*平塚市美術館:パスキン、そしてシャガール、フジタ、ローランサン……
そこには「モンパルナスの王子」が君臨していました。
平塚市美術館の開館20周年記念展「花ひらくエコール・ド・パリの画家たち―パスキン、そしてシャガール、フジタ、ローランサン…」(2011年7月16日~9月4日)を観る。
北海道道立近代美術館のコレクションを中心に、ジュル・パスキン、マルク・シャガール、藤田嗣治、マリー・ローランサンらエコール・ド・パリの画家たちの作品を紹介している。
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平塚駅に降りたのは約30年ぶりだった。その昔、よく通った駅。巨人軍の監督である原辰徳さんが東海大学時代のこと。東海大の野球部合宿所とグラウンドは平塚市土屋という場所にあり、取材のため出掛けたものだった。
美術館の帰り。何回か利用した駅前のラーメン屋さんで味噌ラーメンを食べてみた。30年前の味が甦ってきた。懐かしさとの再会だった。
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構成
・パスキンの油彩
・エコール・ド・パリの時代
・パスキンの素描、水彩、版画
1920年代から1930年代にかけてのパリは、美術、音楽、演劇、文学など各分野の芸術家が集まり活動した華やかな芸術の都だった。特に1920年代を中心に活躍した画家を、エコール・ド・パリの画家と呼ぶようになった。
*ジュル・パスキン(1885年―1930年)
ブルガリアのユダヤ系穀物商の家庭に生まれる。19歳でミュンヘンの雑誌の挿絵画家となる。1905年に移住、本格的に画家生活を送る。エコール・ド・パリ全盛の1920年代には、華やかな浪費生活で「モンパルナスの王子」と異名をとった。
目を惹いた作品
・ジュル・パスキン「女学生」1908年/「花束をもつ少女」1925-1926年
・マルク・シャガール「パリの空に花」1967年
・レオナ―ル・フジタ「二人の裸婦」1930年
・ハイム・スーチン「祈る男」1921年
静かに鑑賞できる館でした。
2011年7月26日観覧
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