2011年9月6日火曜日

家康が上杉攻めへ:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第34回=姫の十字架)
石田殿もわしもともに豊臣の家臣。
ということは、万一、戦になっても、
それは、家臣対家臣の争い。
断じて豊臣と徳川の争いではない。
 徳川家康(北大路欣也)は、「豊臣と戦になることを避けてほしい」と懇願する江(上野樹里)にこう説明した。

 慶長5年(1600年)。
 秀頼の反逆を理由に家康は会津の上杉景勝攻めを企てる。会津征伐の総大将に秀忠(向井理)を命じる。上杉景勝の戦は石田三成(萩原聖人)を参戦させる呼び水だった。
 三成は家康の意図を知りつつ、家康攻めを淀(宮沢りえ)に告げ挙兵する。徳川に与した大名の妻子を人質に取り、大坂城に集めた。大阪の細川屋敷を、石田勢が取り囲む。ガラシャ(ミムラ)は死を決意し、家臣に自分を刺すように命じた。

*会津征伐
 慶長5年。上杉景勝は直江兼続に神指城の新城建設を命じた。上杉の軍事増強は秀吉後継者たる秀頼への謀反とみなした家康は、景勝に上洛、新城築城の説明をするように命じただが、これを上杉は拒否した。この書状が直江兼続のよる挑発的な内容であり、家康は会津征伐に踏み切ったといわれる。「関ヶ原の戦い」の幕開けとなった。

×  ×  ×

「天下布武」の刻印がまた登場しましたぞ。ドラマでは、この織田信長(豊川悦司)の遺品は市(鈴木保奈美)から淀、そして江に渡っていました。
 江は会津に向う秀忠にお守りとして差し出したのです。秀忠は、「幼い時から唯一憧れていた武将は織田信長。その姪を妻にすることは誇りであった」と、江に胸の内を明かしました。江と秀忠の愛が一層と深まるシーンでした。

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