観ても意味がつかめず、途方に暮れました。そんなときネットは心強いツールです。調べてみました。
「こもりく」とは「初瀬」にかかる枕詞で「隠国」「隠口」と表記するそうです。「初瀬」は奈良県桜井市の地名で、近くに長谷寺があります。
――こもりくの里。初瀬の長谷寺。暗い本堂で仏さまに手をあわせると、心にきらりと虹が差し込んできました
 そんな解釈を我流でしてみました。きっと歌人は信仰心の厚い人なんでしょうな。

 書と対峙すると癒されます。さらに出典までさかのぼるとさらに理解度を増します。出典とそれを書く側の心と向き合うことができるのですな。
 書は奥が深い、といつもこの展覧会を観ながら思います。
2011年4月14日観覧

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2011年4月14日木曜日

三波春夫没後10年:歌謡浪曲「俵星玄蕃」

討ち入りから3年後、宝永大地震が起った
 4月14日は国民的歌手、三波春夫さんの命日で、今年は没後10年にあたるとか。日刊スポーツ新聞紙上に笹森文彦記者が書いていました。

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 ガキのころ。昭和30年代半ば。小便臭い場末の映画館。松竹と新東宝の二番館でいつも閑古鳥が鳴いていたっけ。
 流れていたのは「大利根無情」だった。
 ♪利根の利根の川風 よしきりの
  声が冷たく 身をせめる
 作詞は猪俣良、作曲は長津義司。
 三波の台詞が冴える。「止めてくださるな、妙心殿。落ちぶれ果てても、平手は武士じゃ。……行かねばならぬ、行かねばならぬのだ」

 さらにもう一曲。三本立の映画の幕間に「一本刀土俵入り」のレコードがかかる。
 ♪千両万両 積んだとて
  銭(ぜに)にゃ買えない 人ごころ
 作詞は藤田まさと、作曲は春川一夫だった。
「角力(すもう)になれず、やくざになって尋ねてみれば、この始末。さぁ、姐さん、この金持って、早くお行きなせえまし」

 歌謡と台詞の巧みに混在した歌謡浪曲の世界があった。
 名うての剣豪・平手造酒の落日、横綱をめざしたが大成せず渡世人となった駒形茂平の恩返し――物語が再現され、舞台を観ているような気がしてくる。

 その集大成ともいえるのが、「俵星玄蕃」(たわらぼし・げんば)だろう。
 没後10年、あらためてYouTube~俵星玄蕃フルバージョン~を聴いてみる。8分30秒の長編歌謡。作詞の北村桃児は、三波の筆名。作曲は長津義司。
 ♪槍は錆びても この名は錆びぬ
  男玄蕃の 心意気
「時に元禄15年12月14日、江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓」で始まる朗々たる長台詞も聴かせるのだ。
 ガキのころ何回か聴いたが、感動しました。ぜひお薦めします。

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 元禄15年12月14日は、西暦で1703年1月30日。徳川5代将軍の綱吉の時代です。討ち入り後の宝永3年(1706年)に、事件を題材とした近松門左衛門作の人形浄瑠璃「基盤太平記」は竹本座で上演されました。その1年後、宝永4年(1707年)に大地震が起りました。今回の東日本大震災が起るまで、日本の記録に残る最大級の地震といわれた「宝永大地震」です。マグニチュード8.4から8.7と推定されています。地震と津波で約2万人が亡くなりました。
 さらに、それから49日後に富士山の側面で大噴火が起こりました。「宝永の大噴火」です。江戸に火山灰が降ったそうです。記録に残る富士山の最後の噴火です。大地震と大噴火を合わせて「亥の大変」と呼ばれたそうです。

 三波春夫さんの没後10年で「俵星玄蕃」を聴いて、東日本大地震と福島原発事故と重ねて「平成の大変」という気がしてきました。

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2011年4月12日火曜日

眉目秀麗の平岳大・佐治一政:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第13回=花嫁の決意)
会えて嬉しいぞ、江。
織田家、佐治家、両家の繁栄のためともに歩んで参ろうぞ。
 平岳大が演じる佐治一政が初めて会った江(上野樹里)の肩を抱き言った。

 天正11年(1583年)秋。羽柴秀吉(岸谷五朗)は江と佐治一成の縁談をまとめた。この政略結婚は、秀吉が茶々(宮沢りえ)への邪心を募らせ、江が邪魔になったことが一因だが、戦略上の思惑があった。一成は織田信雄の家臣で伊勢随一の水軍を持つ武将。信雄が徳川家康(北大路欣也)と与し打倒秀吉に戦準備を進めており、一政を信雄から分断する狙いがあった。
 江は尾張・大野城へ嫁ぐ。そして一政と対面する。その一政の第一声だった。

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佐治一政=戦国武将の佐治信方の嫡男。母は信長の妹・犬。佐治家は知多半島の大野を中心に領し、伊勢の海を掌握していた佐治水軍を率いていた。

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 江の最初の夫となる佐治一政の平岳大が登場しました。その容姿は、さすがに父親が平幹二朗で母親は佐久間良子という芸能サラブレッドらしく眉目秀麗でノーブルですな。
 平幹二朗が「徹子の部屋」に出演したとき、話していましたが、岳大は27歳で役者になったそうです。離婚したため、佐久間が育て平とは離れて暮らしていましたが、芸能界入りの際、役者として基礎を指導したと言っていました。岳大は米国のブラウン大学応用数学部、コロンビア大学院に学んでいるのですね。立派な学歴、真っ当な就職もしていたのですが、やはり血筋が役者に導いたのでしょうか。

