清水次郎長
山本一力の「背負い富士」(文春文庫)を読む。
清水の次郎長といえば、
♪清水港の名物は お茶の香りと男伊達
のディックミネの「旅姿三人男」や、
♪~旅行けば 駿河の国に茶の香り
~街道一の親分は
清水港の次郎長ォ~
の広澤虎造の浪曲や、
東映オールスター映画で片岡千恵蔵が次郎長を、中村錦之助が石松を演じた「任侠清水港」(1957年・監督=松田定次)を思い浮かべるが、「背負い富士」ではこれまでの違った生身の人間を描いている。
蛇足ながら、大映のオールスター映画「次郎長富士」(1959年・監督=森一生)は、次郎長に長谷川一夫、吉良の仁吉に市川雷蔵、森の石松に勝新太郎の揃い踏みであった。
「背負い富士」は、次郎長の十代のころを描いた点で、新鮮味があった。16歳で、空見、韋駄天(いだてん)、乗馬、狼煙(のろし)など特技を持った年長の七人を集め、組織を束ね、米相場に打って出る描写は生き生きしていた。侠客になる前の話だが、生来備わった組織作りの才を感じさせて興味深かった。
次郎長と同じ文政3年(1820年)の1月1日元日生まれの幼馴染で生涯の友、音吉が、東京から訪ねてきた二人に次郎長のことを語るという構成になっている。
幕府軍の榎本武揚が箱館に脱出する際、咸臨丸が暴風雨により破船し清水湊に停泊したところを、官軍に襲われ船員全員が死亡した。逆賊として駿河湾に放置されたままになっていた遺体を、次郎長は小船で引き上げ、埋葬した。新政府軍に咎められたが、「死ねば仏。官軍も賊軍もない」と突っぱねた。いきさつを聞いた山岡鉄舟はいたく感激し、次郎長と鉄舟は交誼を結んだという。またグラント将軍の接待を受け持ち英語の将来性を重視し、英語塾開校を思い立った。このあたりの話も、草野的には興味があったところだ。
2009年2月20日読了
× × ×
ガキのころに、
「清水港は鬼より怖い、大政小政の声がする」
なんて、よく言っていたが、あの出典はどこなのだろうか?
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