大相撲史上最多の32回の優勝を記録した大鵬幸喜(たいほう・こうき)さんが2013年1月19日に亡くなった。72歳だった。(以下敬称略)
× × ×
国技である相撲の起源源流は神話の時代にさかのぼる。
興行が始まったのが江戸時代初め17世紀、
徳川3代将軍・家光のころといわれる。
1年を20日で暮らすよい男――。
1場所10日で年2場所だったという。
長い大相撲の歴史にあって未曾有の最強力士といわれるのが雷電為右エ門。
らいでん・ためえもん=生1767年―没1825年。
徳川11代将軍・家斉のころの大関。横綱に就任していないが、当時大関が実力の最高位だった。
197センチ172キロの筋肉質の巨漢。
当時の日本人の体格から比してまさにガリバーだったに違いない。
現役21年。江戸本場所36場所で勝率9割6分2厘。
黒星はわずか10番。同じ力士に2度負けたことがない。
とてつもなく強かった雷電から白星を挙げたのは10力士だけ。
柏鵬時代。
大鵬に相対すは柏戸剛(かしわど・つよし)。常勝から生まれた言葉――巨人・大鵬・玉子焼き。
堺屋太一氏の造語とか。
2番手でいつもトップになれないのを、
『阪神・柏戸・社会党』なんて揶揄した向きもあったなぁ。
いや、柏戸は強かった。
大鵬が偉大すぎただけなのだ。
雷電の生涯10敗の記録をみると、
10 力士になかに『柏戸宗五郎(初代)』の名前を見つけた!そうなのだ。
あの柏戸剛のずっと先輩で最高位は大関。
『柏戸』は江戸時代から続く名四股名である。
柏戸宗五郎は雷電の好敵手だった。対戦成績は1勝5敗1分2預3無(ウィキペディア参考)。
かの雷電為右エ門でさえ優勝28回。
大鵬は32回。年6場所と年2場所と時代が違い単純比較はできない?
おっしゃる通り。
でも、大鵬は偉大すぎるほど偉大だった、
ということで話を〆たい。
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