*19日付日刊スポーツ東京本社版1面は、プロ入り初ホームランを記録した巨人ルーキー浅野翔吾(高松商)外野手でした。
その紙面で見つけた表__
『2リーグ制後に本塁打を記録した巨人の高卒新人』
眺めながら古い記憶を辿ってみるのも一興です。
セとパの2リーグ制は1950年(昭和25年)からスタートしています。ドラフト制度(会議)は1965年から。
坂崎一彦外野手(浪商)と王貞治一塁手(早実)はドラフト以前の入団です。ともに甲子園で優勝経験もあり、高校時代から全国に名を知られた選手でした。坂崎のプロ1号は大洋(現横浜DeNA)エース秋山登投手からでした。
坂崎と王は1959年(昭和34年)の天覧試合でともに本塁打を放っています。生涯868本塁打の王はルーキー年は7本塁打でした。金田正一に次ぐ国鉄(現ヤクルト)の第2エース村田元一投手から奪った1号が、世界の王の第一歩でした。
巨人ドラフト1期生は1位堀内恒夫投手(甲府商)2位が林千代作外野手(鎌倉学園)でした。堀内は新人投手ながら2本もかっ飛ばしています。異彩を放ちます。1967年3打席連続本塁打を放ちノーヒットノーランを達成した離れ業の張本人ですから、その片鱗をチラリと見せたのかもしれません。林は1年目の1本が唯一のアーチでした。南海(現ソフトバンク)から大洋に移籍したスタンカから打っています。
ドラ1の松井秀喜外野手(星稜)は新人で11本打っています。巨人で332本、MLBで175本、通算507本塁打を記録しています。神宮球場で現ヤクルト監督の高津臣吾投手から放った弾劾ライナーのプロ1号は記憶に残っています。
6年連続30本塁打を記録中のドラ1岡本和真内野手(智弁学園)は新人では1号のみでした。
さて浅野翔吾はどこまで成長するか。
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