 江の三番目の夫、徳川秀忠が前回「竹千代」の幼名で出てきましたが、長じて秀忠を向井理が演じるそうです。

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2011年4月9日土曜日

堂場瞬一「アナザーフェイス」

シングルファーザー刑事の特殊能力
 堂場瞬一の「アナザーフェイス」(文春文庫)を読む。

「鳴沢了」「真崎薫」などに次ぐ新たなシリーズ。その名は「大友鉄」。警視庁刑事総務課に勤める大友は、愛する妻を交通事故で亡くし、息子と二人暮らし。捜査一課から、育児を優先するため異動希望した。学生時代は演劇に没頭した。刑事には稀な優しい面立ち・イケメンとその演技力で、人に警戒心を与えず、心を和ませる特種な能力を持っている。
 銀行員の息子が誘拐される事件が起った。元上司で、刑事部ナンバースリー刑事部特別指導官の福原聡介から、大友鉄は特捜本部入りを命じられた。

目次
・第一部:五万人のダミー
・第二部:閉ざされた部屋の中で
・第三部:偽りの平衡

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 鳴沢了も真崎薫も、そして今回の大友鉄も、堂場瞬一さんの主人公は颯爽とした男前が多いようです。シングルファーザーという設定が面白いですな。
 特別捜査官の福原聡介や女性記者の沢登有香は今後も大友とからむのだろうか。
2011年4月8日読了

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2011年4月7日木曜日

ボストン美術館浮世絵展:山種美術館

清長・歌麿・写楽in天明・寛政
 清長がいて、歌麿がいて、写楽がいた。摺りあがったばかりのような、鮮やかな色彩が匂い立つ「ボストン美術館浮世絵名品展 錦絵の黄金時代~清長、歌麿、写楽」(2011年2月26日~4月17日)を、東京・広尾の山種美術館で観る。
 浮世絵の名品を所蔵していることで有名なボストン美術館コレクションの中から江戸の天明・寛政期に焦点を絞って140点余を展示している。

 天明(1781年~1789年)寛政(1789年~1801年)といえば、遡ること200年以上も昔。活気と華やぎに満ちていた江戸町人文化が開花した。徳川10代将軍・家治と11代・家斉の、田沼意次が権勢をふるい、松平定信が「寛政の改革」を行い、文化芸術が爛熟した時代である。

構成
・第1章:鳥居清長(1752年~1815年)
・第2章:喜多川歌麿(?~1806年)
・第3章・東洲斎写楽(生没年不詳)
・第4章:黄金期の三大絵師をとりまく大家たち
 第4章では、勝川春章、鳥文斎栄之、歌川豊春、歌川豊国らの作品が紹介されている。

目を引いた作品
・鳥居清長:「美南見十二候 九月」「風俗東之錦 萩見」
・喜多川歌麿:「四季遊花之色香 上・下」「歌撰恋之部 稀二逢恋」「青楼遊君合鏡 丁字屋雛鶴・雛松」
・東洲斎写楽:「中山富三郎の宮城野」「市川男女蔵の奴一平」「天王子屋里虹 二代目山下金作の仲居おかね、実は貞任妻岩手御前」
・鳥文斎栄之:「茶屋娘見立雁金五人男」
・勝川春章:「三代目瀬川菊之丞の羽子板」

×  ×  ×

 歌麿の美人画は色香が際立っていますな。
 清長、歌麿、写楽ら浮世絵の天才絵師が登場し、蔦屋重三郎ら版元が鎬(しのぎ)を削った時代でした。
2011年4月5日観覧

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2011年4月5日火曜日

賢い大竹しのぶ・おね:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第12回=茶々の反乱)
お茶々さまだけは、
ゆめゆめ手出しなさらぬよう……。
されば、いっそのこと嫁に出すことを考えなされませ。
 秀吉の正妻おねを演じる大竹しのぶが夫で岸谷五朗の羽柴秀吉をこう諭した。

 茶々・初・江の三姉妹に邪心を抱かぬようにというのは、三姉妹の母である市(鈴木保奈美)の遺言であった。
 が、策士の秀吉は「嫁に出す」というおねの言葉にひらめく。
 豪華な着物や食事にも手をつけず、茶々らは秀吉に抵抗していた。
 茶々(宮沢りえ)でなく江(上野樹里)の嫁入りを画策することになる。江はお屋形様の織田信長とイメージがダブり、秀吉には邪魔者だった。
 天正11年(1583年)初夏だった。

×  ×  ×

 おね(大竹しのぶ)は側室の京極龍子(鈴木砂羽)と付き合うことができる武将の妻としてできた賢い女性です。夫の秀吉が市(鈴木保奈美)を恋しているのを知っても、ただあきれていましたが、さすがに茶々への邪心は阻止しようと思ったのです。
 ところが、秀吉さんはサルもの、江に縁組をして片づけるようとしたのです。老獪(ろうかい)でした(笑)。

 秀吉の側近であり、後に徳川家康と天下を争う石田三成(萩原聖人)が美しい茶々に恋心を抱くのは、脚本家・田渕久美子さんの解釈でしょうか。
「命じられれば、そなたはなんでもするのか」と、茶々に言われた三成は、その凛々しさに思慕を募らせていましたな。
 秀吉を母の仇と憎む茶々、茶々に邪心ありありの秀吉、茶々を秘かに恋慕する三成、さて今後の成り行きがみものです。

 後の徳川二代将軍の秀忠となる竹千代(嘉数一星=かかず・いっせい)が登場しました。家康の三男で、江の三度目の結婚相手ですね。
 家康の次男・於義丸を前田健が演じていました。於義丸は家康にうとまれていたのですよね。
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