エドゥアール・マネの「鉄道」、クロード・モネの「日傘の女性、モネ夫人と息子」、ポール・セザンヌの「赤いチョッキの少年」、フィンセント・ファン・ゴッホの「自画像」など名画がズラリ並ぶ。「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展 印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション」が東京・六本木の国立新美術館(2011年6月8日~9月5日)で開催されている。全83点のうち日本初公開作品は約50点。「これを見ずに、印象派は語れない」というキャッチフレーズがあながち誇大に感じさせない充実ぶりだ。
構成
1 印象派登場まで
2 印象派
3 紙の上の印象派
4 ポスト印象派以降
ワシントン・ナショナル・ギャラリー(WNG)は米国の首都ワシントンDCにある。12世紀から現代までの西洋美術コレクションで知られる。19世紀から20世紀にかけて銀行家、実業家として活躍し、ジョン・ロックフェラーやヘンリー・フォードラと並ぶ財を築いたアンドリュー・メロンが自らの美術コレクションと設立のための資金を、連邦政府に寄贈し、完成したのがWNGだった。世界中から500万人が訪れている。そのWNGの顔というべき常設展示品からマネ「鉄道」、モネ「日傘の女性、モネ夫人と息子」、ルノワール「踊り子」、セザンヌ「赤いチョッキの少年」など9点が出展されている。
× × ×
*クロード・モネ「日傘の女性、モネ夫人と息子」1875年
19歳でパリにやって来たモネは、7歳年下のカミ―ユと出会い恋におちる。息子ジャンが生まれ、パリ郊外のアルジャントゥイユに移る。そして「第1回印象派展」で注目を集める。そんな幸せのときに描いた作品。が、やがてパトロンのオシュデが破産し、さらにカミ―ユが次男を妊娠したころから体調を崩し、出産の翌年(1879年)に亡くなってしまう。
以前、美術番組「美の巨人たち」でモネの「日傘の女性」を扱っていたが、こちらはオルセー美術館所蔵で、カミーユが亡くなって7年後に描いた作品。女性の顔に表情がなく、足元に影がない。描けなかったか、描きたくなかったものか。
WNGとオルセーとの作品、モネがこの間に直面した境遇を思うと、興味はさらに深いものとなるだろう。
モネの「日傘の女性」は他に右向きのものと。全3作品あります。
*オーギュスト・ルノワール「モネ夫人と息子」1874年
モネ一家が住んでいたアルジャントゥイユは、1870年半ばの一時期オーギュスト・ルノワールやエドゥアール・マネ、アルフレッド・シスレーなどがたびたび訪れるたまり場だった。ある日、マネは木陰で休むモネの妻カミーユと息子ジャンを描き、モネはイーゼルに向って座るマネを描いていた。ちょうどその時、ルノワールが訪ねてきて隣で絵を描き始めたそうだ。庭の背景や木を大胆にトリミングし、カミーユとジャンを画面いっぱいに描いている作品。
モネとルノワールによる「モネ夫人と息子」2題も本展では揃い、なかなか面白い。
その他目を惹いた作品
・エドゥアール・マネの「鉄道」1873年・ポール・セザンヌの「赤いチョッキの少年」1888年―1890年
・フィンセント・ファン・ゴッホの「薔薇」1890年
2011年7月21日観覧
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