2014年6月1日日曜日

原貢さん さらば百日紅1

*炭鉱町に咲いた三池工__  

その人を語る花がある。





西行なら「さくら」・
夏目漱石なら「虞美人草」・
太宰治なら「桜桃」・
石原裕次郎は「あじさい」で
島倉千代子は「からたち」のような。

それじゃなにかい、
渡哲也は「くちなし」で
大川栄策は「さざんか」か?

だからお前さんは浅はかだってんだ。
話が長くなりそうなので、進める。

原貢の場合は「百日紅」になる。
「百日紅(さるすべり)」は漢名「ひゃくじつこう」。

百日紅は夏の花だ。
炎天下にめげず咲き誇る。
樹に生命力が宿る《男花》だ。

「ぼくは百日紅が一番好きな花なんだよ。赤い花は持ちがよく百日も咲いているところからそう呼ぶんだ。うちの庭にもあるよ」
30余年前の晩夏、相模原市東林間の原家の居間で話してくれた。

貢は虚空の一点を見つめていた。
あの夏を思い出したのだと草野は確信した。

あの夏__1965(昭和40)年。
福岡県立三池工業高校は夏の甲子園、全国高校野球選手権大会に
初出場で初優勝の快挙を果たした。

福岡大牟田市の凱旋パレード。
大牟田市の当時の人口21万人。
沿道には人口を超える30万人の観衆が集まった。
周辺の市から詰めかけた人も多かった。
それだけ関心が高かった。

手をふる大観衆はどれも笑顔だった。

パレードを観た7歳の辰徳は母・勝代に興奮して叫んだ。
「お父さん、すごいことしたばい」

炭鉱町に咲いた三池工__
そんな新聞記事が踊った。

百日紅は咲いていた。(文中敬称略)

×     ×     ×  

福岡県立三池工高、神奈川・東海大相模と2度にわたり夏の甲子園大会に優勝、またプロ野球巨人原辰徳監督の父である原貢(はら・みつぐ)さんが、2014年5月29日亡くなった。79歳だった。


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