2010年2月19日金曜日

玉置宏:歌先案内人Ⅲ

歌のアルバム19年・1000回

 歌謡曲の前奏の名調子を生かすべく玉置宏は、1958年(昭和33年)に文化放送を退社し、局アナからフリーに転身した。三橋美智也などの歌謡ショーの司会をしていた彼は、同年からTBSで歌番組「ロッテ歌のアルバム」の司会者に迎えられた。

 お口の恋人 ロッテ提供「ロッテ歌のアルバム」
 1週間のご無沙汰でございました
 玉置宏でございます
 歌とともに 数多くの思い出を 育むことができました
 そんな思い出には いつも懐かしい歌が そっと寄り添ってくれています
 胸の思いが 溢れそうになると
 あの日の思い出に 耳を傾けたくなるものでございます
――ロッテ歌のアルバム 玉置宏監修 コロムビア編

 こんな名調子で彼の名は全国区になっていった。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家の登場で、番組の人気はピークに達した。「歌のアルバム」を19年間、1000回を機に勇退する。

 数々の長寿番組を務めている。
・象印スターものまね大合戦(NET=テレビ朝日1967年 ― 1977年)
・にっぽんの歌(テレビ東京1967年-―1977年)
・玉置宏の笑顔でこんにちは(ニッポン放送1978年―1996年)

 また落語通と知られ、1996年からはNHK第1で「ラジオ名人寄席」の『席亭』を務めた。番組は2008年まで続いたが、放送許諾のない音源を使用したことが問題となり、玉置は責任をとり降板している。
 2003年には横浜にぎわい座の館長に就任した。

 日刊スポーツ紙上で『娯楽 極楽 お道楽』という芸能コラムを担当している放送作家の高田文夫が2010年2月15日付で、
――玉置さんほど大衆芸能を心の底から愛した人はいない。(中略)大衆芸能にとって図書館、資料館100館失ったに等しい。
と書き、評価した。

 玉置宏――あの名調子は一代の芸であった。(おわり)

×  ×  ×

 県立川崎高校の大先輩である玉置さんには親しみを感じていた。かつて歌手をもてはやし『ごますり』など揶揄されたこともあったが、あれって歌い手を気分よく歌わせるためには、どんなことでもしようという司会者の心得であり、お客さまへのサービスだったと思う。腹の据わった御仁だった、と草野球音は看破する。

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