テレビ東京の美術系教養番組「美の巨人たち」(8月28日放送)で「旧グラバー住宅」を扱っていたので、邸主のトーマス・B・グラバー(1838年―1911年)についてメモランダム――。
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安政6年9月9日(1959年10月4日)、スコットランド出身の貿易商が開港したばかりの長崎の地を踏んだ。弱冠二十歳の男だった。
1858年大老に就いたばかりの井伊直弼が米はじめ英・仏・露・蘭の5カ国と通商修好条約を結んだ。締結を受け横浜、長崎、函館が開港した。
通商修好条約が勅許を経なかったため、日本国内には尊王攘夷の嵐が吹き荒れていた。大老の井伊は過激な取り締まりを行った。安政の大獄である。橋本左内や吉田松陰が投獄され断首された。
そんな政情不安のなか、上海を経由して極東にやって来た男こそトーマス・ブレーク・グラバーだった。
彼は2年後に「グラバー商会」を設立した。当初は生糸や茶の輸出を商売していたが、政治の混乱に目をつけ、より儲かる武器や弾薬を販売しだした。薩摩、長州を支援し倒幕に協力した。
武器商人ながら、大浦海岸で蒸気機関車を日本で初めて試走させた。また、ドック建設、高島炭鉱も開発など日本の近代化に貢献している。
明治に入り武器が売れなくなり、グラバー商会は倒産するが、岩崎弥太郎に経営手腕を認められ三菱財閥の相談役に就いている。
日本人の妻、談川ツルをめとり1男1女をもうけ、グラバーはツルとともに長崎市内の坂本国際墓地に眠る。
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坂本龍馬はグラバー相手に武器の買い付け交渉した、それは取りも直さず徳川幕府が倒し明治政権樹立にひと役買った場所が現在、長崎の観光名所となっている。
長崎港を望む丘に、四季の花々に囲まれグラバー邸は佇む。この木造洋風建築は、天草出身の棟梁・小山秀(秀之進)よって建てられた。
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