2009年2月12日木曜日

そして宣教師は旅立った

キリスト教の禁教

 ぶらり散歩に出る。横浜市中区日本大通りの横浜開港記念資料館で、「横浜開港と宣教師―翻訳聖書の誕生」(4月19日まで開催)という企画展示を観る。

 キリスト教の禁教政策は明治に入っても続いた。葵の紋所から菊の紋章に変わっても‥‥。
 
 そして明治6年(1873年)2月24日、明治政府は太政官布告第68号により、キリシタン禁制の高札を撤去した。江戸時代初期から続いていたキリスト教に対する禁教政策に終止符が打たれた。
 宣教師はこのときを待っていた。1858年修好通商条約が締結されると、彼らは横浜に着き、聖書の日本語翻訳に務めた。1873年キリスト教の禁教が解かれると、彼らは聖書を手に布教の旅に出た。全国にキリスト教が広がることになる。

 この企画展示では、聖書翻訳に汗した宣教師ジェームス・カーティス・ヘボン(1815年―1911年)らの軌跡を追い、当時の出版文化や世相を辿っている。
 横浜開港記念資料館は小ぢんまりした展示場で、いつも静かに観ることができる。
 
×  ×  ×

 展示にヘボン91歳のポートレートがあった。かくしゃくとしている。あっと思った。享年96歳の長寿だったと、初めて気がついた。勝手に60歳前後で亡くなったと思っていた。
 1815年生まれといえば、江戸時代は文化12年である。11代将軍、あの子沢山の家斉(1773年―1841年)の時代であった。江戸のころの平均寿命は何歳だったのだろうか。
 それにしてもヘボン、当時としては珍しいご長寿サンであった。

 ヘボンのことは昨年「麗しのオードリーと同名」(2008年9月4日)にも記している。

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