2011年7月16日土曜日

北沢秋「哄う合戦屋」

北沢秋の「哄う合戦屋」(双葉文庫)を読む。
 甲斐の武田晴信(信玄)と越後の長尾景虎(上杉謙信)の両雄に挟まれた地・中信濃に、土豪が割拠していた。戦国の天文18年(1549年)春。
 豪族のひとり遠藤吉弘の領地に、浪人が従者と思しき小者を連れて現れた。
 男は石堂一徹といい、戦国を渡り歩く戦を生業とする「合戦屋」だった。身の丈六尺を超す偉丈夫で、頬や顎に深い刀傷があった。その周囲に人を寄せ付けない一種異様な迫力があった。
 ひばりの巣をのぞき込んでいた一徹を見かけた吉弘の愛娘・若菜は臆することなく声をかけ、父の居城に招いた。
 3800石の領地しか持たない吉弘だが、内政手腕があり領民に好かれていることを気に入り一徹は食客になった。そして瞬く間に一徹は鮮やかな戦術を駆使し近隣の豪族を倒し、吉弘を2万4000石の大名に押し上げた。
 だが、一徹の戦功に既存の家来たちは反発を強め、吉弘も疑心暗鬼となっていた。領内で一徹の理解者は若菜ひとりだった。
 そんな中、大大名である武田晴信軍が侵攻してくるとの情報が入った……。

目次
・第一章:天文十八年 春
・第二章:天文十八年晩 春
・第三章:天文十八年 夏
・第四章:天文十八年 晩秋
・第五章:天文十九年 早春
・最終章:天文十九年 夏

登場人物
・石堂一徹/若菜/遠藤吉弘/六蔵

×  ×  ×

 小説の舞台となっている天保年間(1532年~1555年)はどんな時代だったのだろうか。足利幕府将軍は足利義晴、足利義輝だが、甲斐に武田氏、越後に長尾氏、関東に北条氏、駿河に今川氏、美濃に斎藤氏と戦国大名が乱立していた。
 また、その後に台頭した織田信長は天文18年2月、美濃の斎藤道三の娘・濃姫と結婚し、同1月に徳川家康は三河が今川義元の支配下となり人質となっている。
 天文18年はフランシスコ・ザビエルが鹿児島に着き、日本にキリスト教が伝来した年でもある。

「わらう」ですが、「笑う」とフツー書きますが、「嗤う」とは違いますよね。「嗤う」は「嘲笑」ですか。「哄笑」の「哄う」と筆者がわざわざ題名に付いているのは、「大口をあけて笑う」とか「どっと大声で笑う」という意味で使っているのでしょうね。
2011年7月15日読了

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