2007年12月4日火曜日

ローハイドとその背景

海外テレビ西部劇Ⅱ

 テレビ西部劇「ローハイド」は、1959年から1965年に米CBSテレビで制作され、日本では1960年(昭和35)からNET(現テレビ朝日)で放送された人気番組である。
 
 原題のRAWHIDEとは、牛を追いたてる牛皮で編んだ鞭(むち)のことだそうだ。

 隊長のギル・フェィバー役のエリック・フレミングは渋く貫禄があり、副隊長ロディ・イェーツ役のクリント・イーストウッドが魅力的で、今にして思えば、その後の大成を納得させる「輝き」があった。

 加えて主題歌を唄ったフランキー・レーンの力強い声と、「ビッシ」という鞭の音が印象的だった。曲もヒットした。あれは牛を追いたてるRAWHIDEの音だったのか。
 ♪ローレン ローレン (ビッシ)
 日本語盤を唄った伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズがスリッパをひっぱだいて鞭の効果音を出していたっけ。

 南北戦争後の1870年代、テキサス州サンアントニオからミズリー州セデリアまで3,000頭の牛を運ぶ物語だ。

 南北戦争は1861年から1865年かけて起こったアメリカの内戦(The Civil War)で、1960年に奴隷制反対のエイブラハム・リンカーンが16代大統領に就任したことが発端となった。奴隷制存続と自由貿易を主張する南部11州がアメリカ合衆国を脱退しアメリカ連合国を結成し、米英戦争(1812年~1814年)以降に工業化が進み保護貿易を唱える北部23州との対立が激化し内乱に発展した。結果は北軍の勝利となった。
 
 戦争中にテキサスを中心とした南西部地区では、ロングホーン牛を世話する若者が従軍したため、焼印をつけ市場に運ぶ働き手を失った。そのため、戦後の南西部には焼印のない牛が500万頭もいたと推測された。一方、東部では戦争により牛が出荷されず深刻な肉牛不足となった。
 肉牛需要のある東部、そして牛を供給できる南西部。東部で1頭50ドルもする肉牛は、南西部では1頭3―4ドルで調達できた。南西部の牛をかき集め焼印を押し、東部までの運送拠点である鉄道の駅まで牛を運ぶ「キャトル・ドライブ」という仕事が自然発生したのである。

 「ローハイド」はそのキャトル・ドライブを描いている。道なき道を放牧しながらの行程は約1,000マイル、期間は3-4ヶ月に及んだ。牛は食肉用なので痩せては商品価値が落ち、1日の10マイルほどしか歩かせず、体重を維持しながら牛を追い立てる。
 カウボーイの1日は日の出とともに始まり、朝食は焼きたてのビスケットとベーコンを濃いコーヒーで流し込む。昼食は朝に焼いたビスケットを馬上で食べ、夜食は「オールド・ウーマン」と呼ばれたコック(ウィッシュボン役はポール・ブレニッガ)が温かい肉の煮込みや豆料理、ビスケット、コーヒーを用意した。夜通し交替で大事な商品である牛の群れを監視し、1日の労働時間は10-12時間におよぶ過酷さだった。馬の鞍を枕に自分の毛布で身をくるみ就寝した。きつい・汚い・危険の3K仕事であった。
 3K仕事を束ねるのがトレイル・ボスである。牧場主と契約して牛の輸送を請負う。ローハイドではフェィバーさんだ。

 前回の「ガンスモーク」の項で触れたダッジシティもキャトル・ドライブの終着地で、トレイル・ボスが牛を売り、激務に耐えた数ヶ月におよぶカウボーイに報酬を支払った。労苦から開放された彼らは手にした大金をウイスキー、ギャンブル、女につぎ込んだ挙句、喧騒、諍い、果ては拳銃沙汰の決闘までが起こった。

 1880年代後半には南西部までにも鉄路は敷かれた。鉄道拠点まで苦労して牛を追う必要がなくなった。キャトル・ドライブの終焉である。

 かってぼんやり観ていたテレビ西部劇「ローハイド」も、書くにあたり調べてみると、その時代背景を知り新たな発見があった。

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